こいつは何を言ってるんだ?
「話がついたら、とっとと来い!!」
今から膝枕をしようとしてくれる相手はそんなことを叫んだ。
「はいはい、お手柔らかにお願いします」
本当に妙なことになったとは思う。
だが、王族の命令を拒絶する立場にオレはない。
水尾さんはアリッサムの第三王女で、こんな状況になるように仕向けたトルクスタン王子はカルセオラリアの第二王子……、しかも、現状、王位継承権第一位となってしまった。
当人は嫌がっているようだが、現状ではそうなっているのだから仕方ない。
何より、主人である栞が許可したなら、命令ではなくても、オレは従うしかないのだ。
「良し! 来い!!」
水尾さんが、両膝を叩いて、オレを呼ぶ。
まるで、そこには男女の甘い雰囲気など一切感じさせないように。
逆にその気遣いは本当にありがたい。
優しく甘やかな声で彼女から誘いをかけられたなら、オレも流石に戸惑う。
「それでは、失礼します」
だが、相手から願われたとは言っても、オレだって緊張はする。
それも栞にはしない種類の緊張だった。
水尾さんは、口がかなり悪いけど、顔は良い。
その口だって、一時は真央さんぐらいに落ち着いていたのに、トルクスタン王子と再会した後、また昔の口調に戻ってしまったのだ。
まるで、何かを隠すかのように。
それは少しだけ勿体ないとは思うけど、同時に、水尾さんらしいとも思えてしまう。
この口調は、彼女なりの異性に対する防御だと分かっているから。
水尾さんの太股に頭を載せさせてもらうと、栞とは違う感触と香りがした。
細身だから太股はもう少し固いかと思ったが、やはり柔らかい。
男の筋張ったものとは全然違う。
いや、男から膝枕をされた覚えなんてないけど。
なんとなく、変な気分になる。
妙に落ち着かないのだ。
栞の時は確かに緊張したけれど、力も抜けたのに……。
しかも、それを促した男はこちらの様子を窺いながらも、呑気に栞と会話していた。
さらに、栞自身はこちらをちらりとも見もしない。
あの女は、どれだけオレに興味がないんだ?
何も言わず、こっちを見ているのはリヒトだけだった。
その紫色の瞳にどこか非難するようなものがあるのは気のせいか?
だけど、この流れはオレのせいではないのだ。
そんな表情を向けられても本当に困る。
この状態はいつ解放されるのだろうか?
おい、こら、お前ら!
自分の言動には最後まで責任を持ちやがれ!
無視して話を進めるな!!
オレがそんなことを思った時、ふわりとした柔らかい感触が頭にあった。
「うわっ!?」
それが、水尾さんの手だと気付いた瞬間、オレの口から叫び声が上がる。
自分に危害を加えるような魔法の気配があったわけではないのだが、一瞬、何をされたのか本当に分からなかったのだ。
反射的に距離を取りたくなって、思わず飛び起きた。
「いきなり何をするんですか!?」
「悪い! つい……」
水尾さんは手を合わせて頭を下げ、謝罪をしてきた。
「こう、目の前に柔らかそうな黒い髪があったので……、思わず……」
続けられた言葉から、水尾さんに頭を撫でられたと思ったのは、どうやら気のせいではなかったらしい。
栞からの「なでなで」とはまた違った感覚だった。
今更、この人がオレに対して何かをすると本気で思っているわけではない。
それでも、どこか不意打ちを食らったような気分になったのは事実だった。
「オレの頭を撫でるなら撫でるってちゃんと言ってくださいよ。思わず、ビックリして叫んでしまったじゃないですか」
なんの心構えもない状態で、いきなり自分の髪を撫でられるのは、心臓に悪いことはよく分かった。
栞の頭を撫でる時は気を付け、そう言えば、さっき、オレも無許可で彼女の頭を撫でてしまったな。気を付けよう。
「すまん!! 本当に悪かった」
「こちらこそいきなり、大きな声を出してすみません」
何度も頭を下げられると、こちらの方が悪い気がしてくるのは何故だろう?
「別に嫌だったわけじゃないんですけど。本当に驚いてしまっただけなので……」
「嫌じゃなかったのか?」
「頭を撫でられたりするのは不慣れですけど、別にそこまで嫌なことではないですよ」
もともと、オレに触れてくるような人間は多くない。
人間界にいた時は、それなりにいた気もするが、この世界に戻ってからは何も考えずに触れてくるのは栞ぐらいだ。
それはそれでどうなのか?
