触れたいと思う気持ち
海獣の体当たりを喰らい、さらには大渦が発生したことよる船の沈没事故より二日目。
コンテナハウスの見張りを交代することを約束していたトルクスタン王子はまだ起きてこない。
ある意味、オレにとって予想通りだったので問題はない。
慣れない環境、突然の事故で、全く疲労を感じない王族がいるはずもないのだ。
恐らくはまだぐっすりと夢の中にいることだろう。
そして、オレが交代できず、仮眠すら取ることができなかったことを知った水尾さんが怒り、その勢いで「昏倒魔法」を使って、強制的に休ませることも予測していた。
だが、そこから先は予想外過ぎた。
「毎度、毎度、何やってるんですか!?」
黒髪の主人、栞は叫ぶ。
「こうでもしないと、九十九は寝ない」
悪びれもせずに、水尾さんは言い切った。
栞がどこか呆れている気がする。
厄介なことに、オレや栞が多少怒ったぐらいではこの人は動じない。
まあ、メシを引き合いに出されれば、別だが。
「一応、穏便な手法を選んだつもりだけだけど?」
「『昏倒魔法』という攻撃魔法のどこが穏便ですか!?」
一歩間違えれば、闇に沈んで数日戻れなくもなると言われている「昏倒魔法」。
それを子守唄のように寝かしつけるために多用するのは、この魔法国家の王女殿下ぐらいだろう。
尤も、普通の「誘眠魔法」や「導眠魔法」がほとんど効かないオレたちだからこそ、仕方ないという彼女の言い分も分からなくはないのだが。
「とりあえず、私はトルクが起きてきたら説教する予定だから、高田は九十九を頼む」
「説教って……」
「仮にも『王子』を高田は叱り飛ばせないだろう?」
仮も何も、トルクスタン王子は本物の現役王子のはずだが……。
そして、今、栞が怒っていたのは、魔法国家の王女殿下だったと記憶しているが、気のせいか?
だが確かに、栞はトルクスタン王子にそこまでの怒りを感じていなかったのも事実だった。
まあ、「昏倒魔法」を使われなくても、トルクスタン王子が起きてきたら数刻ほど、仮眠をするつもりではあったのだが。
「わたしには眠っている九十九を運べませんよ?」
栞に抱え上げられたり背負われたりするぐらいなら、今すぐ起きる。
自分よりずっと小柄で愛らしい主人に運ばれるとか、羞恥心で死ねる気がした。
『いや、シオリが思い描いているイメージは、お前を抱き上げたり、背負ったりするのではなく、引き摺る方のようだ』
オレのすぐ傍で、余計なことを言う長耳族が小さな声で呟いた。
一気に別の羞恥心が湧く。
オレが寝ていないと気付いているなら早く言え!!
『ミオも気付いている』
それは分かっている。
体内魔気は落ち着いているが、オレは「昏倒魔法」が放たれる直前で、目いっぱい防御に徹した。
相手は魔法国家の第三王女だ。
意識を集中したぐらいで、精神に作用するだけの補助魔法ならともかく、攻撃魔法を簡単に防御できる気がしなかった。
その防御が伝わっていたのだろう。
もう少し、別の抵抗策を考えなければならない。
『ミオも更なる攻撃強化の方向を考えるようだ』
できれば、もっと穏当な手段を考えていただきたい。
オレや栞じゃなければ、意識不明の重体になってもおかしくはない危険な魔法だと言うのに。
『ツクモに休んで欲しいだけのようだけどな』
それは確かに純粋な善意だろうが、ありがたくない。
「ああ、膝枕でもすれば良いんじゃないか?」
そんな水尾さんの声が耳に届く。
なんだと?
そんな嬉しいことをしてもらえるのか?
それはどんなご褒美なんだ?
「普通に寝具を出した方が良いんじゃないですか?」
「男の憧れ、膝枕の方が喜ぶと思うぞ?」
なんてことを言うんだ、この人は。
でも、否定はしない。
栞の膝が心地よいことは知っている。
栞は全身から漂う雰囲気から既に心地よいから仕方ないな。
「前にも言いましたよね、それ」
「ああ、懐かしいな。でも、あの時は膝じゃなくて高田の胸じゃなかったっけ?」
「そこから、ちゃんと下ろしましたよ」
何だと?
そんなこと、オレも知らねえ。
栞が、水尾さんの前で、膝枕どころか、む、胸枕だと!?
