崖から飛び降りよう
「あいたたたたた……」
「お前は馬鹿か?」
「ううっ」
あちこち擦りむいた女の子にかける言葉にしてはあんまりな台詞だ。
いや、そう言われても仕方ないって分かってるんだけど、それでも、もう少し言葉を選んで欲しい。
「何考えてんだよ、お前は……」
「何って……、飛び降りても、九十九がいるから何とかなるかなと思って……」
それでも、思ったより高さがあってビックリした。
なるほど、確かに彼が止めたわけだと今なら分かる。
この程度の傷で済んだのは御の字だろう。
心なしか、耳の近くで地響きの様な大きな音が今も響いている気がする。
降りた衝撃で頭がクラクラしているせいかもしれない。
いや、弁解させていただくと、何の当てもなく行動したわけではない。
まず、わたしは彼が空中浮揚することができるのを知っている。
それも、前にわたしを抱えた実績付きだ。
その上、これだけ周りに木がある。
枝が突き刺さらない限りは、クッションになってくれると期待した。
無謀な行動ではあるけれど、死ぬことだけは絶対ないと妙な確信もあったのだ。
「せめて、何か言え。相談もなしにいきなり行動されると、どうしても反応が遅れるから対処も難しい。それに……」
九十九はそこで、大きく息を吸う。
「一番の問題は、スカートで飛び降りてんじゃねえ!!」
いつもなら溜息を吐くと思っていた場面だったが、大きな声を出したかったらしい。彼の大きな声がわたしの耳を直撃する。
静かな森に響き亘った彼の声だが、それに反応して動く鳥や小動物の気配はまったくなかった。
「あ、あ~」
わたしは手を打つ。
「確かにスカートだった。あまり穿き慣れてないし、穿いている感覚もなかったから、つい……」
足元がスースーする感覚に慣れてしまったら、ズボンと変わらなくなったのだ。
あまりにも軽すぎたし、意外と森の中でも邪魔にならないのですぽ~んっと頭から抜け落ちていた。
スカートだったということは、飛び降りた直後にぶわっと広がったことで思い出したけど、あまり意識していなかったことは確かだった。
わたしの言葉に九十九が呆気にとられる。
「でも、見えたわけじゃないでしょ?」
「見えてねえよ!!」
「なんで、そこで怒るの?」
九十九に見えてなかったのなら何も問題はないと思うのだけど、彼は何故か顔を真っ赤にするほど怒っていた。
このスカートはかなり広がる。
先に降りたのはわたしだから、上からだった九十九はほとんど丸く広がる布しか見えていなかったはずだ。
実際、わたしの視点からもそうだった。
まあ、下に人がいたら丸見えだったかもしれないけど、あの時はそこまで考えていなかったから仕方ない。
「お前……、見えてなければ良いってモンでもねえだろうが」
「……それは、そうだね」
確かに、わたしの発言と感覚は女性としてどうかな、とも思える。
少しだけ反省しておこう。
「……このスカート。裾を絞っちゃ駄目かな?」
「何故、自分の意識改善より、そっちの改良に走る?」
「自分を改善するより手っ取り早いから?」
「諦めるな! 開き直るな! 少しは隠す努力をしろ!!」
「うぬう……」
わたしの問題なのに、何故、九十九がそこまで怒るのかが分からない。
魔界の護衛って、対象のスカートのガードまで考えなきゃいけないのかな?
