「聖女」と海を見た日から
「なんか、女どもに妙に生温かい目で見られたんだが……」
「女どもって……」
オレの言葉に栞が何故か苦笑する。
いつものように、料理を作り終えて、上に上がっていくと、三人の女たちからそれぞれ、「頑張れ」と肩を叩かれたのだ。
まあ、つまり、オレの気持ちは会って間もない人間たちにもバレてしまう程度にだだ漏れてしまっているらしい。
だが、オレには一般的な護衛の距離感というものが分からないのだ。
四六時中、護衛が主人と一緒にいることは珍しくない。
大体が交代制ではあるけれど。
だが、実際、これまで各国で城や城下、それ以外の町でそいつらを見たことはあるのだが、護衛たちが傍にいても、恋愛感情を主人に持っているようには見えないのだ。
まあ、女性主人が少ないこともあるかもしれないが、全くいないわけでもない。
そいつらと、オレとの違いは何だろう?
「彼女たちは恋をしたいらしいからね」
「恋?」
なんか変な言葉が聞こえた気がする。
「あの女たち、いくつだよ?」
思わずそう呟いてしまった。
どう見ても、栞の母親である千歳さんの方が若いだろう?
「女性はいくつになっても、女性なんだよ」
栞はそう言って笑った。
それって、その歳になっても特定の相手がいなかったってことだよな?
確かに魔界人は若く見えることは否定しないし、実際、外見だけではなく、身体機能もそう簡単に老化しない。
下手すれば、八十代でもまだまだ衰えずと言う話も聞くし、大神官の話では、百歳を越えてからの出産事例もあるらしい。
流石にそれは稀な事例ではあるとも言っていたが。
それでも、限度はあるだろう。
ああ、でも、栞は年を重ねても、変わらない気がしている。
惚れた欲目……、もあるのだろうけど、実際、あのセントポーリア国王陛下と千歳さんの娘なのだ。
あまり想像できない。
いや、千歳さん、この前、セントポーリア城に栞を迎えに行った時に見たら、絶対、若返っていた。
それは間違いない。
断言しても良い。
だから、栞も年を取らない気がしている。
いや、そんなことはないって分かっているのだけど。
ただ、それでも、少しでも長く隣で一緒に年を重ねられたら、と願うことは許して欲しい。
それが簡単には叶えられない望みだと知っているから。
「ああ、兄貴が明後日には出立できると言っていたぞ」
海を見ながら、話題を変える。
「明後日……、か。思ったより早かったね」
今は、海獣たちの「求愛期」ではあるが、この近くにいた「大型海豚」群れたちの内、一頭の雌が戦いを勝ち残り、他の雌たちが賞品……、もとい、雄が逃げぬように囲んだ姿を確認できたらしい。
その場所は航路から離れており、その海獣たちの習性から、恐らくは、3日、いや4日は、確実にその場所から動く心配がなくなったようだ。
そして、他の海獣たちが暫く近付く気配もない。
だから、暫くは、ウォルダンテ大陸方面の航路は安定するだろうとの見方だ。
「お前が望むなら、もう少し引き延ばすことはできると思うが……」
何も慌てて移動しなくても、海獣たちの「求愛期」や「生産期」が過ぎるのを待つだけで良いのだ。
だが、オレが何気なくそう言うと、栞は黙って首を振った。
「万一の時、巻き込みたくないよ」
その言葉が何を意味しているかは分かっているので、オレは何も言えない。
オレや兄貴が護るのは栞だけだ。
それ以外を護ることはできない。
だから、彼女の判断は間違っていないのだ。
これまで、オレたちが長期滞在したのはストレリチアぐらいだった。
理由としては単純で、そこの護りが普通よりも強固なことと、王族からそれを望まれたからでもある。
次いで長いのはカルセオラリア城だが、それも理由としては似たようなものである。
基本的に、オレたちはあまり長く同じところにはいない。
いるとしても、護りの結界が強くなければ長く留まることはできない。
リヒトと出会った「迷いの森」も、つい最近、滞在した「ゆめの郷」も、結界が強く、外敵に備えやすかった。
だが、この港町は違う。
スカルウォーク大陸にあるため、そこそこ強い結界はあるが、それは一般的な町として見た時であって、王族から逃げている人間を匿い続けることができるほどのものではないのだ。
