「聖女」と楽器
「これは凄い」
九十九がリコーダーを吹く瞬間を見て、わたしは思わず、そう呟くしかなかった。
九十九が楽器を破壊する体質なのは、彼自身の口から聞いて理解したつもりではあったが、精々、吹いてもリコーダーにヒビが入る程度かと思っていたのだ。
だけど、いつから、リコーダーは風船のように一瞬で膨らみ、弾けて割れ飛ぶ物になったのだろうか?
……というか、何故、膨らむ?
空気抜けるはずだよね?
「人間界の物よりも頑丈な材質でできているのですが……」
恭哉兄ちゃんが破片を拾い集めながらそう言った。
どうやら、前途は多難らしい。
「これで満足か?」
九十九が手に残った部分をわたしに渡しながら、そう言った。
その顔は予想通りだったと言わんばかりの表情だ。
「九十九がリコーダーを吹くと、体内魔気の流れが一気に変わるんだね」
彼が演奏しようとする瞬間を見ている限り、そんな感じに見えた。
「変わってるのか」
九十九が眉を顰める。
それは気付いていなかったらしい。
本当に無意識ってことなのか。
九十九がリコーダーに息を吹き込む瞬間、何故か大量の空気の塊が大量に押し出されたように見えたのだ。
人間界にいた頃、軽く息を吹き込むだけで、その驚異的な肺活量により、一瞬にして革袋を破裂させるというネタをゲーム4コマで見たことがあるけど、それをリアル体験できるとは思っていなかった。
いや、アレよりもっと破裂しにくい素材のはずだけどね。
「恭哉兄ちゃん、わたしにもリコーダーを一つ、もらえる?」
わたしは、恭哉兄ちゃんにお願いする。
「はい、どうぞ。九十九さんも」
「ありがとうございます」
恭哉兄ちゃんから渡されては、無碍にもできないらしく、九十九は素直に受け取る。
「えへへ……」
わたしの手には、人間界で見たようなソプラノリコーダーがある。
中学生になってからアルトリコーダーを吹くようになって、ほとんど触れることはなくなった楽器。
こんなに小さかったかな。
こんなに細かったのかな。
わたしが使っていたソプラノリコーダーも。
「嬉しそうだな」
九十九にはわたしが嬉しそうに見えるらしい。
なるほど。
嬉しいのかもしれない。
いや、感覚としては、懐かしいの方が近いけど。
それでもわたしは喜んでいるらしい。
「嬉しい。まさか、この世界でリコーダーを吹けるなんて思ってなかったから」
素直にそう言った。
逆に九十九はなんとも言えない表情だ。
それはもう、「気が重い」を隠さずに全面に出している。
演奏をしようとするだけで、楽器を破壊してしまう彼だって、好きで破壊してしまうわけではないのだ。
何気なく人間界の曲を簡単に吹いてみる。
素材が違うせいか、人間界のものと少し違うし、心なしか僅かながらその音も高いような気がした。
でも、わたしは魔力の封印を解放した後だというのに、九十九のように破裂する様子はない。
九十九には悪いけど、そのことに少しだけほっとした。
どうやら、わたしは、楽器を弾けるし、吹けるようだ。
人間界の楽器はどうか分からないけど。
「いや、なんで、チャルメラなんだよ」
九十九は思わずいつものように突っ込んだ。
わたしが吹いたのは、屋台のラーメン屋の客寄せとして、昔から鳴らされていたメロディーだった。
「基本かなと思って」
吹きやすいし、耳に残っているから。
「それが不満ならこれならどう?」
わたしは、再びはむっとリコーダーを咥えた。
癒し系の代表曲と言えば、割と上位に上げられる曲を吹いてみる。
リコーダーから紡がれる曲は、人間界のクラシック。
意外と指も覚えているものだ。
吹いたのはかなり昔の話だけど、小学生の記憶力、恐るべし。
「聴いたことがある気がする」
九十九が首を傾げながら呟く。
まあ、この曲は独奏では分かりにくいかもしれない。
基本的に二重奏以上の合奏曲だから。
だけど、彼も途中で気付く。
「ああ、これ、小学校も中学校でも卒業式に流れた曲だ」
「有名な曲だからね」
ピアノアレンジやオルゴールアレンジされることも多かったため、あちこちで流れていた。
わたしが聴いたのは、病院の待合室だった覚えがある。
「いや、止めるなよ」
何故か不満顔。
「これ、一人で吹くのって、かなり疲れるんだよ」
輪唱や、遁走曲とも言われることが多い追走曲、いわゆる「カノン」と呼ばれる曲だ。
その中でも、最も有名で、作曲者名を含めて曲名扱いされている曲を吹いてみた。
この曲は、小学校の校内音楽発表会で吹いたことがあるので、よく覚えている。
「お前は、破裂しないんだな」
「それだけ聞くと、わたし自身が破裂しそうな感じがするね。でも、リコーダーって本来、破裂するもんじゃないと思うのですよ?」
そもそも、そんな状態を初めて見たのだけど。
「オレは破裂するんだよ」
さて、どうするか?
