見捨てるという選択肢がない
何も考えていないような顔をして、実は、色々と考えている主人だ。
その思考は時々、明後日な方向へと邁進していくことも多々あるけれど、基本的に、この女の頭は悪くないし、本好きなためか、かなり読解力もある。
呑気な言動とどこか幼い見た目ほど鈍くもないし、状況を察する能力だって年齢相応にあるのだ。
一部に特化して鈍い部分がある気がしなくもないが、それを除けば、鋭い部類に入るとオレは思っている。
だから、その結論に行きつくことに驚きはなかった。
「それじゃあ、先ほどの女性が言っていた『番い』って、リヒトのことだと思う?」
ついさっきまでここに、「長耳族」の血が入っていると思われる「狭間族」の女がいた。
その女は、「適齢期」になったので、「番い」、この場合、伴侶を探していると言っていたのだ。
そして、こちらにも、同じく「適齢期」に入ったばかりの「長耳族」の連れがいる。
それも、この島に来ると同時に成長しているのだ。
それらを偶然だと片付けることができるはずもない。
だが……。
「知らん」
断言はできない。
判断材料が足りないというのもある。
何より、その二人は出会ってすらいないのだ。
「あの『狭間族』の女は、恐らく、リヒトよりも『長耳族』の血が薄い」
「なんで、分かるの?」
栞はその大きな瞳を瞬かせる。
「隠れ方が下手だった」
「ふお?」
「『迷いの森』の長耳族たちは、あの時、水尾さんや兄貴にすら、その接近を気付かせなかったらしい」
「そうなの?」
栞はその大きな瞳を瞬かせる。
あの時は、オレはほとんど意識が吹っ飛んでいた。
だから、その様子を聞いた限りの話となる。
オレを気にかけてくれていた水尾さんや、たまたま共にいたミラはともかく、周囲を警戒していたはずの兄貴すら、すぐに気付くことができなかったと聞いている。
それだけ、完全に森……、いや、自然と同化できる種族だということだ。
だが、あの女は、あっさりとオレにその気配を掴ませた。
わざとと考えもしたが、あの様子ではそういった駆け引きにも慣れていない。
思ったことをすぐ口にしてしまう単純さは、トルクスタン王子が言っていた通り、未熟で、まだまだガキってことだ。
「それに、心を読めないとも言っていた」
あの女が全て本当のことを言っているかは分からないが、隠し事ができるようなタイプには見えなかった。
恐らく、本当に相手の心は読めないのだろう。
それらのことから、同じ長耳族の混血児であっても、リヒトよりもそれらの能力が劣ると判断できる。
リヒトは、完全に気配を消せるようになっている。
自然の少ない所では難しいらしいが、それでも、ストレリチアの大聖堂で兄貴が瀕死状態だった間に、訓練を重ねていたのだ。
その甲斐あって、あの「ゆめの郷」で、オレが役に立たなかった時は、かなり兄貴の手助けをしていたと聞いている。
混ざった血が人類だったことが良かったかもしれない。
不都合があったのは言語だけだったから。
他の精霊族の血が混ざっていたら、もっと反発して面倒だった可能性もある。
「うん。言ってたね。それにわたしも、彼女から心を読まれている気はしなかった」
思い当ることがあるのか。
栞も納得するように頷いている。
「あれだけわたしの頭の中には『長耳族』のことや、リヒトのことが頭をチラついていたのに、『番い』に拘っているあの人が、何も反応しないのはおかしいとは思ったんだよ」
なるほど……。
それは分かりやすい判断材料だ。
栞はまだ心を防御することができない。
リヒトに言わせれば、「他人に自分の心を読まれることに抵抗がほとんどない」こともその理由の一端ではあるそうだ。
それだけ、彼女の心の中には疚しいものがないのだろう。
羨ましい限りだ。
オレなんか、表情すら気を遣わなければいけないような状況なのに。
特に目の前の女に対して。
尤も、オレもそれ以外の人間相手なら、別に自分の本音が駄々洩れていたとしても別に構わないのだ。
この胸の内で、常に激しく動き続けている思考や感情を知られてはいけないのは、この主人にだけ。
彼女以外なら、オレの気持ちが伝わっていても何も問題はない。
「ただ、雄也さんや真央先輩を助けようとすれば、どうしたって、また会うことになるよね」
どうも、この反応から、あの「狭間族」の女と、リヒトを会わせたくはないらしい。
それについてはオレも同感だった。
だから、栞自身も心に思っていたことをわざわざ口にはしなかったのだろう。
