狙われた「聖女」
今回に限って、全く上手くいかないのは何故だろうか?
港町「マルバ」の聖堂の管理を任されている正神官「リューゲ=ウン=ザオバ」はそう思った。
これまでは上手くいくことの方が多かった。
勿論、失敗がなかったとは言わない。
だが、ここまで上手くいかないことは自身の経験ではない。
少なくとも、狙った対象に触れることすらできなかったのは、初めてのことだった。
夢に溢れ、純粋な気持ちで「神女」を目指す女たちを、甘い言葉を使いながら、多少、強引な手段で手に入れる。
法力を使える「神女」を手に入れれば、もともと持っている法力がより強まるのだ。
元は下神官時代に自分の指導者の立場にあった者から教えてもらった手段である。
それは、相手によって、一時的だったり、その効果はまちまちであるが、少なくとも、ほとんどの女が今より強めてくれた。
それが、まだ誰にも手折られていない「花」ならば、もっと良い。
これまでの経験から、それを知っていた。
実は、異性である「神女」よりも、同性である「神官」の方がもっと効果的だということも。
幸い、男にはその素養があって、同性に対してもさしたる問題はなかったようだが、やはり異性の方が良い。
同性は抵抗も激しく、力負けしてしまうこともある。
それに異性の方が露見しにくい。
親子ほど年齢が離れた男に手折られたことに抵抗があれば、尚更だ。
そして、法力ではなく、神力を持つ人間。
それを手にすれば、法力の格はもっと上がることだろう。
法力を持つ人間が生まれるのは、百に一つの可能性ならば、神力を持つ人間は、万に一つの可能性だと言われている。
さらに、生きているうちにその能力が顕在化することは、億に一つとも言われるほど少ない。
今代の大神官は、その神力を自らの意思で行使できる稀な才を持っていると言われている。
実際にその力の片鱗を見た人間は一人や二人ではないため、その話は間違いではないのだろう。
だが、その大神官の傍らに立つとされる「導きの聖女」。
大神官と同じ濃藍の髪を持ち、この国の王族に多い、翡翠の瞳を輝かせるという。
残念ながら、大聖堂の奥深くで秘匿されているような存在であるため、滅多に表舞台には出てこない。
大聖堂の結界と、さらに大神官自らがその懐に入れ、常時、護っているようでは、「正神官」である男にはほとんど手出しができない。
歴代最高の神官かつ、真面目で堅物な男。
そして、その美しさは、幼い頃から話題になっており、同時に、明確な感情表現をせず、他人を寄せ付けないことで有名でもあった。
「りゅ、リューゲ様。今回のあの娘のことは諦めた方がよろしいのでは?」
男の世話役である下神官「アニマ=レファ=ヴォリート」が、思考に耽っていた男に恐る恐る声を掛ける。
「何を言う、アニマ。これは、神が遣わした好機だ。私が更なる高みへ上るためのな」
古くからの知己であるあの元下神官の男は、神に仕えることよりも、酒を提供するようになって久しい。
その娘である「リーヴェ」は、神官の血が流れていたためか、それなりの法力を持っていた。
父親の友人に見える男の言うことを疑うことなく聖堂に現れ、男の穢れを浄化させられることになる。
その絶望は、男にとって慣れたもので、寧ろ、心地よいとすら思っていた。
その絶望こそが、法力の糧となる。
だが、残念ながら、そのリーヴェは既に、誰かに踏み込まれていた後だった。
顔は父親似であったが、身体は悪くなかった。
だが、ケチがついたのは確かだ。
その分、仕置きの意味もあって、多少、力が入ってしまったことは男も認めている。
その後、姿を消したと聞いているのは当然の結果だろう。
世を儚んで、露となったかもしれない。
思えば、あれによって、自分の運が落ちた可能性はある……、そう男は考えていたのだ。
口直し、いや、瑞兆のようなタイミングで現れた「歌姫」に手を伸ばしたくなるのは必然だろう。
あの娘も純真無垢な容姿に見えて、既に、手折られた「花」であるようだが、それを差し引いても、あれだけ分かりやすい「神力」を行使していた。
本物の「聖女」に至ることはできなくても、それなりに自身を高めてくれるだろう。
それにあの忌々しい貴族の男に張り付くさまも、どこか初々しいものがあった。
あれほどの娘は「神女」にも少ない。
「で、ですが、あのような男を敵に回すなど……」
「これは、神の試練だ。それを乗り越えなくて、どうする? それに、今まで散々、私の手伝いをしておきながら、今更、止めることなどできまい」
そして、相応の蜜を吸わせている。
男が「花」を先に手折った後、下げ渡すことで、この下神官も自らの法力の才を高めているのだ。
その効果を知っておきながら、今更、抜け出せると思ってはいないだろう。
だが、あの「歌姫」は特別だ。
僅かでも分けるつもりはない。
そして、その価値が分からないような神官でもない魔力だけが取り柄の貴族に渡したままでは神の意に反する。
あの娘の価値を分かっている神官こそが有効活用してこそだ。
男はそう信じてやまなかった。
「救いようがねえ阿呆だな」
その絶望を告げる男の声を聞くまでは。
「だ、誰だ!?」
思わず、反射的に聖堂の入り口を見るが……、誰もいない。
聖堂の扉は動いた様子すらなかった。
身廊を見渡すが、男は自分の傍にいる下神官以外の気配を感じなかった。
カツンと、後方の内陣から足音が響く。
そこには間違いなく誰もいなかったはずだ。
それなのに、何故、そのような、聖堂の入り口から離れた場所で、音がする?
