本当に面倒な感情
「話がついたら、とっとと来い!!」
少し苛立つようにミオがそう叫んだ。
その叫びも、本当は、羞恥を誤魔化しているようにしか見えないが。
「はいはい、お手柔らかにお願いします」
ツクモがそう言いながら、素直に従う。
その姿を、シオリはどこか複雑な面持ちで見守っていた。
「良し! 来い!!」
何故か自身の両膝を叩いて呼ぶミオ。
「なんとも色気のない誘い方だな……」
そう言うトルクスタンもどこか複雑そうな顔をしていた。
こんなところが、人間は面倒な生き物だと思う。
「色気のある誘い……とは?」
2人から顔を逸らすように、トルクスタンの話題提供に乗るシオリ。
トルクスタンも、何かを誤魔化すように自分の顔を片手で隠しながら上を向いた。
「あ~、これをミオがすると違和感しかないだろうな」
そう言うと、いろいろな言葉が流れていく。
その中の大半の意味は分からないが、「恥じらい」はともかく「薄い布」、「綺麗な足を惜しみなく見せつける」などの単語は、あまりミオには合わない気がした。
『まずその装いをミオがするとは思えん』
ミオを含めて、身近な女たちはあまり素肌を見せない。
カルセオラリア城でも、ストレリチアの大聖堂でも、女という種類の人間たちはあまり自分の肌を見せようとはしなかった覚えがある。
暫く、滞在した「ゆめの郷」という場所で、初めて、素肌を見せても平気な女たちもいることを知ったぐらいだ。
まあ、種族が違う俺にとっては、人間の肌が見えようが見えまいが、大した問題ではない。
ツクモやトルクスタンのように、そのことによって、自分の感情が激しく揺さぶられることはないのだ。
「うわっ!?」
不意に聞こえたツクモの叫び。
「「へ?」」
それに気付いて、2人から目を逸らしていたシオリとトルクスタンが同時にそちらに顔を向けた。
そこには顔を真っ赤にしているツクモと、手を合わせて謝罪するミオの姿がある。
「いきなり何をするんですか!?」
「悪い! つい、こう、目の前に柔らかそうな黒い髪があったので、思わず……」
ツクモを膝にのせている間に、ふとミオがその頭を撫でたくなったらしい。
それは、ミオからすれば、自然な行動でも、ツクモからすれば、突然の行動だった。
「えっと?」
その状況に、シオリが戸惑いを隠せない。
『膝枕と言うのは罪深いものなのだな……』
男も女も惑わせることはよく分かった。
そして、巻き込んだ者も巻き込まれた者も、複雑な心境に陥ってしまうことも。
「オレの頭を撫でるなら撫でるってちゃんと言ってくださいよ。思わず、ビックリして叫んでしまったじゃないですか」
そう言いながらも、先ほどの自分の行いを反省しているツクモ。
確かに当人が考えているとおり、少し前、何も言わずにシオリの頭を撫でる行為をやった人間があまり大きく言えたことではない。
「すまん!! 本当に悪かった」
「こちらこそいきなり、大きな声を出してすみません」
お互いに謝る奇妙な状況。
「別に嫌だったわけじゃないんですけど。本当に驚いてしまっただけなので……」
「嫌じゃなかったのか?」
「頭を撫でられたりするのは不慣れですけど、別にそこまで嫌なことではないですよ」
ツクモはもともと、自分からシオリ以外の人間に触れることはない。
言い換えれば、シオリにしか触れない男だ。
だが、異性が苦手というわけではなく、単に自分が触れたいと思うほど、他人に興味が湧かないらしい。
「だけど、すまん。これじゃあ、私もトルクと変わらない」
だが、目の前で落ち込む人間を見て、罪悪感を全く持たない非情な人間にもなりきれない男でもある。
「大丈夫ですよ。あれぐらいならセクハラにはならないので」
そして、人並みに、異性に興味がないわけでもない。
実際、ミオの膝枕は悪くなかったようで、少し、口元が緩んでいる。
「それで、どうだった?」
「はい?」
ミオの問いかけの意味が分からず、そのまま問い返す。
「その……、足……」
