二度と言われたい言葉ではない
「なんで、寝たふりなんかするかな~」
わたしは、九十九の柔らかい髪を撫でながら、そう言った。
うん。
やっぱり九十九の髪は気持ちが良い。
寝ているから、もう少し撫でていても怒られないだろう。
『自分のいないところでされる話題は気になるものだ』
「それは分かるんだけど、九十九の話題なんて、何もしていないのに」
しいて言えば、膝枕をするかどうかの話ぐらいだったと思う。
それなのに、彼は何故か寝たふりをしていたのだ。
わたしだって、彼が寝ている姿をもう何度も見ている。
浅い眠りから、ぐっすり熟睡状態まで、幅広い状態を。
だから、九十九が寝たふりをしても気付いてしまうことは、今回のことでよく分かった。
でも、眠らなければ回復も遅い。
何度かその意識が寝たり起きたりを繰り返していたみたいだから、リヒトに促されて、しっかり眠らせてあげた。
これで、眠らせ勝負に関しては、三勝二敗だね、九十九。
『膝枕をして欲しかったようだ』
その理由を苦笑しながら口にするリヒトの言葉に唖然とするが……。
「九十九は時々、甘えたさんになるよね」
でも、それは雄也さんもか。
この護衛兄弟は、母親から離れた時期が早すぎるせいか、妙に異性に甘えたがる部分がある。
この辺り、人間も魔界人も大差はないのかもしれない。
「言ってくれれば、膝枕ぐらい、いつでもするのに」
但し、足が大丈夫な時に限るけど。
『理由がないと言えないものらしい』
「男の子って、なんで、そんなこと気にするのかな?」
甘えたい時だってあるだろう。
わたしは彼らの彼女ではないけれど、主人ではある。
その、夜のお相手とかそんなのは無理だが、膝枕とか、撫で撫でぐらいなら、十分、許容だ。
寧ろ、普段、キリっとしている彼らの無防備な顔を見られるので、「うぇるかむ」と思っているかもしれない。
『トルクは気にしないみたいだが』
「ああ、気にした方が良い気がしてきた。いや、気にする方が正常な気がしてきた」
『酷いな』
そう言って、長耳族の青年は笑った。
『ところで、「ハシカミ」の方だが……』
「ああ、さっきの話ね」
『ツクモの前で話をしても問題なかったか?』
「うん。何も」
それは気にするほどのことでもない。
「合格発表の日に魔界人として遭遇した話は、雄也さんから伝わっていることだろうし、一応、彼女たちと九十九は面識あるからね」
『そうなのか?』
「うん。九十九はその階上くんの恋人である真理亜と会話もしているし、階上くん自身のことは、教室の外から、遠目に見てたはずだよ」
まあ、真理亜の方はともかく、階上くんの方は「面識がある」とは言いにくいかもしれない。
直接、会った雄也さんの方が「面識がある」と言えるだろう。
『そうなのか』
「でも、リヒトはなんで、それを気にしたの?」
『ストレリチアの王女殿下が気にしていたからだ。俺もシオリの想い人とやらは気になる』
「なるほど。ワカはまだ気にしているのか」
もう三年以上も前の話なのに。
「でも、本当に、好きとかとはなんか違ったと思っているんだよね」
確かに、顔は良かったと思っている。
わたしは、同級生が騒いでいて、初めてそれを意識したぐらいだったけれど。
だけど、それに以上に「無口な人」……の印象が強い。
機嫌が悪いわけではなく、必要以上に口を開かないのだ。
下手すれば、必要なことすら話さなかったかもしれない。
同級生男子たちが馬鹿やって大騒ぎしているような場面でも、黙々と仕事をしているような人。
だから、わたしの第一印象は「怖い人」だった。
顔が良い人が黙って見ているだけって、結構な恐怖なのだ。
何もしていないはずなのに、何故か、自分が悪いことをした気になってくる。
だけど、まあ、クラスが一緒になって、同じ委員会になったことで印象が一変したことは間違いないだろう。
あの人は、典型的な「不言実行」型だった。
口に出さずに、成果はしっかりと出す。
無駄口を叩かずに、行動をする。
そこに好感を覚えた。
でも、今だからはっきりと言いきれる。
あれは、「恋愛感情」じゃない。
どちらかと言えば、「懐古の念」に近かった。
なんとなくなのだけど、わたしが、人間界を想う時の感情にとてもよく似ているのだ。
胸の中が温まるような、安心するような、でも、思わず泣きたくなってしまうようなそんな感じ。
でも、わたしがあの人に対して、「何」を懐かしんでいたのか。それだけは今も分からないのだけど。
『過去に、無口な人間に会っているのではないか?』
わたしの心を読んで、リヒトはそう尋ねる。
「う~ん。でも、小学生、中学生時代、この世界に来る前に出会った人で『無口』に該当するのって、あの人ぐらいだよ?」
わたしと喋る機会が多くなかった同級生たちも、他の人とはよく喋っていたのは知っている。
それ以外に出会った人でも、母の兄である伯父さんも普通だったし、恭哉兄ちゃんも口数は多くなくても、喋らない印象はなかった。
楓夜兄ちゃんは寧ろ、よく喋る印象しかない。
「思い当たる人は、やっぱりいないな~」
そう口にすると、胸の奥が何故か少しだけ痛んだ。
ふと、自分の下を見る。
黒髪の青年が穏やかな寝息を立てて眠っていた。
その顔を見るとなんとなく口元が綻ぶのが自分でも分かる。
「無口」なんて、最も似合わない人だ。
彼はお喋りと言うわけではないけれど、わたしとはよく話をしている。
時々、心に刺さるどころか抉るような酷いことを言うけれど、それでも彼との会話は好きだった。
テンポが良くて、面白いのだ。
何より、黙っていて欲しい時は何も言わない。でも、それが苦痛ではない。
なんとなく、空気? いや、栄養みたいな人?
