森を進もう
城下の森に入ってから、しばらく二人で進んで行くと、かなり広い場所に出た。
そこで九十九はぴたりと足を止める。
「うわっ! おっきな池!!」
足を止めた九十九の背後からひょこりと顔を出した栞は、思わず感嘆の声を上げた。
彼女の言うとおり、二人の目の前は少し開かれており、上に広がる青空も見える。
何よりも大きな池が光を受けてキラキラと輝いていた。
そこに流れ込む小川などは見当たらないから、地下から湧き出ているか、雨水などによる溜池なのだろう。
だが、九十九はどこか納得がいかないように首を傾げる。
「……? こんなに小さかったか? しかも何か違う気が……」
「小さい? こんなに大きいのに?」
栞は目を丸くする。
彼女が知る限り、このサイズの池というのは、大きな公園や農業用水などに使われる溜池でしか見たことがない。
深くはなさそうだが、縮尺二百分の一くらいの地図ならちゃんと表記されることは間違い広さがあった。
いや、空は見えるとはいっても、周囲は森の木々に阻まれているために、現実的には森としか地図の表示されないかもしれないのだが。
「いや、オレの記憶ではもっとこう……」
九十九は記憶との違いを何度も確認していた。
彼は、池の周囲を測るように手を動かす。
「10年前ってことは5歳でしょ? それだけの年齢差があれば、視点も視野も変わってるんじゃない?」
九十九と違って、その場所に何の思い入れもない栞はそんな可能性を口にする。
彼女からしてみれば、この景色だけで十分、見応えがあるものだったのだ。
「やっぱりここじゃねえ!!」
しかし、栞の言葉を否定するように九十九は大きな声で叫んだ。
「迷ったってこと?」
「違う! お前と一緒にすんな! この池がいつの間にかできてんだよ!」
「10年もあれば池ぐらいできるんじゃない?」
どさくさに紛れて酷いことを言われていたが、栞は気にした風でもなく、そんなことを言った。
「そんなわけあるかよ……と否定できないのがこの世界だな」
九十九が否定しようとして……、何かに気付き深く息を吐く。
彼が言うように、魔界は長い間姿を変えること無い場所も多いが、ある日、突然、地形変動が起きることもある。
原因は、いろいろあるが、この世界において地形が変わる主な理由は魔法であることが圧倒的に多い。
具体的には植物が枯れたり、円形状の穴が空いたりというような具合である。
自然にとってはいい迷惑な話だが、何度破壊しても元に戻るというそれ以上の回復力を持つ場所もあるので、魔界での人間と自然の勝負は割と引き分けなのかもしれない。
「ここは広場だったところだろう」
九十九は記憶を頼りに、一致する箇所を思い出す。
思い出は遠い過去となってはいたが、それでも彼にとっては忘れてしまうほど昔でもなかったようだ。
10年という長い月日が経ったとしても、上書きできないほど彼にとっては思い出深い場所だったのだから。
「……ってことはこっちだな。よく見ると道が続いているし」
「道?」
栞の疑問は無理ないことだった。
九十九の目線の先にあったのは先ほど以上に、どう見たって獣道ですらなかった。
栞は思わず自分の視線を下に落とす。
歩くのは嫌いではないが、せめて道らしい道を歩きたいと思うのは人間として当然の希望ではないだろうか?
