忘れていたこと
『ふ?』
わたしは気が付いたら、空中にいた。
飛べるようになったわけではない。
自分の手足も見えない意識だけの状態。
それなのに、周囲の景色は夢とは思えないほどはっきりとしている。
これはアレだ。
いつものように過去を夢に視ているのだろう。
わたしの「過去視」は基本的に第三者視点……、俯瞰からの映像だったりする。
そして、自分の姿すら見えないことの方が多いのだ。
だから、触感と呼ばれるものは存在しない。
基本的に視覚と聴覚情報だけ。
そして、目が覚めると忘れてしまうような、見ている意味を感じない夢ばかりだった。
いや、現実でも心のどこかで覚えているのかもしれないけど、思い出せないのだから忘れていると言っても問題はないだろう。
周囲を見ると深い森のように見える。
どこかで見たことがあるような気がするけれど、森って基本的に似ているので、自信はない。
だが、そこにいる人たちは明らかに見覚えがあった。
そして、そのために、ここがどこで、いつの時代かが分かってしまう。
『迷いの森……』
わたしは無意識にそう口にしていた。
「じゃあ、行こうか」
その場所でそう口にしたのは黒髪の青年……、雄也さんだった。
彼の両肩には、褐色肌の耳が長い少年リヒトと、紅い髪の青年ライトの姿がある。
その後ろに九十九を背負った水尾先輩とライトの妹であるミラ、そして、わたしの姿があった。
これは、わたしがはっきりと覚えていない時間……、「迷いの森」で、リヒトを連れ出したあの日だ。
時期としては、ストレリチア城から出た直後だから、もう一年ぐらい前になるのかな?
でも、こんなに最近の出来事を夢に視るなんて、多分、これまでになかった気がする。
わたしが視る「過去視」って、基本的にかなり昔のことが多かったりするのだ。
そして、人間界にいた時のことは思い出として夢に見ることはあっても、全ての映像が鮮明な「過去視」とは全く違うものしかなかった。
だから、こんな近年の、今の「高田栞」となってからの記録を、客観的に見るのは初めてだと思う。
でも、この時のわたしは、別のワタシだった。
過去の記憶が表に出ていた状態。
それも、雄也さんと九十九の兄弟と出会う前の時代のワタシ。
今のわたしも、この時のことは印象的な部分だけ、朧げに覚えてはいるのだけど、ここまではっきりとしていなかった。
「短い期間ではありましたが、世話になりました。我が主を保護してくださった事に感謝します」
雄也さんがいつものように礼儀正しく挨拶をする。
『感謝など不要だ。早く行け』
それに答えるこの人は、確か、この長耳族の集落の長と言っていた人だった。
「では、失礼いたします」
不快感を全面に出している長の言葉を気にもかけず、雄也さんは最後まで礼儀正しさを忘れず、一礼をする。
「世話に、なりました」
「ました~」
雄也さんに続き、水尾先輩とミラがその長の前を通り過ぎる。
水尾先輩はともかく、ミラの方はもはや、挨拶と呼べるものではないと思うのはわたしだけか?
そして、どこか迷いつつも、皆に付いて行こうとする自分。
「では、失礼致しました」
一礼して、そのまま立ち去ろうとした時、長耳族の長が、過去のワタシの意識が出ている「シオリ」の肩を掴んだ。
そして、いきなり肩を掴まれた「シオリ」は、その黒い瞳を大きく見開いて、長を見つめている。
「あの……?」
『お前が本物の「聖女」かどうかは、これから分かるだろう』
驚きを隠さずにその真意を質そうとした「シオリ」の言葉を無視して、長はそんな勝手なことを口にした。
そして、ここでも出てくる「聖女」という言葉。
しかも、同じ人類ではなく、「長耳族」という精霊族の口から聞くと、なんとも言えない気分になる。
でも人類にとって、「聖女」が特別視されるのは分かるけど、精霊族にとっても特別な存在なのだろうか?