オレが知らない間に、いつ、誰に、やったんだ?
もしかして、中学生の頃か!?
妄想逞しい年代の……、まさか、野郎にやったとか言うなよ!?
『当人に聞け』
いろいろな意味で聞けるか!!
「水尾先輩はどうでした? 九十九に膝枕」
「新鮮だった」
「新鮮?」
栞の声が、オレの心の声を代弁したかのように重なった。
「九十九の髪って柔らかいんだな」
何、言ってるんですか、水尾さん!?
思わずそんな声を飲み込む。
「ああ、柔らかいですね」
お前まで何、言ってるんだ? 栞。
「トルクの髪はゴワゴワして固いんだよ」
「雄也さんは柔らかかったですよ」
ちょっと待て!?
兄貴の髪なんて、いつ、触った!?
「高田はあの先輩の頭まで触ってんのか?」
「機会がありまして」
妙に興奮する水尾さんの声に反して、落ち着いた栞の声。
その反応から、栞の方には特別な感情がないのだろう。
オレと同じような感覚だったのかもしれない。
それに、オレは栞が、大聖堂で弱っていた兄貴から、かなり気を許されたところを見ている。
お礼と称して、頭に口付けるとか……。
兄貴にしては珍しい形で親愛を見せたものだとも思ったものだった。
まあ、その後に夢の中とはいえ、それ以上のことをしでかしているのだから、兄貴が栞のことを何とも思っていないとは、もう思えないわけだが……。
「よく許したな、あの人が頭に触れさせるとか……」
いや、許すだろう、あの人。
水尾さんは兄貴のことを警戒心の強い猫か何かと勘違いしてねえか?
兄貴はある意味、オレ以上にあの母娘に甘い男だぞ?
彼女たちが望めば、喜んで頭の一つや二つ、差し出すに決まっている。
物理的な意味で。
そう叫びたい。
『本気で叫びたいとそう思うなら寝たふりを止めるだけで良い』
長耳族の青年は嫌になるぐらい正論を囁く。
だが、それは嫌だ。
謹んでお断りする。
話の流れから、栞から膝枕をしてもらえるかもしれないのだ。
ここで起きているのがバレたら、栞はしてくれないと思う。
『ミオにはバレているわけだが……』
それでも!
男として、退けないことがある!!
『退けないこと……ではなく、退きたくないことの間違いではないのか?』
オレだって分かってるんだよ、阿呆だって。
それでも、こう「ゆめの郷」で、彼女のことを存分に心行くまで堪能したせいか、折を見て触れたい欲求が強く出てくるのだ。
『先の港町でも存分に触れていた気がするのだが?』
足りない。
いや、あれはあれでかなり良かった。
栞からオレに抱き着いて来たりとか、良い思いをした自覚はある。
だけど、こう疲れてくるとどうしても肉体疲労時の栄養補給的な意味で、栞に触れたくなってしまうのだ。
あの柔らかさや甘さ、心地よさを知らなければ良かったと思う。
だが、知ってしまった今、それらを知らなかった頃に戻りたいとは思えない。
見ているだけで満足する自分も確かにいるのだ。
でも、同時に、栞にずっと触れていたい、もっと触れてみたいとも思ってしまう自分がいることも実感する。
それは、なんて矛盾した感情なのだろうか。
何度、幸福感に満たされても、すぐに足りなくなる。
これは、若宮がたまに言う「高田成分が不足している」状態……というやつなのだろうか?
『俺には分からん。シオリが幸せそうならそれだけで十分だ』
そんな純粋なことを口にする長耳族の青年。
なんだか、オレが酷く穢れた人間である気がしてきた。
『それは違う』
だが、オレの考えを長耳族の青年は否定する。
『ツクモのそれは純粋な感情だ。人間は、愛しい者にこそ触れたくなるらしいからな』
この男は兄貴と同じように気休めを言うヤツではない。
だから、その言葉も彼にとっては真実なのだろう。
だが、そんな人間ばかりではない。
オレは自分の「発情期」を知っている。
誰よりも、自分本位でリヒトの言う「愛しい者」を、自分の欲望のためだけに深く酷く傷つけようとした。
その事実だけは生涯消えることはないのだ。
そんなオレをどう思ったのか……。
『人間は本当に面倒だ』
長耳族の青年はそう溜息を吐くのだった。
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