魂までは誤魔化せない
「でも、少しぐらい寝たら?」
栞はオレを気遣うように声を掛けてくれる。
オレは、たった一日ぐらいの徹夜したぐらいなら、体調に支障は出ない。
昔、水尾さんから説教をくらった時は、三日ほどまともに寝ていない状態で、護衛として昼夜問わずずっと気を張っていたこともある。
しかも、兄貴から無言で緊急信号が出され、セントポーリア王妃の私兵に追われている可能性も高い状況だった。
今でこそそれなりに自信がついているが、その当時のオレは、まだ兄貴以外の人間との対人戦の経験が少なかったのだ。
その上、追ってくると予測されていた王妃の私兵を撒くためにいろいろ思考し、魔法を使いつつ、人間界以外で初めて国外に出たという緊張感もあったのだ。
そんな無茶をすれば倒れて当然だと今なら分かる。
そして、当時のオレは、思い出したくもないほどいろいろな面で救いようがない阿呆だったと言える。
そのまま無理を通して、道中で無様に意識を飛ばさないで済んだことを水尾さんに感謝したい。
他の王族や貴族なんかほとんど知らないが、護衛をここまで心配する主人はどれほどいるのだろうか?
トルクスタン王子はそう言ったことを気にするタイプではないし、水尾さんも一日ぐらいなら恐らくそこまで心配はしない。
護衛、従者は本来、そういうものなのだから。
実際、水尾さんがオレを心配してくれたのは徹夜三日目だったしな。
「そうしたいのはやまやまなんだが……」
実際、休んだ方が調子も体力回復にも良いことなんて分かっている。
だが、一つ大きな問題があった。
「トルクが起きてこないとどうにもならん」
交代要員がいない状況で、無防備に寝るわけにはいかん。
もしくは、明るくなってからなら、起きてきた水尾さんに栞を任せて、少しだけ仮眠もとれるだろう。
「それなら、わたしが起こしに……」
そんなとんでもないことを口にするものだから……。
「それは止めろ。頼むから」
最後まで言い終わる前に、本気で懇願した。
「なんで?」
「咄嗟の対抗策を持たないお前は、男の寝室に立ち寄るな」
栞の強さを疑うわけではない。
そして、「魔気の護り」の優秀さも身に染みて分かっている。
万一、トルクスタン王子が栞に対して邪なことを考えたとしても、魔法が使える場所なら、問題なく吹っ飛ばすだけの力はあるのだ。
それはカルセオラリアの王族とか関係ない。
単純な魔力の差だった。
セントポーリア国王陛下の血を濃く引いている彼女は、アリッサムの王族が一瞬でも恐怖を覚える程度の脅威を纏うようになった。
中心国の中でも、魔力で劣るカルセオラリアの王族が、単純な魔力勝負で勝てるはずもない。
だが、その「魔気の護り」にも発動条件がいくつかある。
その中でも、栞が身の危険を覚えるというのが一番分かりやすいが、ほんの僅かな時間でも、そんな恐怖を味わわせたくはなかった。
分かってる。
オレが言うなという話なのは。
「分かった」
少し考えたが、詳しく説明を求めることもなく、栞は承知した。
「思ったより、あっさりと理解したな」
「そう?」
そのことに逆に警戒してしまう。
「『魔法が使えるようになったから大丈夫!』とか言うかと思っていた」
突然、強力な力を持ってしまった人間は、能力を過信してしまうことがある。
特に、これまで「無力だ」、「非力だ」と悩んでいた人間は、その傾向が高いと思っている。
それも、彼女の場合は、誰の目に見ても明らかなほどの力を身に付けている。
だから、「無力ではなかった」、「非力ではないのだ」と、妙な自信となって、厄介な方向へと転がってもおかしくはない気がしたのだが……?
「いや、九十九の言う通り、まだ咄嗟に使えるかは分からないから」
オレの言葉を受けて、思ったよりも冷静にそう言う。
そういった意味では、まだ彼女自身は、自分に自信がないということなのだろう。
そして同時に、男の寝室へ単身乗り込むことの危険性をある程度理解していることでもあった。
その部分については、いろいろと複雑な心境になってしまうが、彼女自身にそういった危機意識が芽生えたことだけでも良しとしよう。
「まあ、お前の場合、下手に戦闘態勢になってない方がかなり強かったりするけどな」
実際、変に意識があると彼女は相手のことを考えて我慢してしまう部分がある。
だが、本来、自動的に発動するはずの「魔気の護り」を自分の意思で無理矢理、抑え込むこと自体おかしいのだ。
「へ? 今、なんて言った?」
「何でもねえよ」
聞こえていなかったのならそれでよい。
意識させる方が面倒だ。
軽く手首を振ったり、屈伸をする。
一晩中、栞の傍に座って自分の幸福を噛みしめていたせいか、少しだけ、身体が鈍っている気がした。
長時間、同じ姿勢でいるのは、肉体的には良くないな。
精神的にはかなり満足しているのだが。
「じゃあ、ここで寝る? 何かあったら呼び起こすよ」
そう言って、栞が胸元に下げていた小袋から通信珠を取り出した。
ちゃんと身に付けているようで安心だ。
恐らく、オレが渡した髪留めも、同じように下げているのだろう。
しかし、よく考えれば、あの通信珠は魔力珠と同じようにオレの魔力が込められているんだよな?
