穢れた「聖女」
自分のことなら我慢ができる。
例え、貶めるようなことでも言いたい人には言わせておけって思うから。
だけど、何故だろう?
自分の大事な人に矛先が向けられると、僅かな侮蔑でも我慢することが難しくなってしまうのは……。
「貴方のような方では、このお嬢さんのお相手は務まらないでしょう」
きっかけはそんな言葉。
わたしを庇うように立ってくれた護衛に対して、何も知らない神官が、彼に向かって馬鹿にしたようにそう言った。
事実、馬鹿にしたのだろう。
「それは、どういう意味でしょうか?」
それに対して自分の口から出たのはこんな言葉。
いつものように問い返しただけのつもりが、出てきた声は、いつも以上に低かった。
一瞬、周囲の息を呑む声が聞こえた気がする。
だけど、小娘のそんな言葉で怯むぐらいなら、この人たちは「神官」ってものになっていない。
「神への盲信」と書いて、「下位の神官」と読む。
恭哉兄ちゃんの話では、上位の神官ほど、本当の意味で神を信じすぎないらしい。
流石、過去に「神を呪っていた」と言えるだけのことがある。
実際、上位の神官……、法力の強い神官ほど、その生まれや育ちに関して、いろいろ複雑な背景を背負っていることが多いようだし。
そう考えれば、簡単に「神」を信じられるこの人は、やはり上位の神官には届くことはないのだろう。
「言葉のままの意味ですよ。可愛いお嬢さん」
虫唾が走る。
先ほど九十九から「可愛い」と言われた時は、あんなにも嬉しかったのに、わたしのことを何も知らないこの人から「可愛い」と言われるのは、こんなにも不快に思うのは何故だろうか?
「貴女の価値を何も知らない男に、貴女の相手は務まりません。貴女には正しく、教え、導く存在が必要なのです」
煩い。
わたしの価値は、わたし以上に彼が知っている。
そうでなければ、彼はわたしのために「全て」を懸けない。
心も身体も、魂までも護るなんて誓ってくれない。
「わたしの価値、とは……?」
「その清らかなる心と身体から響く、美しい歌声。それは、神々から与えられし御力に他なりません」
つまり、「歌」にしか価値がないと。
まあ、この人はわたしのそれしか知らないのだから、当然だよね。
だけど、そこが間違っている。
わたしは、「清らかな心」など持ち合わせていない。
自分の信頼している護衛を平然と本人の前で馬鹿にするこの人に対して、かなりの怒りを感じるぐらいなのだから。
わたしがその気になれば、力尽くで、排除することは可能だろう。
この人、魔法耐性は高くない、典型的な神官タイプだ。
でも、それじゃあ、意味がない。
「いいえ、神官さま」
わたしは、そのまま傅く。
「清らかな心と身体など、わたしは持ち合わせてはおりません」
「何をおっしゃいますか。貴女のような……」
これ以上、全部を言わせる気はなかった。
それこそ、わたしの耳が穢れてしまう!!
そのまま、すぐ傍の九十九の腕にしがみ付く。
「わたしは既に、心も身体も、魂までも、彼に委ねております。そんなごく普通の女は『聖なる女性』に相応しくないでしょう?」
そう言いきった。
周囲の空気が固まる気配がする。
だけど、気にしない。
人間界から、この世界に来ると決めてから、わたしの命は、ここにいる護衛兄弟たちに任せることにした。
魔法の使えないわたしの命まで引き受けることになった彼らにかかった負担は、相当だったことだろう。
それは、今だから分かるが、当時は、「彼らが魔法使いだから任せておけば、大丈夫! 」という認識しかなかった。
そして、実際、彼らの手に、わたしは何度も助けられている。
だから、間違ったことは一切、言っていない。
そして、この台詞を相手が別の意味に解釈したとしても、それは、わたしのせいではないのだ。
「そ、その男から、離れてください、『歌姫』殿! それ以上は御身が穢れてしまいます」
慌てながらも、目の前の神官はそう言った。
まだ言うか。
確かに、このしがみ付き状態は、何かの人形のようでどこかかっこ悪いけど……。
それでも九十九にしがみ付いたぐらいで穢れるようなら、わたしはとっくに穢れているだろう。
もう彼からは散々、抱き締められたり、それ以上のことだってされているのだから。
「穢れる?」
あえて、不思議そうな顔をしてやろう。
「もう彼からは何度も抱かれているのに?」
再び、空気の凍り付く音がする。
どうだ?
