夜明け前だよね
「メモ!!」
わたしが目を覚まして開口一番に飛び出した言葉はそんな単語だった。
「ほら」
だが、動揺することもなく、九十九はわたしに筆記具と紙を渡す。
「ありがとう」
それを受け取り、思い出せるだけ夢の内容を書こうとして、ほとんど何も覚えていない自分の記憶力に愕然とした。
とても大事なことを夢に視た気がするのに、この手は動こうとしない。
わたしは一体、何の夢を視たのか?
そんな疑問すら湧いてくる。
「どうした?」
「思い出せない……」
なんとも情けない声が口から出てくる。
起きた直後にはとても大事なことだと思ったのに、その大事なことは何一つとして覚えていなかった。
「夢ってのはそんなもんだ」
「でも!」
忘れてはいけない夢だったはずなのに……。
そこで、ふと気付く。
「あれ? ここは……?」
波の音が聞こえて、九十九が何故か真横にいる。
そして、室内でもなく、寝具と言えるのも毛布ぐらいだった。
「目が覚めたか?」
「目は覚めた……はずだけど、改めて、ここ、どこだっけ?」
水平線の向こうが少し薄っすらと白くなっている空の感じから、時間は夜明け前だとは思う。
でも、周囲を見回すが、薄暗いこの場所に覚えがなかった。
「大気魔気からウォルダンテ大陸近くであることは間違いないな。トルクは『音を聞く島』と言っていた気がする」
「『音を聞く島』……?」
疑問を口にしながらも、少しずつ記憶が蘇っていく。
わたしたちは乗っていた船が事故によって、転覆して、この島に辿り着いたこと。
幸い、水尾先輩とトルクスタン王子、リヒトとは合流できたけど、まだ雄也さんと真央先輩が見つかっていないこと。
そして、一方的でこちらの話を聞いてくれない変な女の人と会ったこと……、までは思い出した。
「九十九はずっと起きていたの?」
「ああ。栞がここで寝てるのに、オレも一緒に寝るわけにはいかないだろ?」
彼は護衛だ。
だから、その言い分はよく分かる。
でも……。
「え……? もしかして、わたしのせいで眠れなかった?」
わたしがここで寝てしまったために、護衛である九十九が眠り損ねてしまうのは別の話だろう。
「違う。オレが交代する時にも、まだ起きないなら、お前を抱えて行くつもりだった」
それはそれで、ちょっとどうかとは思うが、眠っている時、九十九に抱えられて運ばれるのは、割と、わたしの日常のような気がしている。
「単純にトルクがまだ起きてきやがらねえんだよ」
口は悪いけど、そこに苛立ちは感じられない。
「夜明け前だよね?」
「夜明け前だなあ」
水平線の色が少しずつ変わっていく光景を見ながら言ったわたしの台詞に九十九も同意してくれる。
どうやら、トルクスタン王子は、見張りの交代をしてくれなかったらしい。
「それで、どんな夢を見たんだ?」
「うぬぅ。それが、ちょっと思い出せなくて……。折角、筆記具と紙を準備してくれたのに、ごめんね」
忘れてはいけない夢だったことは間違いないのに。
「いや、別に。寝ている時に『メモが欲しい』って言っていたから、起きたら必要かなとは思っていた」
「へ? め、めも?」
「ああ。メモ」
それは、恥ずかしい!!
そんな寝言を聞かれていたなんて……。
いや、よく考えなくても、彼は何度もわたしの寝姿を見ているのだ。
つまり、何度も寝言を聞いていても不思議ではない。
「ほ、他には何か言ってなかった?」
「他? ああ、確か、『なんて勝手な』とか……。『考えが間違ってなければ』とか、なんかいろいろ言っていた気がするけど。悪い。そんなに重要なことだとは思っていなかったから、オレもメモってねえ」
「いや、大丈夫」
そんなにしっかり聞き取られていても、恥ずかしいだけだ。
なんだろう?