しかも、今は栞と水尾さん以外にも王族がいる。
だから、栞の言葉は、そこまで的外れなものではない。
王族と言うのは、何故か総じてトラブルを引き寄せやすいのだから。
「分かった」
「だから、明日、ちゃんと言わないとね」
もともと長居をできないことは伝えてあった。
だからそこまで問題にはならないはずだ。
それに、あの酒場の店主は、大神官とオレたちが知己であることを知っている。
流石に、この栞が、大聖堂の奥深くに囲われているはずの「導きの聖女」と気付いてはいないだろうが、普通の女ではないことぐらい気付いているだろう。
まあ、立場上、下手に他言することはないとも思う。
還俗したとは言っても、あの大神官を敵に回せば、この世界のどこにも居場所がなくなることぐらい、神官の世界に身を置いていれば、嫌でも理解するしかないのだ。
「歌の方はどうだ?」
「流石に聖歌を歌えた『元神女』たちだけあって、上手いよ。声は、わたしよりも出るんじゃないかな」
「まあ、あの体格だからな」
誰一人として、栞より細い人間がいない。
三人とも体重は、オレよりも重いことだろう。
「何気に失礼なことを言ってるよ」
「声量は体格が良い方が出るだろう?」
別に悪い意味で言ったつもりはない。
圧し潰されたら、辛いとは思うだけだ。
「どうなんだろうね。オペラ歌手とか、どっしりした人が多い気がするけど、確か細い人もいなくはなかったと思うよ」
栞は唇を尖らせながら、首を捻っている。
18歳だと言うのに、相変わらずガキっぽい表情だ。
だが、そんな顔も彼女らしくて良い。
思わず微笑ましく思えてしまう。
「何?」
「あ?」
だけど、不意に栞から不思議そうに尋ねられた。
「いや、なんか今、不思議な顔をしてたよ?」
「不思議な?」
「ん~? 小さな子を見守るお父さんのような表……」
そこまで言って何かに気付いた栞は唇をまた突き出した。
「この場合の小さい子……って、もしかしなくてもわたしか」
「いや、オレも同じ年の子を持った覚えはねえぞ?」
そう言いながらも、ようやく気付いた。
オレが普通の護衛と違うのは、恐らく表情だ。
だが、こんなに可愛い主人を持っていたら、頬も口元も緩んでしまうのは当然じゃねえか?
いや、それを隠さないといけないのか。
同じ護衛である兄貴は栞に向かってずっと微笑んでいるが、並んでいても、違和感はあまりない。
なるほど……。
逆にどんなことに対しても表情の変化があまりないんだ。
だが、オレは何もない時に微笑むことはできない。
ああ、栞をずっと見ていれば、ずっと笑い続けることが、いや、それは根本的な解決にはなってねえ。
せめて人前では我慢する必要がある。
オレは口元に手をやって表情を押さえることに集中すると、それまで聞こえなかった波の音が聞こえてきた。
それが妙に落ち着く。
栞も暫く海を見ていたが、不意に、歌い出した。
聞き覚えのある歌だったので、邪魔をしたくないと思いつつ、彼女の声に合わせて歌いたくなってしまった。
人間界の中学時代。
音楽の教科書に載っていたクラッシックの一部を編曲した曲に、歌詞がついていた曲だ。
その表題に「海」が入っていたために思い出したのだろう。
本来は、混声三部合唱だが、今は二人しかいない。
だから、女声高音パートと男声パートだけとなるが、それでも十分だった。
中学生の時には分からなかった歌の満足感。
カラオケで流行りの曲を歌ったり、大勢の人間たちと声を揃えて合唱をしたりするのとはまた別の感覚がそこにあった。
ああ、そうか。
好きな女と一緒に歌うのは、こんなに幸せな気分になるのか。
栞が本当に嬉しそうに笑うから、オレも笑っていたのだと思う。
それがあまりにも楽しかったから、つい、栞が誘うまま、夜が更けるまでたっぷりと互いが知っている歌をいっぱい歌ってしまった。
尤も、誰にも聞かせたくはなかったから、栞に気付かれないように、遮音結界をこっそりと張っていたのだが。
この歌声と笑顔を知るのはオレだけで良いのだ。
この話で68章は終わります。
次話から第69章「音もなく訪れる」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