思ったより、彼の思い込みも強そうだ。
そして、こればかりは言葉で説得してもなんとかなるものではないことは、わたし自身も知っている。
「一番、良いのは人間界と同じようにリコーダー自体を強化か……」
そうは言ってみたものの、それは根本的な解決になっていない。
九十九が、楽器を破壊しなくなったわけではないのだ。
「別に吹けなくても、問題はねえよ」
それならば、どうしてそんな顔をしているのか?
「九十九さん、少々、よろしいでしょうか?」
恭哉兄ちゃんがそう言って、九十九を手招きし、何やら耳打ちをした。
すると、九十九は一瞬目を見張って、何故かこちらをチラリと見る。
そして、リコーダーを軽く加えて、息を吹き込むと、今度は音がちゃんとなった。
つまり、九十九が笛を吹いても、破裂しなかったのだ。
「凄い!! 恭哉兄ちゃん!!」
思わず、嬉しくて恭哉兄ちゃんを見た。
「そっちかよ」
九十九が不機嫌そうにそう言う。
「いや、勿論、九十九も凄いよ? でも、恭哉兄ちゃんが何かしたのでしょう?」
笛を吹く前に、九十九の雰囲気が変わったのだ。
先ほどまでのように危うい雰囲気が無くなり、妙に落ち着いた。
そこまで変わった何かがあるはずだ。
「いえ、私は何もしていませんよ。九十九さんが細心の注意を払った結果ですから」
恭哉兄ちゃんはそう言って、謙遜する。
「なんて言われたの?」
「……大事に扱えと」
それぐらいで、こんなに根が深そうに思えた問題が、簡単に改善するだろうか?
でも、もともと九十九は、小学校の時も、楽器が吹けないわけではなかったし、弾けないわけではなかった。
だから、知識としては、雄也さんからちゃんと叩きこまれていたらしい。
ただ、破壊するから、楽器から離されていただけで、ちゃんと使えるようになれば、簡単な曲ぐらいなら吹けるし、単音だけなら、アコースティックギターも弾けるようになっていた。
ちょっと油断すると、破壊しちゃったみたいだけど。
いや、ちょっと音楽の知識を叩きこまれていただけで、アコースティックギターすら弾けるってどれだけなの!?
わたしには無理だったよ。
先ほど、恭哉兄ちゃんから弦の押さえ方とか習っても、さっぱりだった。
なんで決められた場所を押さえながら、さらに弦を弾かないといけないの?
押さえるか弾くか、どちらか一つにして欲しい。
ピアノとかはもっと簡単だよ?
決められた鍵盤を押すだけでおっけ~だからね。
「いや、知識を叩きこまれたって、文字通り、数年がかりで身体に教え込まれているからな。楽器を使えなかっただけで、その形だけは何度も反復させられていたからな」
何でも、彼が破壊するのは楽器だけらしい。
楽器の形をした別の物なら大丈夫だったそうな。
それも不思議。
そして、千里の道も一歩より。
そんな状態だったのに、諦めないで覚えようとしていた九十九はやはり、努力の人で間違いないようです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




