「聖女」の認定手続きのためには
「まだ何かありますか?」
できるだけ、煽るような物言いでオレは目の前の神官に向かって声を掛ける。
正神官と言っても、ストレリチアに常駐しているほどのレベルでもない。
そこまでの脅威を感じなかった。
「う、『歌姫』のお言葉を……」
この期に及んで、そんなことを言う。
なんで、お前にわざわざ礼を尽くす必要があると思っているんだ?
神官生活が長くて、明らかに貴族と思うような相手に対しての礼すら忘れてんのか?
「貴族に囲われ、涙を呑む女性も多いです。貴方がそれをしていない保証はないでしょう? 事実、今、『歌姫』は震えている!!」
震え……?
ああ、すっげ~、顔を真っ赤にしてるな。
これはオレに抱き締められていることよりも、それを他者の目に触れさせている羞恥から来るものだろう。
つまり、目の前にいる神官がいなくなるだけで問題は解決する。
「大丈夫か?」
「大丈夫……」
オレの言葉に顔を赤らめながらも返事する。
だが……。
「ちょっと、あなたの魅力にくらくらしていただけだから」
「あ?」
なんか、今、奇妙な言葉が聞こえた気がする。
……幻聴か?
「あなたに何度、抱かれても、どうしても慣れなくてごめんなさい。今の状態はドキドキが止まらなくて震えているだけですので、安心してください」
そう言って、オレの胸元に顔を埋めてきた。
大した役者だよ、この女。
わざわざ誤解させるような言葉で、さらには大袈裟な表現を選びながらも、嘘を全く言わない辺り、若宮に大分、仕込まれてるなと思う。
即興劇としては上出来だ。
強いて難を言うならば、オレの心臓に悪いぐらいだった。
「……だそうですが?」
できるだけ平静を装って、正神官を睨みつける。
「仮に、彼女が『聖女』の資質を秘めていたとしても、自分は、それを望みません。どうしても、『聖女』として連れ去りたいのなら、神官最高位である大神官猊下に懇願されることですね」
この件に関しては大神官が相手であっても、自分は一歩も退く気はなかった。
そして、そのことは、大神官本人に、二年も前に伝えている。
勿論、栞自身が望むなら良い。
だが、それを無理強いするのは、大神官やセントポーリア国王陛下であっても、許さない。
尤も、この男の場合は大神官に直接物を言えるようなツテなどないだろう。
あの方、実はこの真上にいたりするんだけどな。
男は息を呑んだ。
誰もが「聖女認定」を喜ぶと思うなよ?
神官の尺度で測れるほど、オレの主人は安くねえ。
三年も傍にいるオレ自身だって、栞についてはいろいろ測りかねているんだからな!
「いずれにしても、『聖女認定』には聖堂が管理する国と大神官の許可がいるはず。それを思えば、大神官猊下に連絡されるのは当然のことでしょう?」
ツテがあってもなくても、本気で「聖女認定」の手続きをする気ならば、聖堂を通して、ストレリチアに連絡する必要があるのだ。
そして、この国にも。
だが、「大神官」と言う言葉を出しただけでも、分かりやすいほど狼狽を見せた。
つまりは、連絡するつもりなど、始めからなかったわけだ。
神官が「聖女認定」の手続きについて知らないはずがない。
神事について不勉強な「見習神官」ならともかく、聖堂を任されるほど知識があるはずの「正神官」ならば。
「ああ、尤も、神事について一般的な娘が何も知らないのを良いことに、手に入れた後、自身の穢れを祓う務めを任せるおつもりだった……とか? 『聖女』認定のためと偽れば、ほとんどの娘は騙されるでしょうね」
大神官の話では、神官の中には一定数、そう言った輩もいるらしい。
大聖堂、いや、ストレリチアにいれば、目を光らせることは出来ても、地方にいる神官たちの全てを管理するのは難しく、また、直属の上神官の資質にも左右されてしまう。
そして、どうしたって取りこぼしはあるのだ。
だから、定期的に大神官は上神官や高神官時代に、巡礼も含めて、各国を渡って監視の目を光らせた。
だが、大神官になると逆に気楽に他大陸には渡れなくなるとも言っている。
まあ、あの脱走癖がある王女殿下のことが、心配で目を離したくないと言うのもあるのだろうけどな。
「そ、そんなことはない!!」
口ではなんとでも言える。
大神官ならともかく、オレの眼ぐらいなら、誤魔化せると思ったのだろう。
そして、正神官は分かりやすく嘘を吐いた。
その言葉には「嘘」が色づいている。
「光りやがった」
先ほどのオレの問いかけのどの部分を否定する台詞だったのかは分からない。
だが、「手に入れた後に自身の穢れを祓う務めを任せる」にしても、「『聖女』認定のためと偽る」にしても、「ほとんどの娘は騙される」にしても、どの部分をとっても、褒められたものが一つもない。
何より、栞をそんな目で見ている可能性がある時点で、このまま無傷で帰してやろうとは思えなくなった。
だが、そんな不穏な気配を察したのか、栞がオレの首元に張り付いてきた。
「どうした?」
うっかり、怖がらせてしまったか?
