理解できない
―――― 彼らと出会って、ずっと不思議に思っていることがある。
「分かったら早く寝ろ」
どこかぶっきらぼうにそう言った黒髪の青年、ツクモの言葉に対して……。
「ん~。でも、まだ眠くないから、このまま眠くなるまでここにいても良い?」
黒髪の女、シオリは反応を窺うような仕草を見せた。
「勝手にしろ」
ツクモはさらに冷たく言い切ったのに……。
「分かった」
嬉しそうに笑いながら、シオリはツクモの目の前に可愛らしく座った。
いや、なんで、ここまで分かりやすく好意を示されているのに、ツクモは全く動こうとしないのだ?
この流れなら、多少、強引に抱き締めても拒まれないだろう?
彼女に対するツクモの気持ちはよく分かっている。
それは、あの「ゆめの郷」で嫌というほど見せつけられたから。
そして、そのツクモに対して、シオリも好意的な感情を見せているのだ。
しかも、「発情期」の被害にあったというのに、それでも彼から離れないのはそういうことなのだろう?
本当に傷ついて、顔を見るのも嫌になったのなら、護衛でも、距離を取らせることは可能なのだ。
だが、その気配をシオリからは感じない。
まるで、何事もなかったかのように、いや、前よりずっと親密な気配を出しているぐらいだ。
燃え上がるほどの高熱はなくても、強引に迫れば落ちそうな雰囲気を持っているのに、それでも、ツクモは全く行動しようともしない。
甘い言葉を囁きながら、力強く抱き締めて、その愛らしい色の唇に口付けるだけでも相手の感情は確実に変化する。
それだけのことが、そんなに難しいことなのか?
そんな俺の思考を無視するかのように、2人は他愛ない会話を続けている。
そんな付き合いで互いに満足しているように見えるのだ。
それが、俺には理解できない。
好きな女が手の届く場所にいて、その手を伸ばさない理由はなんだ?
手を伸ばさなければ、何も手に入らないのに、何故行動しないのだ?
どこかの王女のように恐ろしいほどの殺意を剥き出しにするような護衛はいないだろう?
寧ろ、お前たちがその立場にあるのに……。
異性が主人に近付くだけで、明らかな敵意を向ける護衛兄弟。
確かに彼女はそれだけ護られる立場にあり、かなりの能力も持っていることは、鈍い俺でも理解できる。
その上、小さくて愛らしい。
それだけでも、護衛としてではなく、男として護りたくなる気持ちもよく分かる。
だからと言って、その護衛が手を出してはいけないわけではないと思う。
はっきりと口に出されたわけではないが、あの魔力の強さと、魔法力の多さ、そして、魔法の才からも、彼女の父親は見当が付いている。
だが、あの方は公正公平な方だ。
少なくとも、出自や身分で差別するような方ではないと思っている。
そんな人が託したのだ。
それは、手を出しても良いと信じられているからではないのか?
ツクモとの会話に、シオリはくるくるとその表情を変える。
以前に比べて、彼女はこれまでにいろいろな出来事に巻き込まれてきたせいか、大分、落ち着いた表情になってはいるのだが、それでも、ツクモやユーヤ、ミオの前ではその表情が全然、違うのだ。
あれを見て全く、心を動かされない男がいるだろうか?
自分が発する言葉に対して、素直な反応を見せてくれる女性。
特に今の嬉しそうな顔なんか、ツクモも我慢しきれずに口元が緩んでしまったぐらいだった。
やはり、良いよな、あの娘。
見ているだけで心が安らぐ。
どこかの狂暴な幼馴染たちとは全然違うのだ。
あいつらは見ているだけで、背筋が凍る気がする。
まあ、「ゆめの郷」では、少し可愛らしい面を見ることができたのだが、その後は反動なのかかなり酷かった。
ユーヤはよく回避したものだ。
アイツだって、同じような立場だったのに。
今回だって、膝枕中に少し太股を触っただけで、その場にあった凶器で思いっきり殴られたぐらいである。
あれは、照れ隠しだとしても限度があるだろう。
シオリが、ツクモとユーヤがとても大事にしている主人なのは勿論、承知だ。
だが、ヤツらがシオリに手を出す気が本当に欠片もないというのなら、それはあまりにも勿体ないだろう。
女の盛りは短いと言うのに。
実は、国元に婚約者がいるという話も聞いたことがない。
そんな存在があれば、俺がシオリに求婚した時に、そう言って断ったことだろう。
シオリはああ見えても、もう18歳だという。
十分、適齢期の女性だ。
だから、何も問題はない。
俺との年齢差も2歳と少し。
釣り合いとしては良いだろう。
だが、あの護衛たちの目をかい潜って彼女に手を出すのは、かなり難しいというのも理解できている。
今でも、時折、こちらに牽制する気配があるのだ。
俺が「昏倒魔法」から目を覚ましたことに気付かれてはいるのだと思う。
よく考えなくても、「昏倒魔法」って俺を殺す気なのか?