『我が目を裏切るな』
「は……? それは……一体?」
相手の言葉の意味が分からず、聞き返す「シオリ」。
この時のわたしが、「高田栞」ではなく、過去の「シオリ」の記憶であれば、聖女についての知識などほとんどないはずだ。
仮に少しぐらい知識があったとしても、セントポーリアの……、この世界で一番有名な「聖女」のことしか知らないだろう。
でも、この時の長は、「シオリ」の心も読めているはずだ。
つまり、肉体はともかく意識が別人に変わっていることは理解していると思う。
それなのに、何故、こんなことをわざわざ呼び止めてまで言うのだろうか?
『穢れと災い、共にすれば必ずやお前の身に降りかかる。その時お前がどう動くかで、お前の資質が問われることになろう』
そんな一方的な言葉を聞いて、「シオリ」は、迷わず反論する。
「あの子が穢れではないことを証明いたします。私の身に何もないことが一番の証明でしょうから」
この辺り、過去の「シオリ」は、何度も夢に出てきている5歳のワタシとはどこか違う気がした。
あの娘はもっと臆病で、常に周囲の目を気にして、身内には気が強いことを言う割に、信用できない人に対しては距離をとって怖がる素振りを見せるような娘だった。
でも、この反応はどちらかと言えば、今のわたしによく似ていると思う。
この頃のわたしが、こんなに落ち着いた反論ができるかは分からないけれど。
そう言えば、少し前に九十九もそんなことを言っていた。
この時の「シオリ」は、「高田栞」の意識に引っ張られていたんじゃないのか? と。
さらに、彼の知っている「シオリ」は、知らない人間に言い返すなんて気の強い真似はしたことがないとも言っていた覚えもある。
あの言葉は本当にビックリしたのだ。過去視で視ていたワタシとあまりにも違うから。
あれ?
でも、九十九が知っている昔のワタシは3歳から5歳の間で、この時の意識は、ライトとの会話から考えてもその前、つまり、3歳のワタシであるはずだ。
そうなると、わたしって、もしかしなくても、歳を重ねるごとにその思考や言動が幼くなってきている!?
いやいやいやいや!!
そんなはずはない!!
『この大陸から西……、お前たちがウォルダンテと呼ぶ大陸に向かう途中に島がある。そこへ行くが良い』
「島?」
あれ?
それって……?
『行けば分かる。話はそれだけだ。去れ』
言いたいことだけ言って、長は、振り返りもせずに進んでいく。
「シオリ」は少しの間、その背を見つめ、雄也さんたちの後を追いかけて行った。
だけど、わたしの意識はそのままここに留まっている。
それよりも今の長の言葉はどういうこと?
いや、落ち着け?
わたしも暫くの間、この台詞を覚えていたはずだ。
だから、わたしも次の目的地にウォルダンテ大陸にあるローダンセに行くことを望んだのだ。
でも、「ゆめの郷」での出来事でいろいろ吹っ飛んでいた。
もしかしたら、まだ忘れていることっていっぱいあるのかもしれない。
どうして、わたしはこうも忘れっぽいのか!?
『「聖女」よ』
わたしの混乱を他所に、また声が聞こえる。
そちらに顔を向けると、長耳族の長が立ち止まって、「シオリ」が駆けていった方向を見つめていたのだ。
『アレの鎖を断ち切ったことに感謝する。アレはここにいてはならぬ者』
その言葉を聞いて、わたしは叫びたかった。
なんて、勝手な人なんだ!? と。
この場合、「アレ」とは間違いなくリヒトのことだろう。
文字通り、彼は鎖に繋がれ、大樹に縛り付けられていたのだから。
でも、あの鎖を断ち切ることについては、この長にだってできたはずだ。
最初の状況はよく分からないけれど、恐らく、彼らの勝手な意思で、リヒトを縛り付けていたはずだから。
それに、この集落にいてはいけないというのなら、もっと早く別の人間たちにリヒトを預けることもできたと思う。
そうすれば、リヒトはきっと、同族に虐げられる必要もなかったはずなのに。
その時はわたしたちと出会うこともなかっただろう。
それでも、数十年も苛め続けられるよりはずっとマシな未来だったと思う。
『まあ、ここで考えても詮無きことだ。私は私のすべきことをしよう』
ああ、なんで、今、わたしは意識しかないのだ!?
今、「高田栞」の肉体があれば、この人に向かって迷うことなく「風魔法」をぶっ放すのに!!
わたしは、そう叫びたかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