ちょっと大変そうだね。
「お前の相手は疲れる……」
九十九が肩を落とす。
確かに相手に対する細かな気配りまで仕事に入っているなら、疲れるかもしれない。
「ほれ、見せろ。女が顔に傷こさえてんじゃねえよ」
そう言って、九十九はわたしの頬に触れる。
先ほどの飛び降りで、大きな怪我はしなかったものの、あちこちに擦り傷ができていて痛痒い。
九十九の指がぼんやりと光り輝いたかと思うと、くすぐったいような温かいような不思議な感覚がしてきた。
どうやら、治癒魔法を使ってくれたらしい。
「ありがとう……」
傷ができたのは自業自得なのに治してもらったので、少し申し訳ない。
「悪かったな」
傷を治してくれると、九十九はふいっとそっぽを向いた。
でも、わたしには、その言葉の意味が分からない。
「何が? 悪いのはわたしでしょ?」
無理矢理九十九を巻き込んで飛び降りた上、しっかり自分に傷を作ったあたり、どう考えても九十九に非はない。
「咄嗟だったから、うまく引き上げてやれなかった」
あの瞬間、確かに九十九に腕を引かれた気はした。
だが、心構えもない状況では、重力には勝てなかったのだ。
決して、わたしが重かったせいではないと思いたい。
「いやいや、どう考えても悪いのはわたしでしょ? 客観的に見ても主観的に見ても」
ところが、九十九は何も言わずにじっとわたしを見るだけだった。
「な、何?」
こんな瞳の九十九は珍しい気がする。
責める目とも呆れる目とも違う。
なんだろう?
「いや……、何でもない。」
そう言って、九十九は再び目を逸らす。
何だかちょっと調子が狂う。
いつもの九十九らしくないというか……。
だが、切り替えよう。
考えていたって仕方ない。
「お墓はどっち?」
わたしは当初の目的を果たすべく、九十九に声をかける。
「そこの……、滝の裏だ」
そう言われて……、先程から聞こえていた大きな音の正体に気付く。
九十九の指し示した方向は……、位置的にさっきまでいた湖から流れ落ちていると思われる大量の水の流れがあった。
「この裏ぁ!?」
高さはわたしたちが飛び降りた崖と同じく数メートル。
その幅は驚きの4、5メートル位はありそうだ。
これだけ流れ出てもあれだけの広さを保っていられるあの湖は、どれだけ水が供給されているのだろう?
さらには、結構な勢いだった。
九十九が言うにはこの裏にあると言う。
こんなところに隠された洞窟のような入口があるなんて……、言われなければ分からないだろう。
なんで、こんな隠れるようにお墓を作ったんだろうか?
運ぶのも大変だっただろうに……。
「変わっていなければな……」
そう言いながら、九十九がほとんど躊躇うこと無く、何かに導かれるように滝に入っていったので、わたしも続いた。
「ぶわっ!?」
当たり前だが、勢いのある大量の水の流れは結構重くて痛い。
これはどんな荒行だと思うぐらい。
修験僧はこんなのに打たれっぱなしの修行があると聞くけれど、正直信じられない。
どんなマゾなら耐えられるのだろう?
「暗い……」
その場所に来た時、自分からポタポタと流れ落ちる雫より、その暗さの方が気になった。
こんな所に電気とかはないだろうから当たり前だ。
足元は固くて歩きやすいけれど、肌に感じるひんやりとした空気は修学旅行に行った鍾乳洞を思い出させる。
とりあえず、水を吸った長い髪のカツラを外してみる。
これで、少しはマシだろう。
「待ってろ、今、明かりを……」
そう言いながら、九十九は手のひらから光の玉を打ち出し、そのまま浮かべた。
あまり強い明かりではないが、それでも、その場にいる人間の表情や、周りに何があるかくらいは分かる。
「使え」
そう言って差し出されるふんわりタオル。
いつものようにどこからか取り出してくれたらしい。
さっきの明かりの時も思ったけれど、こ~ゆ~時、魔法って本当に便利だと思う。
でも……。
「……乾燥魔法とかはないの?」
タオルを頭に被りながら尋ねる。
衣類乾燥機やドライヤーの替わりになるような、この状況に相応しい素敵魔法はないのだろうか?
「オレは今の所、身体の水分まで奪う魔法しか使えん」
「怖っ!」
わたしと同じようにタオルで身体を拭いている九十九は、顔を逸しながら答えた。
前言撤回!
魔法って便利なだけじゃない。
すっごい怖いところも結構ある。
治癒魔法だって使い手によっては人体粉砕魔法になるらしいし。
でも、大体、どこまで乾燥させたら、身体の水分まで奪うことになるのだろうね?
その前に途中で止めることとかってできないのかな?
まだ魔力を封印されているため、魔法を使えないわたしはそう思うしかないのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




