音のような声
「どうして成長したかは分からない……か」
九十九が、褐色肌の青年に向かってそう言ったのが聞こえる。
『トルクスタンは、「適齢期」に入ったんだろうと言っていた』
その言葉から、どうやら、わたしの思い違いではないようだ。
あの褐色肌の青年はリヒト……らしい。
でも、どうして急に成長したのだろうか?
「トルク……、他の皆は?」
混乱しているわたしと違って、九十九は動揺することなく、質問を続ける。
『他の連れはミオだけだ。マオとユーヤがいない』
水尾先輩とトルクスタン王子だけ?
え……?
ちょっと待って……?
真央先輩は普通の魔法が使えない。
しかも、彼女が使えるのは、修復魔法と治癒魔法だけだと聞いている。
雄也さんが一緒なら安心だけど、もし、2人が離れていたとしたら?
『トルクスタンは捜しに行きたいようだが、今は動けない』
「動けない?」
九十九が問い返す。
確かにリヒトが成長したとは言っても、一人でこんな場所に来ているのは変だ。
少なくとも、どちらかが付き添うと思う。
水尾先輩もトルクスタン王子も最低限、自分の身を護るぐらいの魔法は使えるのだから。
『ミオを庇って怪我をしたんだ』
その言葉にゾッとした。
水尾先輩は治癒魔法を使えない。
トルクスタン王子も使えないと聞いている。
それだけ、治癒魔法は難しいらしいのだ。
『死ぬほどではないらしいが……』
そう続けられて、胸を撫でおろした。
「つまり、水尾さんも動けない……か」
だから、リヒトが一人でここに来たのか。
多分、先ほどの九十九の探索魔法の気配を察したのだろう。
でも、怪我をしたトルクスタン王子をそのまま、魔法を使えないリヒトに任せるのは危険が大きい。
それでも、九十九は治癒魔法が使える。
下手に怪我人を動かさずには、その選択しかなかった。
『それも、俺のせいだ。ミオは俺を抱えていた。その時に、船の破片が……』
「状況は分かった」
九十九がリヒトの言葉を遮る。
恐らく、後に続くのは悔恨の言葉。
それを言い出したら、わたしは九十九がいなければ、ここにすら辿り着けなかった。
眠ったままだったわたしの手を掴んで、移動魔法を使ってここまで運んでくれたのは、彼だったのだ。
咄嗟の移動だったために、一度は、海に落ちたらしいけど、そこからさらに再度、移動魔法を使って、先ほどの砂浜に飛んだと聞いている
わたしは、何もできなかった。
ようやく、魔法を使えるようになったというのに、やっぱり何もできなかったのだ。
「栞、聞こえてたな」
「う、うん!」
九十九から呼びかけられて、慌てて返事をした。
相手がリヒトなら、隠れる理由はない。
「移動するぞ。治癒魔法を使えるのは、オレとお前しかいない」
「分かった」
確かにそうだ。
こんな所でぼーっとしている暇はない。
だけど、立ち上がったわたしを見て、何故か九十九は顔を顰める。
大きくなったリヒトもわたしの手を見ていた。
ああ、この蚯蚓腫れのような傷が見えたのか。
「大丈夫か?」
「うん」
そう言って、九十九は治癒魔法を使おうとするが、フッと効果が消えた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「い、いや、これは……」
慌てたように九十九は何度か治癒魔法を試すが、何故か、その効果を発揮する前に消えていることは分かる。
あれ?
でも、さっき、コンテナハウスを出したし、わたしを離れた場所に飛ばしたのも九十九だったよね?
「ふむ……」
わたしの魔法はどうだろうか?
使えるとは思うのだけど……。
『光れ』
一言だけ呟くと、わたしの両手の平に小さな明かりが浮かぶ。
うん、イメージ通りだ。
「九十九は、明かり魔法は使える?」
わたしの言葉に彼は思うところがあったのか……。
「照明魔法」
珍しく呪文詠唱をしたが、いつものように光は現れなかった。
しかも、体内魔気がその手に集まる様子もない。
「因みに……それは古代魔法? 現代魔法?」
「現代魔法だな」
そう言って今度は無詠唱で魔法を使う。
今度は、体内魔気の動きがあり、魔法の発動気配はあったけれど、やはり、形にならなかった。
そうなると、この付近に、何らかの作用が働いているということだろう。
結界……、とは違うのかな?
でも、結界はもっと奥にあるって言ってたよね?