漏れ始めていた殺気を慌ててて引っ込める。
「ここから、早く離れたいです!!」
「あ?」
なんと言われたかが分からなくて思わず聞き返した。
「えっと、その、早く、あなたと2人きりになりたくて!!」
いや、お前、何、言ってんだ?
思わず、そう言いたくなったが、逆に利用させてもらった方が良いか。
この状況を大神官に伝えた方が良いかもしれない。
「それなら、仕方ないな」
そのまま、抱き上げると、栞の目が丸くなったことが分かった。
「主人、『歌姫』を休ませたい。上に部屋はあるか?」
「あ、あります!!」
「じゃあ、案内してくれ。金は出す」
そう言って、酒場の主人の所に小袋を渡す。
「足りるか?」
多めに入れたから、足りないと言うことはないだろうが、一応、確認する。
「多すぎます!!」
主人は中身を確認したらしく、すぐに答えた。
いや、正直に言うなよ。
「無理を言うのだから、それぐらい受け取れ」
どうせなら、役得ぐらいに思っておけ。
今のオレのようにな。
温かくて、柔らけえ。
何度抱き上げても、そんな感想が出てきてしまう。
「気が利かない男で悪いな、栞」
お前の作った流れを無駄にする気はない。
それに、少しても早く、この不快な男の目から、栞を隠したいという本音もあった。
「いずれにせよ、彼女に『聖女』認定をさせる気はありません。それでも、望むなら、やはり、大神官猊下より沙汰を受けましょう」
「ま、待て!!」
「待ちません。自分は貴方を信用できない。それに……」
そのまま、栞の白く露わになっている額に口づけを落とす。
「そろそろ、この可愛い『歌姫』の相手をしたいので、これにて失礼いたします」
軽く礼をして去る。
どうせ、このまま諦める気などないのだろう?
その方がオレにとっても都合が良い。
栞の無事だけ確保したら、後は、好きにさせてもらうだけだ。
「つ、九十九。そろそろ……」
下ろしてくれと言いたいのだろう。
「まだ我慢しろ。あの男が勢い余って、追いかけて来た時に不自然だ」
まあ、恐らく、すぐには来ない。
あの手の男は後から準備をして動くはずだ。
つまり、オレがこのままでいたいだけだ。
「お、重くない?」
「軽い」
寧ろ、もっと食え。
「そ、そっか」
それ以上の問答を避けたようだ。
だが、それで良い。
「ありがとな」
「ほえ?」
「栞が止めてくれたから、少し落ち着けた」
あのまま、怒りに任せていたら、もっと面倒になったことだろう。
まあ、兄貴がいたから、ある程度はなんとかなったかもしれないが、その後が怖いことになったはずだ。
ある意味、オレは本当に助かったのかもしれん。
「そっか。役に立てたなら、良かった」
何故か、栞は嬉しそうに微笑んだ。
やべえ、可愛い。
至近距離の彼女の微笑みは、オレ限定で、かなりの効果を発揮する。
目の前で部屋を案内してくれている酒場の店主が、なんとも言えない視線をオレたちに向けていることに気付くまで、オレは存分に、今の状況を堪能したのだった。
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