その言葉をミオが絞り出すのはそれなりに勇気が必要だったのだろう。
言葉も途切れがちだった。
「どんなに魅力的な足でも、何も言わずにいきなり撫でまわすことはしませんよ」
その後が怖いことをツクモは知っているからな。
「ほら、見ろ! トルク。世の中、お前みたいに本能だけで突っ走った行動をとる男ばかりじゃない!!」
ミオは勝利宣言のようにトルクスタンに向き直るが……。
「本能だけで、ツクモの頭を撫でた女に言われてもなあ……」
「ぐっ!!」
トルクスタン自身は既にその言葉を準備していた。
ただその言葉に含まれた棘を隠しきることができていない。
「男性の欲望と、女性の母性本能を一緒にされても困るなあ……」
さらに始まったミオとトルクスタンの口論を見ながら、シオリがそんなことを呟いた。
その言葉にもシオリにしては珍しい種類の感情が込められている。
「母性本能?」
「誰かの頭を撫でたいって気持ちは、母性本能に近いと思うよ」
「つまり、オレはガキ扱いされたってことか?」
シオリの言葉にツクモはどこか不服そうだった。
だが、その反応の方が、シオリは気にかかったようだ。
「じゃあ、九十九は……、水尾先輩から男性として頭を撫でられたって思った?」
そう言った直後に、シオリは自分の口を押さえた。
ちょっと言い過ぎたと思っているのだろうが、ツクモは気付かずに……。
「あ~、確かに水尾さんからすれば、オレはガキだよな」
何かを考えるように上を見ながら、どこか呑気にそう言った。
「大体、普通の殿方は、あんな流れで膝枕をされないと思うのですよ?」
「いや、逆にあの状況で、オレが断れたと思うか?」
シオリの言葉にツクモは不満を隠さない。
「王族たちの命令だぞ? しかも、唯一、拒絶できる立場にある主人は迷いもなくオレを売るし……」
ツクモは不服そうにそう言った。
本人にしてみれば、不本意だったのだ。
できれば、主人に止めてほしかったと願うのは当然だろう。
「……あ?」
シオリは一瞬考え……。
「あ~、そうなるのか」
納得したように手を打った。
「お前……」
ツクモも、シオリがそのことに気付いていなかったことに、気付いていなかったらしい。
面倒な事態になったから、その早期解決のために自分が売られたと思い込んでいたようだ。
「誰が好きで水尾さんから膝枕をされるかよ」
「九十九は、水尾先輩のこと好きじゃないの?」
シオリは純粋な疑問を浮かべる。
これは、特に深い意味はなく、単純に「ミオは良い人間なのに嫌いなのか?」という問いかけだった。
「そう言った話じゃなくてだな?」
一瞬、ツクモは眉間に縦皺を刻み込んだが……。
「あの状況でオレが自分の意思だけで断るのは、水尾さんにも恥をかかせることになるだろ?」
「そうなの?」
シオリは不思議そうに問い返す。
「それに、あそこまで彼女自身が、お膳立てをしてくれたのに、拒絶するなんて、男としてできると思うか?」
その辺りの感情は俺にはよく分からない。
「わたしも水尾先輩があそこまでムキになるとは思わなかったけれど……」
少し考えてシオリが小さな声で言った。
『人間の感情は本当に面倒なものだな』
少し離れた場所から、見ていた俺はそんなことを言うしかなかった。
自身の感情すら制御できず、大きく振り回されているのに、常に誰かの感情も気にかけている。
自分に余裕があるわけでもないのに、他者にまで手を伸ばそうとする気持ちは、俺には本当に分からない。
その伸ばされた手を掴んだところまでは良いのだが、この先もずっとこの手を掴み続けることもできないのだ。
そして、拒む理由もない。
だが、分かっている。
ずっとこのままでいることはできない。
それぞれの感情が揺らぎ、それに合わせて周囲の人間関係が少しずつだが、確実に変化していく。
だから――――――。
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