傍からは、栞の胸元にオレの魔力の気配が集中していることになるのか。
……うん。
深く考えてはいけない。
そして、誤解するやつは誤解してくれた方がこちらにとって好都合だ。
この前の元神官のように、体内魔気の気配に鈍感な人間でない限り、誰のモノかは分からなくても、それなりに親しい人間がいることは分かってくれるだろう。
「止めとく」
栞の提案は却下だ。
彼女一人にここを任せることはできない。
そんなことをするぐらいなら、徹夜した方がずっとマシだ。
「リヒトが起きたら、ヤツにトルクを起こさせる」
それが一番、誰にとっても安全な方法だろう。
水尾さんが起きたらここを任せても良いと思ったが、よく考えれば、これから魔法がほとんど使えない場所に行く予定があるのだ。
トルクスタン王子やリヒトどころか、栞よりも体力も筋力もない水尾さんには、少しでも体力を温存していて欲しい。
「ちゃんと寝る気はあるんだね」
栞は嬉しそうに笑った。
「当たり前だ。昔、水尾さんに叱られたからな」
「そう言えば、そうだったね」
栞も思い出して笑った。
きっと、オレのことをかっこ悪かったとか思っているんだろうな。
だが、事実だから仕方ない。
みっともなくて情けない思い出。
だが、あの出来事がなければ、オレこそ自分の能力を過信したまま、もっとみっともない姿を晒していたことだろう。
「まるで、ミヤみたいで懐かしく思えた」
「へ?」
つい、最近会ったせいか。
ふとそんなことを思い出した。
「ミヤもよく、オレや兄貴が無茶したら、叱ってくれたからな」
それも言って聞かせるわけではなく、実際、その状況に落とし込んで、どこが悪かったのかを自省させるのだ。
文字通り、何度も泣きを見た。
「言葉の強さで優しさを誤魔化している辺り、あの2人はよく似てるよ」
水尾さんも同じタイプだ。
本当は優しく気遣う人なのに、その言葉の強さで他人を無闇に寄せ付けまいとする。
尤も、当時のオレは、ミヤの優しさなんてほとんど気付かなかった。
言葉の強さと厳しさしか分からなかったのだ。
ある程度、成長した今だからはっきりと分かることもあるし、見えるものもある。
もし、栞の夢の中で逢うことができなければ、その部分は今でも気付けなかったかもしれない。
いや、水尾さんを知らなければ、そんな優しさの種類もあるのだと知らなかったかもしれない。
「水尾先輩より、ワカに似てない?」
栞は頬に手を当てながらそんなことを言った。
「似てねえ。ミヤと若宮を一緒にすんな」
確かに素直じゃない所は似ているかもしれない。
だが、ミヤはあそこまで捻くれていないし、自分の勝手な思いだけで他者に迷惑をかけても当然だと思うようなタイプではない。
できる限りの下準備をした上で、関係ない他人は巻き込まないようにする。
そして、愛情の出し惜しみはされなかった。
追い込まれるまで素直にならなかった、相手からの出方を待っていたどこかの王女殿下とはその部分が明らかに違う。
ミヤは、自分が気に入った相手に対してそれを隠さない。
異性でそんな対象がいたかはともかく、好きな相手には警戒心を解くために全力で体当たりをすると言っていた。
実際、オレたち兄弟には全身全霊をかけて養育してくれたし、千歳さんとの付き合いもそんな始まり方だったらしいので、それなりに信憑性は高い話だろう。
情報国家の国王陛下の妹だけあって、頭脳派なイメージはあるが、基本は体育会系だ。
だから、若宮とは似ていないし、水尾さん寄りだよなと思う。
何より、若宮とは最大の違いがあり、水尾さんとは強力な類似部分がある。
ミヤドリードは胸がなく、かなりスリムな体型だった。
昔は、もっとあるような気がしていたが、夢の中で彼女に抱き締められた時にはっきりと確信してしまった。
あると思っていたあの胸が、実は、作られたものだったことに。
肉体は誤魔化せても、その魂までは誤魔化せないらしい。
そんなどこか少しだけ悲しい事実に気が付いてしまったのも、一種の成長……、なのだろうか?
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