自分が知らない所で
一時の欲望に負けて、寝たふりなんてしなければ良かったと、オレは後悔する。
これは人間界で言う「罰が当たった」というやつなのだろう。
そのために、オレにとっては、聞きたくもなかったような話を、半強制的に聞かされることとなったのだから。
トルクスタン王子が起きる前に、寝たふりをしていたオレの頭は、水尾さんの揶揄いによって、栞の太股に載せられることとなった。
正座ではなく、両足を伸ばした状態だから、思ったより高さはない。
その心地よさに、本当に何度も意識が途切れる。
せっかく、栞の柔らかく滑らかな足とかを堪能しているのに勿体ない気がして、そのたびに意識を覚醒させる努力をしていた。
水尾さんの説教の声も、栞がリヒトと呑気な会話をしている声も、今のオレにはまるで子守唄のように聞こえてくる。
それだけオレが疲れていたのだろう。
兄貴のことが全く気にかからないわけでもないが、「不測の事態の時は、迷わず見捨てるからな」と言われている。
そして、それはお互いにということだ。
だから、もし、兄貴に不測の事態が発生していた時は、オレも兄貴を見捨てるつもりだった。
栞は、嫌がるだろうけど。
何度目かの微睡みの中、不意に、栞とリヒトの会話が途切れた気がした。
いや、途切れたのはオレの意識か?
だが、沈みかけている意識のどこかに声が降ってくる。
『誰にも邪魔されない今、シオリに聞いておきたいことがあるのだが……』
それは、聞かない方が良かった言葉。
聞いたところで、どうにもできない言葉。
『「ハシカミ」って何者だ?』
「――――っ!?」
それは、明らかな動揺。
触れているからこそ分かる身体の硬直と、触れていなくても感じる栞の体内魔気の乱れだった。
その言葉が何を意味するかは分からない。
だが、明らかに栞の様子が変化した。
そのせいで、オレの意識は強制的に覚醒させられる。
「どこから?」
『大聖堂だ』
「ああ、そうか。うん。それしかないもんね」
栞にしてはどこかおざなりな返答。
だが、大聖堂?
神官用語なのか?
いや、リヒトの問いかけは「何者」と言っていた。
それならば、人間であるはずだ。
「人間界で出会ったあの人のことを知っているとしたら、ワカぐらいだからね。ああ、もしかしたら、雄也さんは知っているかもしれない」
つまり、人間の話……か?
「何とも思っていないって、ワカには何度も言ったつもりだったんだけどね」
そのどこか栞の感情が籠っていない言葉に、何故か胸の奥でざわりとしたものを感じた。
このまま、ここで聞かない方が良いという予感と、聞かなければずっと抱えることになるという感情。
つまり、聞いても、聞かなくても、この会話の先にあるのはオレにとって良いことではないのだろう。
「でも、わたしが知っているのは人間界で会った魔界人の一人……かな」
今度こそ、飛び起きたくなった。
この女は、オレの知らない所で後、何人の魔界人と接触しているんだ?
そして、なんで、相手が魔界人だって知っているんだ?
魔界人は基本的にその正体を隠して生活しているはずだ。
バレても、記憶を消すことができるけど、原則として、成長前の他大陸に滞在中の期間は身を護る以外の魔法の行使は禁止されているのだから。
『何故、マカイ人……、この世界の住人だと気付いた?』
「ワカがあの人が魔界人だって知っていたかは分からないけれど、わたしが知ったのは、卒業式の後、雄也さんと一緒にいた時に絡まれたからかな。それまではちょっと変わった人とは思っていたけど、本当に普通の人だったよ」
そこで兄貴かよ!?
しかも絡まれたってなんだ!?
何より、何故、オレがそれを知らないんだ!?
卒業式の後に、人間界で兄貴が栞と行動したのは、オレがぶっ倒れていた合格発表の日か!?
もっと考えるべきところがあるはずなのに、何故か、疑問しか湧き起こってこねえ!!
