触れられたいと思うか?
「前から思っていたけれど、高田は九十九のことが嫌いなのか?」
「嫌いじゃないですよ」
お風呂から出た後、髪を乾かしながら言われた水尾先輩の言葉にわたしは即答する。
あんなに「良い男」を嫌いになる理由がない。
「でも、恋愛的な意味ではよく分かりません」
これはずっと、誰に聞かれても同じようにわたしは答えている。
そして、水尾先輩の質問としても、こっちの意味での質問なのだろう。
「分からない?」
水尾先輩は目を瞬かせた。
「九十九のことは嫌いじゃないです。それは間違いない。でも、異性として彼を求めているか? と問われたら、それとはなんか違う気がします」
確かに、「発情期」中の九十九に対しては、それに近い感情を持った気がしなくもない。
でも、あれは単純に身体の反応だったのだと思う。
その、今までになかった感覚を欲したというか……。
あれ以上の感覚を求めたくなったというか。
「九十九に触れたいとか思わないってことか?」
「触れたい?」
水尾先輩からそう言われて、改めて考えてみる。
それに近い感覚は何度か持ったことがある気がした。
主に、絵の資料として……が多いけれど、流石にそんなことは言えないよね。
それに、自分から「触れたい」と思わなくても、あの「重い宣誓」以後、彼はわたしに触れてくるようになった。
それは、男慣れをしていない主人を慣らす意味だと聞いているので、彼の方には、そういった意図はないのだろう。
そして、わたしも、何度か慣らされているうちに、彼に手を伸ばして自分から触れること自体は抵抗が無くなっている。
あの「ゆめの郷」で、昼も夜も同じ空間で過ごしたせいだろうし、寝る時も一緒の布団に包まれたせいでもあるのだろう。
実際、あの港町で変な神官たちに絡まれた時は、人前だと言うのに、九十九に張り付いてしまったぐらいだ。
「もしくは、九十九以外の他の異性を触れたいと思うか?」
「いいえ」
考えるまでもなく、口から否定の言葉が出た。
触れるのは九十九だけで十分だ。
それ以外の男性は別に要らない気がする。
絵の資料としても、彼が極上の題材になってくれるのだから。
それに、わたしは彼に触れるよりも、その声を聞きたいと思ってしまう。
抱き締められることはそこまで抵抗がなくても、あの甘い声が耳元で囁くと、あまり耐えられないのだ。
「それが、答えなんじゃないのか?」
「そうでしょうか?」
そう言われても、やはりよく分からない。
スキンシップされるよりも、あの声の方が良いとか思っているぐらいだし。
それに……。
「それなら、水尾先輩も九十九のことが好きなのですか?」
「は?」
水尾先輩は目を丸くする。
「触れたいと思うのが、恋愛感情の一種なら、膝枕中に彼の頭を撫でたくなった水尾先輩にもその気持ちがあると思ったのですが……」
違ったのかな?
でも、そう言うことになるよね?
今度は逆に水尾先輩が考え込んでしまった。
「あれは、無意識だったからな……」
それは深層心理というやつではないだろうか?
無意識に彼に触れたいと思って、そこまで考えて、少し、喉が何かが詰まったような気がした。
「高田は、九十九に膝枕をしたことはあったよな?」
「一応……」
「その時はどう思った?」
「確か……、『足が痺れた』だった覚えがあります」
「ああ、そう言っていたな」
水尾先輩が苦笑した。
三年ぐらい前に、九十九が無理をして一睡もしていない時期があった。
それに気付いた水尾先輩の策略によって、九十九は意識を飛ばし、そのすぐ近くにいたわたしの膝が犠牲になったのだ。
実はそれ以降にも膝枕やそれ以外の枕を彼にする機会があったが、それを言うと、また揶揄われそうだったので余計なことは言わないようにする。
「でも、高田はあの『ゆめの郷』でも、九十九からかなり可愛がられただろう? 『発情期』以降にも」
「ああ、同じ布団で寝るだけでなく、『イチャイチャしろ』と誰かから命令があったらしいので、止む無くそんな状況になりました」
いくら、あの「ゆめの郷」の人たちや、ライトやミラを釣るためとは言っても、あれはちょっと酷いと思う。
そのおかげで、少しは異性からの接触に対して、耐性が付いたと言えなくもないのだけど、やっぱり、嫌なタイプから手を握られたいとは思えないな。
「あれをちゃんと言ったのか、九十九……」
内容的に言わないはずがないと思う。
「水尾先輩だったのですか? その命令」
「いや、マオだったよ。私は『合意なく悪さするな』とは言った」
「正常の九十九がそんなことはしませんよ」
そんな意味でわたしに「悪さ」をしたのはたった一回だけ。
でも、その時の彼は、九十九だけど九十九ではなかった。
今や、「発情期」の心配がなくなった九十九が、わたしの合意なく「悪さ」をするなんてあまり考えられない。