あまり他者から触れられたいわけではないのだが、それでも、水尾さんが相手なら、そこまで抵抗があるわけではなかった。
ただ驚いただけだ。
「だけど、すまん。これじゃあ、私もトルクと変わらない」
露骨に悄気返る水尾さん。
いや、そこの王子殿下ほど包み隠さない発言をしたわけではなく、別にセクハラ行為をされたわけでもない。
だから、彼女がそんな顔をする必要はないのだ。
「大丈夫ですよ。あれぐらいならセクハラにはならないので」
緊張はしたけれど、水尾さんの太股は気持ち良かったしな。
ある意味、役得ってやつだ。
「それで、どうだった?」
「はい?」
「その、足……」
そう言えば、そんな話から始まったのだった。
「どんなに魅力的な足でも、何も言わずにいきなり撫でまわすことはしませんよ」
オレにだって理性ってものがある。
まあ、「発情期」で、一度、思いっきりぶっ飛んだけど。
だからこそ、前よりもずっと抑制できる気がしている。
自分が思ったままの行動をすれば、誰かが傷つくことも、誰かの怒りを買うことも、この身をもって思い知らされたから。
「ほら、見ろ! トルク。世の中、お前みたいに本能だけで突っ走った行動をとる男ばかりじゃない!!」
「本能だけで、ツクモの頭を撫でた女に言われてもなあ……」
「ぐっ!!」
トルクスタン王子の台詞に思わず言葉を詰まらせる水尾さん。
だが、女の太股を男が撫でるのと、女が男の頭を撫でるのでは、その意味合いは大きく違う気がするのはオレだけだろうか?
「男性の欲望と、女性の母性本能を一緒にされても困るなあ」
2人の不毛な口論を見ながら、栞がそんなことを呟いた。
「母性本能?」
「誰かの頭を撫でたいって気持ちは、母性本能に近いと思うよ」
栞はオレを見ながらそう答える。
「つまり、オレはガキ扱いされたってことか?」
それはそれでどこか複雑な気持ちになるのは何故だろうか?
そして、それは栞がオレの頭を撫でるのも、その母性本能からくるものってことなのだろうか?
「じゃあ、九十九は、水尾先輩から男性として頭を撫でられたって思った?」
言われて考える。
確かに、あまりそんな感覚はなかった。
いや、女が男の頭を撫でたくなるって感覚がよく分かっていないのだが。
本当に栞が言うように母性本能ってやつなのだろうか?
「あ~、確かに水尾さんからすれば、オレはガキだよな」
……と言うか、基本的にオレの身近にいる女どもは、オレのことを異性扱いしていない。
どちらかと言えば、専属料理人扱いだ。
「大体、普通の殿方は、あんな流れで膝枕をされないと思うのですよ?」
栞はそんなことを言うが……。
「いや、逆にあの状況で、オレが断れたと思うか?」
寧ろ、オレに他の選択肢があったと思うのか?
「王族たちの命令だぞ? しかも、唯一、拒絶できる立場にある主人は迷いもなくオレを売るし……」
オレがそう言うと、栞は一瞬、奇妙な顔をした後……。
「あ? あ~、そうなるのか」
と、手を打って、納得しやがった。
「お前……」
どうやら、気付いてなかったらしい。
「誰が好きで水尾さんから膝枕をされるかよ」
王族からの膝枕なんて命令でもない限りする機会はない。
いや、何よりも、異性から膝枕される機会なんてそんなに多くあるはずもない。
「九十九は、水尾先輩のこと好きじゃないの?」
こいつは何を言ってるんだ?
「そう言った話じゃなくてだな? あの状況でオレが自分の意思だけで断るのは、水尾さんにも恥をかかせることになるだろ?」
「そうなの?」
「それに、あそこまで彼女自身が、お膳立てをしてくれたのに、拒絶するなんて、男としてできると思うか?」
栞ほどではないが、彼女だってあまり異性慣れをしているとは言い難い。
だからこそ、日頃から粗雑な言葉を使って自身を護る必要があるのだと思っている。
それなのに、あそこまでしてくれた。
そんな相手に対して、拒絶するほど嫌がるのは、水尾さん自身の魅力の否定にも繋がる気がしたのだ。
「わたしも水尾先輩があそこまでムキになるとは思わなかったけれど……」
少し考えて栞がポツリと呟く。
そんなオレたちを見て……。
『人間の感情は本当に面倒なものだな』
少し離れた場所から、長耳族の青年が何故かそんなことを言ったのだった。
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