「聖女」の資質
自分が言われても、多少の暴力にも黙って耐える女。
だが、何故だろう?
彼女は、自分の友人たちのことになると、黙れなくなる。
オレに対する分かりやすい嘲笑に、明らかに態度を変えた。
その体内魔気は外に出るのを抑えているが、その中でかなり荒れ狂っている。
魔法国家の王女たちが見たら、血相をかえるほどに……。
「貴女の価値を何も知らない男に、貴女の相手は務まりません。貴女には正しく、教え、導く存在が必要なのです」
だが、かなり鈍いのか。
その敵意を向けられているはずの神官は気付かない。
先ほど、詰め寄られていた酒場の主人は勿論、傍にいる下神官の方もようやく気付いたようだ。
その顔色が変わったから。
少なくとも、相手が貴族並みの魔力を持つ人間であることには気付いただろう。
だが、正神官の方は、それだけ鈍いのに、よくオレに対して、「その女の価値を知らない」とか言いきれるな。
こちらの方が恥ずかしくなるぞ?
恐らく、この場で、お前だけがただ一人、その価値に気付いていないのだから。
「わたしの価値、とは……?」
栞が呆れたように問い返す。
まともに相手しなくても良いぞ。
世の中にはそう言う世間知らずもいるんだ。
いちいち相手にしていたら、キリがない。
「その清らかなる心と身体から響く、美しい歌声。それは、神々から与えられし御力に他なりません」
これについては的外れとは言えない所が恐ろしい。
たまたま感情を込めやすい「歌」だったために力が出たとは言え、それはもともと持っているからこその話だ。
無から何も生まれない。
有るからこそ、顕在化する。
多少、姿形を変えたところで、栞が「聖女」の資質を秘めているとことは誤魔化せないと言うことか。
その辺り、どう気を付ければ良いのだろう?
本人に自覚は当然ながらないのだから。
「いいえ、神官さま」
栞がそのまま傅いた。
いや、お前がそんなことをしてどうする?
兄貴がなんとなく口を出したそうな雰囲気を出し始めた。
顔には出していないが、我慢ができないのだろう。
カルセオラリア城の崩壊以後、兄貴の感情が以前に比べて、少しだけ分かりやすくなった気がする。
それでも、その変化が些細過ぎて、気付く人間の方が少ないだろうけど。
「清らかな心と身体など、わたしは持ち合わせてはおりません」
「何をおっしゃいますか。貴女のような……」
その神官の台詞が言い終わる前に、オレの左腕に重みが走った。
「わたしは既に、心も身体も、魂までも、彼に委ねております。そんなごく普通の女は『聖なる女性』に相応しくないでしょう?」
栞がオレの左腕を引っ張る……、いや、しがみ付いたのだ。
いつもと同じように柔らかくて温かくて、良い香りがする。
その気配は、オレの中のいろいろなモノを刺激していくが、それ以上にその台詞が問題だった。
兄貴から、一瞬だけ、オレに向かって殺気が飛んだ。
さらに、すぐ近くにいるリヒトからも、妙な気配を感じる。
どちらも顔には出していないのだが。
そして、一番の問題は、彼女の言葉から嘘の気配がないことだ。
本気で、その言葉を口にしている。
大多数の男が勘違いしてしまうほどの言葉を。
だが、彼女の目的はよく分かった。
神官が求めているのが、「聖なる女」なら、その理想をぶち壊してやる気だ。
結構、過激な考え方をするんだな、お前。
オレが童貞のままだったら、恐らくオレの幻想も一緒に粉砕するところだったぞ?
「そ、その男から、離れてください、『歌姫』殿! それ以上は御身が穢れてしまいます」
慌てながら、目の前の神官はそう言った。
だが、そう言われても、栞はオレから離れる様子もなく、寧ろ、しっかりとオレの左腕を両手で抱き込む。
オレとしてみれば、かなりの役得だった。
栞の方から腕に張り付かれるのは初めてだ。
この左腕……。
なんで、今、オレは長袖の服を着ているんだろう?