「よお、先ほどぶりだな、正神官」
内陣の奥、その暗闇から、黒髪の男が姿を見せる。
それは、「歌姫」を抱き抱えて去ったはずの男に間違いはなかった。
つまり、この男はあの「歌姫」から離れている。
そう言うことだ。
―――― やはり、神は我に味方する。
正神官は口元を歪ませた。
正神官とはいえ、それなりの貴族と思われる人間と、真正面から敵対すれば、勝てるはずもないが、この場さえ凌げば、自分は望みの物が手に入る。
「これはこれは……。『歌姫』様はどうされました?」
「信頼できる者に預けた」
それがどんな人間かは分からない。
お忍びでこんな所に訪れている貴族なら、護衛はいるかもしれないが、先ほどの様子ではあの元下神官である「シンアン=リド=フゥマイル」の可能性が高い。
馬鹿な貴族だ。
あんな気の弱い神官に任せるなど、あの「歌姫」を攫ってくれと言っているようなものだと。
正神官は、そう笑いを堪える。
あの酒場には既に、この港町の日雇いぐらいしか仕事に就けないようなゴロツキを十数人ほど送っている。
貴族がいるということで、魔法封じの道具もいくつか渡しておいた。
勢い余って、あの娘に手を出さないように首輪も着けてあるから何も問題はない。
この正神官は元より、精神系、それも「洗脳魔法」が得意な人間だった。
仕事に困る人間を操るなど、造作もないことだ。
あの「歌姫」にしても、既に男を知っている女なら、そこまで気を使う必要もない。
逆に、愛されることしか知らなければ、その対極にある暴力的な行為には滅法弱いだろう。
世間の男というモノを知る良い機会だ。
そんなことを正神官が夢想していた時だった。
「あの酒場に、刺客を放ったな」
そんな核心を突くような問いかけ。
「何を根拠に? 私は、神に仕える身。そのような暴力的な行いは一切、致しません」
いけしゃあしゃあとそんなことを口にする。
傍にいる下神官はこの状況が恐ろしくてたまらない。
あの黒い瞳は全てを射抜く。
何故かよく分からないが、そんな気がしたのだ。
まるで、情報国家の人間だけが持つという、言葉の真偽を見分ける「真眼」と呼ばれる瞳のようで、恐怖から震えが止まらない。
「気の毒なことだ」
ふっと、目の前の黒髪の男は笑った。
まるで、慈悲を向けるかのように……。
「何もしなければ、引き渡すだけで済んだんだけどな」
そう言って、聖堂に光が迸る。
正神官に雷撃が直撃した。
それも、天井があるこの聖堂内で。
一瞬で、雷撃がその全身を貫くが、幸いにして正神官は息があった。
だが、何が起きたか分からぬまま……。
「ああ、無理か。オレの気が済まねえ」
そんな言葉と共に正神官の身体が癒されていく。
「こ、これはっ!? こんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」
「何を言ってるんだ?」
黒髪の男は悠然と微笑む。
「『裁きの雷』は、罪を犯した人間にしか落ちない。神官の常識だろう?」
その言葉が意味するものは何か?
答えは、明白だった。
「好きなだけ、踊れ、罪人」
吐き捨てるようなその言葉と共に、放たれる雷撃と施される癒し。
一歩間違えれば、絶命してしまうような一撃の後、それを完全に近い形で治癒させてしまう魔法。
そこで希望を失うのは、その裁きの雷を食らい続けている正神官だけではない。
それを、一部始終、目撃させられている下神官の心も長くはもたないだろう。
「いっそ、殺せ!!」
幾度となく襲い来る「裁き」に耐えかねて正神官が吠える。
「断る」
だが、黒髪の男は、無表情のまま、取り付く島もない言葉で切り捨てる。
「ああ、でも、大神官猊下の迎えが来る頃には解放してやる。確か、『橙罪』って言ってたかな」
その言葉で、正神官は自身の進退がすでに決まっていることを察した。
「大神官猊下が来たら、残念ながら、引き渡すしかねえ。神官の罪は神官が裁くものだ。だから、オレが楽しむのは、夜明けまで、だな。尤も、この程度の魔法なら、魔法力は十分持つから心配するな」
その言葉で、魔法力切れを狙うことすら叶わなくなったことを悟る。
ただ、そんな絶望の中で、唯一の希望があったとすれば……。
「本物の『聖女』に手を出そうとすれば、神も怒る」
そんな男の言葉だけだった。
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