今まで意識していなかったけど、寝言を再現されるってこんなにも恥ずかしいことなんだね。
「変な顔をしてなかった?」
「変な顔?」
「いや、寝てたから……その……」
自分の両頬を撫でる。
これまで、気にしてなかったけど、よだれとかも心配になってきた。
「オレを寝具にする女が何を今更」
九十九が呆れたように肩を竦める。
「大体、見張りしているオレが、必要以上にお前の寝顔を観察していると思うか?」
そう問いかけられて考える。
「確かに」
わたしみたいに寝顔をしっかり観察して絵を描くわけでもない。
精々、呼吸の状態を見るとか、健康観察をされる程度だろう。
九十九は護衛なのだ。
だから、分かりやすく危険が迫っていない限り、わたし自身を見るより、その周囲に気を配っている方が正しい。
「でも、少しぐらい寝たら?」
「そうしたいのはやまやまなんだが、トルクが起きてこないとどうにもならん」
「それなら、わたしが起こしに……」
「それは止めろ。頼むから」
「なんで?」
「咄嗟の対抗策を持たないお前は、男の寝室に立ち寄るな」
「……分かった」
確かに、世の中の男性、全てが九十九のように寝起きがよく、安全とは限らないのだ。
寝惚けている状態の異性に近付いて、そのままうっかり口付けられても困る。
「思ったより、あっさりと理解したな」
「そう?」
「『魔法が使えるようになったから大丈夫!』とか言うかと思っていた」
「いや、九十九の言う通り、まだ咄嗟に使えるかは分からないから」
以前の皆でやった「魔法勝負」は、常に戦闘態勢だった。つまり、身構えていたし、心の準備もしていたからわたしでも魔法が次々と出てきたのだ。
でも、日常の思考になっている今の状態で、即座に反応して魔法が使えるかと言われたら、瞬間的に頭を切り替えられる自信がまだない。
そう考えると、どんな状況でもいきなり魔法が使える彼らは本当に凄いと思う。
「まあ、お前の場合、下手に戦闘態勢になってない方がかなり強かったりするけどな」
「へ? 今、なんて言った?」
九十九が小さな声でボソリと何か呟いたが、考え事をしていたために聞き逃してしまった。
「何でもねえよ」
九十九が溜息交じりでそう言った。
どうやら、もう一度言ってくれる気はないらしい。
手首を振ったり、屈伸したりと身体を軽く動かし始めたけど、これってもしかして眠いのかな?
「じゃあ、ここで寝る? 何かあったら呼び起こすよ」
わたしは胸元の小袋から通信珠を取り出す。
海水に浸かっても、わたしの通信珠もちゃんと光っているから使えそうだ。
九十九は少し考えて……。
「止めとく。リヒトが起きたら、ヤツにトルクを起こさせる」
「ちゃんと寝る気はあるんだね」
少しだけほっとした。
九十九は無理してしまう人だから、ちょっと心配だったんだ。
「当たり前だ。昔、水尾さんに叱られたからな」
九十九は困ったように笑う。
「そう言えば、そうだったね」
「まるで、ミヤみたいで懐かしく思えた」
「へ?」
九十九が微かに笑ったのが、なんとなく意外に思えた。
ミヤって、九十九の師匠であるミヤドリードさんのこと……だよね?
「ミヤもよく、オレや兄貴が無茶したら、叱ってくれたからな」
その顔はとても、穏やかで、なんだろう?
いつもの九十九とは違う気がしたのだ。
「言葉の強さで優しさを誤魔化している辺り、あの2人はよく似てるよ」
そう言って面白そうに笑う。
でも……。
「水尾先輩より、ワカに似てない?」
少なくとも、過去視で視た時に、細かくは覚えていないけれど、なんとなく、ワカに似ていると思った覚えがあった。
「似てねえ。ミヤと若宮を一緒にすんな」
九十九の中では違うらしい。
その感覚は、付き合いの長さのせいか?
それとも見えている面が違うためなのか?
今のわたしにはよく分からなかった。
もし、ミヤドリードさんのことをわたしがちゃんと覚えていたのなら、九十九と同じような感想を抱くのだろうか?
でも、妙にお節介なところとか。
皮肉気な口調とか。
敵に回したら、容赦がなさそうなところとか。
自分が気に入っている相手を揶揄って楽しむところとか。
少し過剰なスキンシップをしてくるところとか。
ちょっと分かりにくくはあるけれど、愛情豊かなところとか。
とても、よく似ている気がするんだけどね。
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