「リヒトとお前だけ置いて行くっていう手もあるぞ」
その方が、安全だろう。
そして、オレもそっちの方が安心できるのだ。
「わたしは魔法が使えそうなのに?」
「魔法は攻撃や自衛の手段の一つでしかない。実際、そんな空間内でも、兄貴は一暴れしているみたいだからな。だから、いくらお前が魔法を使えるからといって、危険があると思われるような所に連れて行きたくはない」
それに魔法が使えなくても、攻撃や守りの手段があったとしても、オレの能力が半減することに間違いはない。
万全の状況でないため、彼女を守り切ることが難しくなる。
それが分かっているのに、得体が知れない場所に栞を連れて行きたくはなかった。
「で、でも……」
「行きたいんだろ?」
「ふへ?」
恐らくは、オレから「危険だから同行するのはダメだ」と、反対されると思っていたのだろう。
オレの言葉に栞は目を丸くした。
こんな顔も可愛いが、今はそんな個人の感想を横に置いておく。
「お前のことだ。どうせ、兄貴たちが気になって、じっとしていられないんだろ?」
自分の身内を見捨てることができない主人は、大丈夫と分かっていても、その無事を確かめたいだろう。
それは、オレが信用できないわけじゃなく、単純に、彼女自身の心の問題だ。
少しでも早く助けたい。
無事な姿を見たい。
それが、自分勝手な思いであり、そのことが、かえって邪魔になると分かっていても、彼女の中に、見捨てるという選択肢がないことをオレは知っている。
尤も、オレ自身は兄貴がどうなろうと知ったことではない。
本当にヘマをして、何者かの手に落ちていたとしたら、それは自業自得でしかない。
だから、見捨てても、文句は出ないだろう。
真央さんにしても、オレたちがそこまで面倒を見る義理はないのだ。
何かあれば、主人が悲しむから……。
ただそれだけの理由で、気にかけているだけの話。
「だから、勝手に動かないことを条件に、連れて行く」
そうは言っても、この女は感情よりも先に身体が動くことがある。
だが、前もってそんな約束をしていたなら、行動する前に少しぐらいの抑止力にはなるだろう。
いきなり動くよりは、ほんの一、二秒程度の時間、迷ってくれるだけでも十分だ。
「九十九は、『ダメ』って言うかと思っていた」
「正直、言いたい」
そこを隠す気はない。
「だが、目の届かない所で無茶な行動に出られるよりは、手の届くところで守る方がオレの精神衛生上良いことも分かっている」
全く自分の目も手も届かないところにいる不安を知った今。
安全な場所でも自分の目が届かない所に置きっぱなしよりは、多少の危険があっても傍にいてくれた方が、オレの気は楽になるらしい。
それは傲慢な考え方だと知っている。
彼女はオレがいなくても、十分すぎるぐらい強いのに。
「まるで保護動物のような扱いだね」
栞は呆れたようそう言うが……。
「立派に保護対象者の自覚はあるか? 日頃の鳴き声からして立派に珍獣だとは思うが……」
「酷いっ!!」
「そう思うなら、時々出る珍妙な声を直せよ」
「勝手に出てしまう声に責任はとれないよ」
そう言って、頬を膨らませる。
「明日は置いて行かないから」
「ふぬ?」
オレの言葉の意味が分からなかったのか。
そして、やはり珍妙な声を出した。
「ちゃんと一緒に行くから、今は寝ろ」
「あ、う、うん!!」
オレのそんな一言だけで、栞は嬉しそうに笑った。
そして……。
「安心したら、なんか眠くなっちゃった」
そう言いながら、目を擦って、そのまま、ぱたんとその場に倒れる。
「おいこら」
声を掛けるが、反応はない。
そのまま、くぅくぅと寝息が聞こえてくる。
「せめて、布団で寝ろ!!」
今は見張り中なので、コンテナハウスへ運び込むこともできない。
仕方なく、毛布を召喚して眠っている栞の上に掛ける。
だが、それ以上の余計な手出しはしない。
天井のない屋外で、いつものように宙を舞えば、どれだけの高さを飛ぶかなんて想像するだけで恐ろしい。
それでも邪な気持ちがなければ大丈夫だと言うことも学習している。
なんとなく、髪を撫でると、栞の頬が緩んだ。
それだけで満足できる自分を安い男だと自覚しつつも、考えてみれば、中心国の王族で、「聖女の卵」でもあるこの女が、寝ている間に触れることを許されている人間だということでもある。
そのことを、誇らしくも思うのだった。
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