「向こうもわたしがこの世界の関係者だって知ったのは、卒業式……、えっと住んでいた場所の儀式の時だったらしいんだけどね」
あの日か。
確か、あの紅い髪の男が現れて、栞たちの卒業式をメチャクチャにした後、何故か、元に戻したという不思議な行動をした日。
壊すことが目的ではなかったにしても、不可解すぎる行動だった。
いや、基本的に現状復旧しなければいけないのだけど、あの男、妙なところで規則を守るよな。
「だけど、わたしはその人のこと、ほとんど知らないんだよ。だから、『何者』なのかは今でもよく分からないかな」
栞は淡々と説明しているように感じるけれど、その口調はどこか、オレの知らない色と微かな熱を含んでいる気がした。
『知っていることもあるだろう?』
「見せていた部分はね。弓道の所作が綺麗だったとかそういったものは知ってるよ。ソウから聞くまでは、あの人の腕が良いことなんて知らなかったけれど、弓道って、的に中てるだけでも凄いらしいね」
ここで、来島まで出てくるのか!?
いや、来島は確か弓道部だったはずだ。
それならおかしくはない……のか?
ああ、クソ!!
さっきから全然、考えが纏まらねえ。
その理由は明確だった。
オレはこの場で話題になっている相手は、男だと確信してしまっているのだ。
栞が「あの人」と口にするのは男女関係なく年上か、もしくは、同じ学年以下の男だろう。
同じ学年以下の女なら、なんとなく「あの子」という気がする。
そして、「卒業式」という単語から、同じ学年以下であることは間違いない。
あの儀式の最中に、年上は保護者や教師、来賓以外は立ち会えないから。
栞が、オレの知らない同年代の男の話をしているということだけで、頭が酷くかき乱されている。
こんな状況でまともな思考が働くわけがなかった。
『トルクに似ているのか?』
リヒトは栞の思考を読んだのか。
そんなことを言った。
「顔だけで、中身は全然違うけどね。初めてトルクに会った時は、本当にビックリしたよ」
栞の雰囲気がまた変わった。
懐かしさもあるが、それ以上に、間違いなく仄かな熱があった。
それは、照れくさいような気恥ずかしいような感情によく似ている。
なんで、オレ、栞の体内魔気にこんなに敏感になっちまったのだろう。
護衛としては便利だが、こんな時は、かなり辛い。
『不躾なことを聞くが、その者を愛していたのか?』
「愛!?」
おいこら、リヒト。
何、余計なことを聞いてやがる!!
唐突な問いかけに栞も奇妙な声を上げる。
「愛? 愛~? あ~い~?」
栞から伝わってくるのは困惑、混乱だった。
だが、オレは怖い。
栞が考えた末の結論が、オレにとって最悪の答えとなる可能性もあるのだ。
だから、できれば聞きたくなかった。
「考えたこともなかった。愛とか恋とかよく分からない」
一頻り、「あい」の単語を連続で呟いてから、栞は迷いもなくそう結論付けた。
そのことに、身体から力が抜ける。
「この世界では、15歳って成人だけど、わたしが育った場所は、まだ成人と見なされていなかったからね。そこまで深い感情を意識はしてなかったな」
『今は?』
「三年も前だからね。顔ももう朧気だよ。でも、再会してもっと良い男になっていたら、ちょっとぐらい揺れちゃうかもしれないけど、あの人、彼女……、とと、恋人がいたからな~」
彼女?
魔界人が?
人間界に?
「ああ、でも、もしかしたら、あの関係は、わたしと九十九のように『仮』だったかもしれない。2人して同じ人に仕えていたっぽいし」
つまり、どちらも魔界人だったったことか。
それならば、偽装交際の可能性は確かにある。
魔界に還る前に、互いに余計な虫が付かないように……と。
ああ、クソ!!
オレはもっとあの頃を大事にすべきだった。
栞と「仮」とは言え、交際の真似事ができていたんだ。
もっと、いろいろとできることもあっただろう。
今更言っても、時は戻らない。
分かってるんだ!!
分かってるんだけど、勿体ねえ!!
『シオリ……』
「ん?」
『そろそろ、思っていることを実行に移した方が良い』
「ありゃ。そうなの?」
『俺が落ち着かない』
「そっか」
そんな不思議な会話がされた後、ふと、オレの頭に何か載せられた気がした。
「九十九……」
そして、囁くような甘い声で自分の名を呼ばれたかと思うと……。
「『おやすみなさい』」
そんな優しい声とともに、オレの意識は強制的にぶった切られたのだった。
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