「行くぞ!」
「ま、待って!」
彼女の口から思わず出た制止の言葉は、その先に進みたくなかったからではない。
少し、池を見ていた栞は何かに気づいてしゃがみ込む。
「どうした?」
「大きな羽……」
そういった栞の指には白く大きな羽が握られていた。
「これって、動物園で見る白鳥よりも大きいよね? こんなに大きな鳥がここには来るの?」
因みに栞は「白鳥」と言っているが、その頭の中にあるのは、モモイロペリカンだったりする。
何故、彼女が全く違う鳥類であるペリカンとハクチョウを混同しているかは不明だが、平均的にはオオハクチョウと呼ばれる種よりは大きいことを追記しておく。
「いや、この森には大気魔気……磁場の狂いを嫌って、動物はこの上空すらほとんど来ないはずだが……」
九十九は栞が手にしている羽を見る。
その白く大きな羽は不思議な光を帯びていて、木漏れ日の光とは別種の輝きを見せていた。
敏感な魔獣ほど感覚を狂わせるというこの森の上空を飛ぶような鳥は多くないが、その羽は明らかに魔力を帯びているのはよく分かる。
いわゆる魔鳥と呼ばれる種類のものだ。
しかも、その羽を見た限り、決して弱い種類の魔鳥ではない。
そのことが、九十九の中に疑問を浮かばせる。
「……どこかで見たことがある気がするんだが……」
少なくとも、この場所で見た生き物ではないと思う。
それでも、九十九は、この羽根の持ち主と同じ種類の生き物をどこかで見たことがあるような気がした。
但し、その当時の彼はその生き物を脅威と思わなかったが、今の彼は警戒すべき対象と見なしている。
その違いが何を意味するのか。
それは彼自身にもよく分からない感覚であった。
「綺麗だね。真っ白なのに先っぽが不思議な光り方してるよ」
初めて見る神秘的なものに栞は思わず感嘆の息を漏らす。
普通に考えれば、これだけ大きな羽根を持つ生き物だ。
自分の身体よりは大きいことは間違いないと思うのに、それでも、この羽根が綺麗だと思えるのだから仕方がない。
それに、九十九と対象的に、栞にとってはこの羽根が自分を脅かすような存在のものとは思えなかったのだ。
「一応、拾っとくか。兄貴ならこの羽根について何か知っているかもしれないし」
「そうだね」
そう言って九十九は羽根を収納しようとして……、治癒魔法を使う。
本来、傷ついていないものに対して、治癒魔法は効果がないが、物に対しては別だった。
この場合、彼は意識的に印付するために使ったのだが……、その印付が弾かれたことに気付く。
少なくとも現時点で、自分の印付を簡単に撥ね飛ばすものだということは分かった。
それも、その生き物から独立している状態のものだ。
離れてどれくらいの時間が経過しているのかは分からないが、それでも、通常の魔鳥にはありえないものだということは理解できる。
過信するわけではないが、九十九は、自分の魔力をそこまで低いものとして見積もってはいなかった。
少なくとも、この国の名ばかりの貴族よりは強いものだと幼心にも思っていたぐらいだ。
それでも……こんな羽根一つ、印付できなかった。
まだまだなんだなと自分を戒める。
彼は栞に気付かれないように、こっそりと懐にその羽根を忍ばせた。
九十九と栞がこの羽根の持ち主を知るのはそれぞれ別の場所でのこととなる。
そして、2人とも、違った意味でかなり驚嘆することになるのだが、それはもう少し先の話。
そして、2人は再び道とは言えない場所を歩き出した。
どれくらい進んだだろうか?
「ここだ。間違いない」
九十九がそう口にした。
「ふい~、疲れ……た」
栞はその場に座り込む。
彼女からすれば、久しぶりの長距離移動。
それも道ではないような所を通ってきたのだ。
同じ道を同じように歩いてきたというのに、涼しい顔をして立っている九十九の姿が少し信じられなかった。
それは単純に男女の体力差というよりも、人間と魔界人の違いでもある。
しかし、それ以上に、目的意識があってそれを目指して進んだ九十九と、ただなんとなく付いてきた栞とでは体力の消費量も精神的な消耗も違うのだが、それなりに人間界で鍛えていたつもりの栞からすれば、あまり面白いことではない。
しかし、この先、何度も人間と魔界人の違いを自然に見せつけられて、暫くの間は、精神的に削られていくことになるのだが、この時の彼女は当然ながら、まだ知る由もなかったのだった。
補足として、主人公は、水面に浮かぶ白っぽい水鳥は皆、白鳥の仲間だと認識しております。
動物園の紹介板をしっかり見てほしいものですね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。