最悪、永眠できる魔法だぞ?
それを躊躇なく使うって酷くないか?
俺が一緒にいることができるのは、ローダンセまでだろう。
その間に、少しでもシオリに近づきたいものである。
そして、この件に関しては、カルセオラリア国王陛下に許可は得ている。
「まあ、無理だろう」というありがたいお言葉と共に。
我が親ながら、辛辣な言葉である。
だが、少しぐらい希望を持たせてくれても良いじゃないか。
俺だって、本気で手に入るとは思っていない。
「雄也さんと真央先輩は、本当にこの奥にいると思う?」
不意にそんな声が耳に届いた。
マオとユーヤを心配しているらしい。
心優しいとは思うが、アイツらは心配するだけ馬鹿を見る。
どうせ、この奥で、また良からぬことを企んでいることだろう。
精々、国際問題にならない程度にして欲しい。
ここは既にウォルダンテ大陸。
この島の管轄は、確か、連合だったはずだ。
我がスカルウォーク大陸にある「迷いの森」と同じような扱いの保護区域だったと記憶している。
名前は確か「音を聞く島」だったか?
まあ、ユーヤなら知っていることだろう。
王族である俺よりも詳しいぐらいに。
このウォルダンテ大陸は、魔獣や精霊族が多く溢れる大陸だ。
大陸としてはそこまで大きくもないのだが、他大陸より大気魔気の穢れが少なく、人間が落ち着いて住めるような場所が少ないためとも言われている。
尤も、人間と共存できているわけではなく、単に互いの支配領域に不可侵となっているだけだ。
だが、万一、その領域に入り込んでも、話し合いの余地があれば命を取られるようなことはない。
会話が通じれば……だが。
「兄貴宛に通信珠が作動しないからな。この結界の中にいることは間違いないだろう」
この島では通信珠は作動しない。
通信珠は、大気魔気を利用して、目的の場所まで声を飛ばす装置だ。
だから、大気魔気が大陸とは違った流れとなっている場所では混信し、うまく音が伝わらなくなるらしい。
精霊族が定住するような場所には、精霊族独自の結界が張り巡らされているところが多いのだ。
だが、結界には必ず、範囲というものがある。
この島を全て覆いつくすほどの大きな結界にしてしまえば、海に、海獣たちの領域にもかかるため、精霊族たちもそれは避けたかったようだ。
かつて、存在した幻の大陸が今はないのも、海獣たちの怒りに触れたためだといわれている。
海獣たちは、他種族の生物が自分たちの住処である海に対して、永続的に手を加えることは許さない。
神に近いとされる精霊族も、大気魔気を乱すだけでなく、天候を操ることもある海獣を敵に回したくはないらしい。
ツクモたちは、素直に海岸からこの島まで辿り着いたから、結界の範囲外に来ることができた。
だが、俺たちは、海から直接、島の中へ移動魔法を使ってしまった。
だから、結界内に思いっきり飛び込んで、通常と違う大気魔気によって、自身の体内魔気が変調させられたのだ。
この結界は大気魔気を利用することに慣れている魔法の使い手ほど、その影響は大きいだろう。
古き時代に存在したという「古代魔法」なら、大気魔気の影響を受けない可能性もあるが、体内魔気が調子を狂わせている時点で、あまり期待はできない。
そして、完全に自身の体内魔気で魔法を行使できるような古代魔法の使い手は、現代ではほとんど存在しないとも聞いている。
つまり、この結界の起点があるはずの場所、この島の中央に向かうほど、俺たちは魔法が使えなくなるということになる。
「そっか……。じゃあ、頑張らないとね!」
いつも頑張っている娘はさらに頑張るという。
そんな彼女を見て、ツクモは気遣うような瞳を見せた。
そんな瞳を向けるぐらいなら、「無理するな」と抱き締めれば良いのに。
少なくとも、俺ならば、そうする。
自分が好きな女性が明らかに無理すると分かっていて、わざわざ無理をさせる気が知れない。
実際、シオリは頑張りすぎて倒れてしまうような娘だ。
緊急時でもないのに魔法力を枯渇状態に追い込むまで魔法を使い切るとか、護衛が傍にいながら、させて良いような行いではない。
好きな女とかは置いておいて、護衛だというのならその手前で止めるべきだろう?
どうも、ツクモとシオリの関係は、どこか歪な気がしてならないのだ。
そこに、俺の知らない事情があるとは思うのだが、それだけで、あんなに不思議な関係性が出来上がるものなのか?
俺がそんなことを考えていた時。
『そこの人間たち』
そんな声が聞こえてきたのだった。
長くなってきたので、この話で、69章は終わります。
次話から第70章「音を聞く島」となります。
ここまでお読みいただきありがとうございました