「穢れる? もう彼からは何度も抱かれているのに?」
その言葉にも嘘はない。
それが分かっているためか、兄貴の殺気が一段と強くなった。
そこそこ鋭くなった栞に気付かれないまま、オレだけに飛ばすとは、本当に器用だよな、兄貴。
だが、オレはまだ何もしてない。
寧ろ、今、されている方だよ、お兄様。
そして、変わってやる気などない。
「う、『歌姫』様? その抱かれる、とは一体……?」
「え? 一緒の布団に収まって何度も抱かれているということですよ。その詳細が必要でしょうか?」
ああ、やったな。
つい最近まで「ゆめの郷」で昼も夜も共に過ごし、寝る時は同じ布団で、オレが栞を一方的に可愛がった。
あんな幸福な時間は、もう二度とないだろう。
しかし、この女、言い回しが凄いな。
本当のことをぼかして言いながら、わざと深読みできるように、仕向けている。
小悪魔だと思っていたのは気のせいじゃなかったらしい。
こうなれば、普段の言動も、どこまで信じてよいのか?
実は、いろいろ分かった上で、オレの気持ちを弄んでいるんじゃねえか? この女。
「いえいえ! 結構です!!」
神官はこれ以上言わせまいと、慌てて首を振った。
何が飛び出すか分からない。
もっと過激な発言すら飛び出す可能性もある。
彼女は「発情期」中のオレに襲われた経験もあるから、確かにもっと過激な言い回しは可能だろう。
つまり、オレの愚行のために、本当に彼女を穢してしまった感がある。
だが、そこまで、顔色を変えず、「阿婆擦れ」となった人間のような発言が、この女にできるかどうかは分からないが。
「つまり、この男は、何も知らない『歌姫』様を唆したということですね?」
まあ、そう言いたくなるよな、神官。
「りゅ、リューゲ様!! もうこれ以上は……」
そして、栞が貴族級の魔力の持ち主と気付いている下神官の方が、止めに入る。
正神官とは言え、貴族に喧嘩を売って良いはずもない。
それができるのは、高神官以上だ。
聖堂建立を許されている上神官ですら、貴族と対等の立場にはなれない。
尤も、大神官ともなれば、王族相手でも威圧的な態度をとることが可能だろう。
各国の王族に関する神事や、国の神務によっては、大神官がすることになる。
そして、この世界に大神官はただ一人。
それでも、あの大神官はそんな面倒なことはしない。
―――― リヒト、兄貴のとこに行って、結界を張るように伝えてくれ
オレはリヒトに指示を出した。
目の前でやると、気配で分かる。
ついでに、栞の言葉を通訳してくれると助かるが、そこまでは望むまい。
後で、脅されながら、弁解しよう。
リヒトが兄貴の傍に行ったのを確認してから……。
「栞、少し腕を放せ」
腕に抱き着いている栞に声を掛けた。
一瞬、きょとんとした顔をオレに向けたが、素直に離れてくれる。
今の顔、可愛かったな……。
いやいや、そこじゃなくて……。
「ちょっとの間だけ、いつものようにオレに身を任せろ」
腕から、離れた栞の全身を両腕で絡めとり……。
「一度だけしか言わない」
分かりやすく、敵意を込めて、神官を睨みながら……。
「オレの女に手を出すな」
世界中に宣言したいほどの本音をぶちまけた。
一瞬、抱き寄せた栞の身体が固まった。
目の前にいる神官は目を見開いた。
すぐ近くにいた下神官は頭を押さえている。
酒場の主人は、既に巻き込まれまいと、カウンターの方に退避していた。
リヒトは肩を竦め、兄貴は何故か妙に生温かい視線をオレに向ける。
そして、栞の深読みできる発言では容赦なくオレに向かって殺気を飛ばしていたのに、目の前で抱き締めるのは許容と言うのはどういう判断基準でしょうか?
教えて、お兄様。
「こ、この……」
体内魔気を少しだけ解放したために分かりやすくはなっているだろう。
オレは貴族ではないが、ソレなりに強い魔力だと自負している。
だが、この男にその区別はつかない。
魔力が強ければ、勝手に貴族だと錯覚してくれるだろう。
それでも、何か、言い返したいらしい。
その目は血走り、その握られた拳は震えている。
まあ、本来、生きているうちに会えるのは神官でも稀と言われる「聖女」の資質を秘めた女が目の前に現れたのだ。
その稀少価値の存在が、貴族っぽい男の腕の中に収まって大人しくしているのは腹立たしい限りだろう。
彼女の身は価値を知らない男によって、既に捉えられ、囲われていると分かっていても、そう簡単に諦められるものではないのかもしれない。
勝手な話だ。
彼女自身を何一つとして見てないくせに。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