「で?」
「はい?」
水尾先輩の瞳が妖しく光った。
「どこまで『いちゃついた』?」
そして、好奇心に満ち溢れた瞳を向けられる。
「体内魔気の状態で、ある程度のことは、分かるのでは?」
だから、わたしたちは仕方なく、一緒の布団で寝ていたのだし。
「引っ付いていたのは分かるけど、どこまでやってるかは私には分からん。マオなら分かるかもしれないけどな」
「実際、同じ布団で引っ付いて寝ただけですからね」
「それこそ、胸を鷲掴んだりとかは?」
「なかったですね」
それをされたのは「発情期」中だ。
あれは本当に痛かった。
ああ、だから、胸が大きくなるとしても、異性から掴まれたいとは思えないのかもしれない。
「九十九は、なんと言うか、『ヘタレ』だな」
「そんなところで妙な根性を出されても困ります」
尤も、彼だって「うっかり触れることはあるかもしれない」とは言っていた。
でも、実際はそんなことは一度もなく、わたしの扱いとしては、本当に壊れモノのように大事にされたと思う。
彼自身、「男としてのオレは信じるな」とは言っていたのに、それでも、彼は抱擁と額や頬などへの口付け以上のことはしなかった。
それに、まあ、そんなことをされても許してしまう程度に、わたしも彼に対して、気を許していることは認める。
それ以上のことを既にされているというのも勿論、あるだろう。
だけど、彼が正気になった今。
あそこまでの行為をされるとはあまり思っていない。
「……と言うことは、一緒の布団で寝ただけってことか? その……、手を握ったりとかは?」
「抱き締められはしましたよ。後、頭を撫でられていました」
隠すほどのことではないので言ってしまう。
「好意の有無に限らず、布団の中で、異性相手にそこまでしておきながら、それ以上、手を出さないなんて不能か?」
酷いことを言っているのは分かる。
でも……。
「『不能』な人は『発情期』が来るのでしょうか?」
少なくとも、ウィルクス王子には来なかったと聞いている。
つまり、九十九は「不能」ではないだろう。
それに、ミオリさんがわたしの姿となって「命令」した後、記憶には残っていなくても、そういった行為ができたみたいだし。
「まあ、結局、九十九はあの『ゆめ』とヤったみたいだからな」
それを、はっきりと口にしてしまうのはどうかとも思うけど。
「だから、もう安心、安全なんですよ」
「本当に安全かは分からないぞ?」
水尾先輩がそんなことを言うものだから……。
「じゃあ、水尾先輩は九十九が『危険な男』だと思いますか?」
思わずそう返していた。
「トルクや先輩に比べてかなり『安全な男』だと思う」
「でしょう?」
尤も、安全の度合いで言うならば、一番、安全なのは雄也さんだとも思っている。
水尾先輩は割と酷いことを言うし、雄也さん自身がそう言ったことをあまり否定はしないのだけど、わたしに対しては、九十九以上に安全で安心な男性だ。
なんと言うか、あまり性的な匂いを感じさせないような?
でも、上手く言えない。
男性の魅力は充満しているけれど、それが自分に向けられる気がしないのだ。
それに、たまにわたしに対しても女性が喜ぶような甘い言葉を口にすることもあるけれど、それが本心ではないと思っている。
あの人の挨拶、社交辞令のようなものだ。
甘い言葉に関しては、九十九の方が、絶対にタチが悪い。
女性が喜ぶ言葉ではなく、わたしが困る言葉を選んでくるのだから。
トルクスタン王子は言動も結構、露骨で隠さないし、なんとなく、前に求婚されたこともあって、少し、離れていたい部分はある。
距離を置きたいのは、昔の旧友に顔がよく似ているせいもあるだろう。
あの人はもっと無口で、他人に対して愛想もなかったけれど。
中学生でどこか達観しているような少年だった。
実はもっと年上でも驚かない。
ああ、そう言えば、あの人も魔界人だったね。
「まあ、私から言えることはただ一つ。トルクだけは絶対に止めとけ。あの男はセクハラが過ぎる」
「そんなに嫌だったんですか? 太股を触られたのが……」
「嫌だった」
水尾先輩はきっぱりと言い切った。
言われてみれば、九十九から何度か触れられているけど、その中に、「怖い」はあったけれど、「嫌」はあまりない気がした。
でも、それは「ゆめの郷」で会ったソウも同じだ。
ちょっといつもの自分とは違う精神状態ではあったけれど、ソウから触れられた時も、そこまで嫌だとは思わなかった。
最終的には思いっきり拒絶したけど。
他の人から触れられたら、もっとその違いが分かるのかな?
一瞬だけそう思ったのだけれど、よく考えれば、自分がよく知らない男性から触られたいとは、わたしは全く思えないのだった。
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