「少なくとも、今、この人より大事に思える人はいないね」
本人が寝ているせいか。
素直にそんな言葉が出た。
『それは、起きている時こそ言うべきではないのか?』
「言えないよ」
これは、恋愛感情からくるものでもない。
そして、そんなことを主人だと思っている人間から言われれば、彼にとっては迷惑でしかないんだろう。
例え、重い宣誓をされたとしても、彼も恋愛感情からではなく、忠義心のような感情から来ているものだと分かっているのだし。
また「世迷言」と言われるだけだ。
あれは冗談でも二度と言われたい言葉ではない。
『世迷言?』
「昔、九十九から言われた言葉だよ」
でも、それが彼の本心から出た言葉だったのかは今でもよく分からない。
確かめようのない言葉だから。
そして、あの当時にも護衛として呆れるほど真面目な仕事人間であった少年が、護るべき主人を恋愛対象になんか見ることができるはずもないことは、今なら嫌と言うほど分かっている。
それでも、やっぱり嫌だったのだ。
自分の「好き」という言葉に対して、容赦なく打ち返されてしまったあの言葉が。
少なくとも芽生えかけていた感情を、遠い彼方へぶん投げたくなってしまうほどのものだった。
そして、物理的にも、思いっきり遠くにぶん投げてしまったわけだが、あれから、わたしは少しぐらい、成長できているのだろうか?
腕にある紅い法珠がいくつもついた「御守り」を見る。
法力が漏れにくいような措置があちこちされている細い銀色の鎖でできた腕輪。
あれから、随分、本当に随分、いろいろなことがあって、この「御守り」もかなり進化してしまった。
もう九十九から受け取った時の元の形状が思い出せないぐらいだ。
……と言うか、大神官に会うたびに強化されている感が強い。
つい最近も、港町で会った時に、真っ白い大きな法珠が一つ追加された。
今までは、追加されるのは紅い法珠ばかりだったので、不思議そうに見ていたら、「神の御加護です」と何故か微笑まれた。
いつもより時間がかかったし、その後に、恭哉兄ちゃんの額から珍しく汗が流れていたから、多分、紅い法珠の強化版なのだろうと納得している。
『シオリ』
わたしが「御守り」を眺めていると、リヒトが声をかける。
『何故か、心が落ち着かないから、呑気に寝ている九十九を殴って良いか?』
「駄目」
真面目な顔をして言われたが、それだけを聞けばただの八つ当たりである。
でも、リヒトは心が読める長耳族。
だから、わたしの心を読んで、わたしのことで怒ってくれたのだろう。
「わたしのことで怒ってくれるなら、それは見当違いだよ」
確かに傷ついたけど、わたしにも反省すべき点が多すぎる。
そして、明らかに、彼には悪気がなかったのだ。
単に、突き放してくれただけ。
護衛と、主人の距離を分からせてくれただけ。
ただ口下手なだけだったのだ。
今なら、それも分かってる。
それに……。
「女性として、恋愛対象としてではないけれど、主人としてはこの上なく愛されている自覚はあるからね」
それはもう、九十九の未来の恋人を心配してしまうぐらいに。
彼は、一度、愛すると決めたら加減を知らないらしい。
本当に退くほど重いぐらいの愛情を見せる。
その代表例が「ゆめの郷」の宣誓だろう。
あれは、わたしたち以外の誰かが聞いていたら、多大な誤解を招いてしまうぐらいの重量級だった。
今でもふと思い出しては、顔が発火して焦げそうになる。
「九十九の命なんて捧げられてもいらないのに」
そんなものをもらっても嬉しくない。
それよりは、自分の知らない所でも良いからずっと生き続けて欲しい。
わたしはそう願うのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