「何故だ?」
九十九自身にも分からないらしい。
ここまで動揺するのは珍しいと思う。
だけど、九十九は魔法を使えなくても、わたしよりも凄いのだ。
わたしが魔法を使えるままなら、指示があれば少しぐらい補助はできるだろう。
でも、この違いって何?
魔力の違いってことはないだろう。彼だって魔力は強いのだ。
そうなると、何も考えないで使えるわたしの魔法と、魔界の原則に基づいて使う彼の魔法の違い?
『違う』
「「は?」」
いつもよりも低い声が、わたしの考えを否定するかのようなタイミングで聞こえた。
『シオリの魔法も、ツクモの「古代魔法」も自身の「体内魔気」を利用して、「大気魔気」への呼びかけているという点に差はない』
「「へ?」」
先ほどから、九十九と声が重なっている。
でも、リヒトはそれを気にするでもなく、さらに言葉を続けていく。
『「現代魔法」の方は呼びかけ方が違うのだな。「古代魔法」は全身からの呼びかけで、「現代魔法」は、手だけなのか』
全身からの呼びかけ?
そんなことをしているっけ?
「ちょっと待て?」
リヒトの声を九十九が遮る。
『なるほど、一般的な知識ではないのか』
その言葉から、それは魔界人の知識にはないのかもしれない。
「リヒトは、『大気魔気』が視えるようになったの?」
先ほどの言葉から、そうとしか思えなかった。
そして、長耳族であるリヒトだからこそ、魔界人の常識にない観点から視えるものもあるのだろう。
『「大気魔気」が、視えると言うか……。恐らく、お前たちとは違った形で視えていると思う。だが、上手く言えない』
「いつから?」
違った形ってどんなものだろう?
でも、港町ではそんなことは言っていなかった。
『この場所に、辿り着いてから……だな。気が付けば、身体がこのようになり、視える景色が変わった気がする』
視えるモノが変わった……。
その感覚に覚えがある。
あれは確か、ストレリチアにいた時のこと。
「わたしの魔力の封印が解放された時みたいな感じ……、かな?」
あの時のことをぼんやりと思い出してみる。
確かに今までと視界が変わったので、落ち着くまでに時間がかかった。
『ああ、それと似ているかもしれないな』
「リヒト、大気魔気がオレたちとは違った形で視えるってことだけど、どんな風に視えるんだ?」
九十九が自分の手を見ながら確認する。
『声……、いや……、音?』
どこか戸惑いがちな返事。
自分でもよく整理できていないのだろう。
「「音?」」
『この場所だからか、それ以外の理由があるのか分からないが、小さな……、聞き取りにくいモノが何か聞こえるのだ』
「聞き取りにくいモノ?」
それも声か音か分からないようなもの……?
「視えているわけじゃねえのか?」
わたしと同時に反応した九十九は、そちらの方が気になったようだ。
『お前たちのようにしっかり何かが視えているのではないのだと思う。それぞれの光……があって、そこから音が聞こえるようだ』
リヒトはわたしたちの心の声も聞こえている。
それなら、体内魔気からも何か聞こえているってことかな?
『恐らくは、お前たちが体内魔気として視えている色も少しだけ違っているのだと思う』
それは不思議ではないことだろう。
確認したことはないけれど、わたしと九十九だって、他人の大気魔気の感じ方が違う可能性はあるのだ。
『だけど、最大の違いは、お前たちが纏っているその光から、音のような声が聞こえているのだ』
リヒトの言葉であることに気付く。
大気魔気って精霊の一種だったはずだ。
もしかしたら、誰も知らないだけで、実は体内魔気も精霊みたいなもの……なのかもしれない。
人間界の科学的な見解では、その成分は違うけれど、大気も肉体も、原子……、分子から成り立っているという点では同じなのだ。
ずっと前に、楓夜兄ちゃんが言っていた。
人間界で言う原子……は下級精霊みたいなものだと。
ぬ?
するとこの肉体は無数の精霊によって造られているってこと?
うぬう。
よく分からない。
「いろいろ気になるけど、その辺の話は後だ。リヒト、2人の所へ案内はできるか?」
『ああ』
言われて思い出す。
トルクスタン王子は怪我をしているのだ。
こんなところでいろいろ結論の出ない話をしている暇はない。
だが……。
「移動先で、魔法が使えれば良いが……」
そんな小さな言葉が聞こえてきたのだった。
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