自分で言うのもなんだが、穢れがなさそうに見える女からのこの発言。
そして、嘘は一切ない。
九十九からは抱き締められているし、抱きかかえられてもいる。
それに先ほどのわたしの言葉で誤解をするなら、それは相手の方が穢れているだけだろう。
「う、『歌姫』様? その抱かれる……とは一体……?」
念のため確認される。
「え? 一緒の布団に収まって何度も抱かれているということですよ。その詳細が必要でしょうか?」
何度も思うが、嘘は言っていない。
わたしは「ゆめの郷」で、何度も九十九から抱き締められて眠っているのだ。
扱いとしては、子供とか貴重品だった気がしなくもないけど。
「いえいえ! 結構です!!」
流石に詳細は必要ないらしい。
まあ、求められても困る。
後は、身体のあちこちにキスをされたとかそれぐらいだが、九十九以外の身内が聞いているような状況で、それは恥ずかしい。
「つまり、この男は、何も知らない『歌姫』様を唆したということですね?」
「りゅ、リューゲ様!! もうこれ以上は……」
そう捉えるか?
そして、この人。
女性に夢を見過ぎじゃないのか?
いや、神官って、そんな人が多いね。
そして、いろいろ拗らせている人も……。
お付きの神官さんはもう止めようという雰囲気になっているが、どうもこの正神官の方は諦められないようだ。
まあ、「聖女」の数が少なく、生存中で、公式認定されているのは、イースターカクタスで認められた「暗闇の聖女」のみ。
それも今は行方が知れない人だ。
わたしが、ストレリチア城下で「聖歌」を歌った時もそうだったが、神官にとっては「聖女」という存在は特別なものである。
それこそ、我を忘れてしまうほど……。
「貴女のその能力は神から与えられし、『聖女』の『神力』です! だから、それ以上、その男に穢されることは人類の損失!! 今ならまだ間に合います!! だから、離れてください!!」
神官は叫ぶ。
確かに「聖女」が絶対に処女じゃなきゃいけないわけではないのだろう。
それなら、この世界で一番、有名なセントポーリアの「聖女」さまは、聖女認定を勝手にされた時には既に、娘を一人、産んでいたのだ。
「大いなる災い」を封印した時は、時期的に微妙だけど、多分、その時点で、既に、だと思う。
わたしが視ている夢がちゃんと時系列通りになっていれば、の話だが。
単に外聞の問題だ。
世界のための「聖人」が既に一個人の物になっていたとなれば、周囲に与える影響とかも少なくないはずだから。
だけど、認定された後、神官たちの穢れを祓うために尽くしたという聖女もいたらしいからな~。
それって、つまりは「ゆめ」のような扱い。
しかも、神務とされたらしいので、料金は発生しない無料ご奉仕。
扱いとしてはかなり酷すぎるよね?
その話をする時の恭哉兄ちゃんは淡々と説明をしていて、かなり恐ろしさを感じるぐらいだった。
やはり、そう言うお話は好きじゃないらしい。
それにもっと昔の聖女である「救いの神子」たちだって、神の血を引く人間たちを多く生み出している。
つまりは処女ってわけじゃないよね?
もしかしなくても、処女懐胎ってやつ?
でも、どこかの宗教に出てくる聖母だって、奇跡は確か、一回だったよ?
「救いの神子」たちは、「風の神子」さまと「闇の神子」さま以外は、二桁の子を産んでいたはずだ。
二桁の奇跡ってもう、それ奇跡じゃないよね?
そんなかなり穢れた思考に囚われていた時だった。
「栞、少し腕を放せ」
ふ?
九十九の左腕にしがみ付いているためか。
いつもより声が近い。
どうせなら、いつものように「栞」と呼んで欲しいけど、この状況では、芸名を呼ぶしかないよね。
言われるがまま、わたしは彼の左腕を解放する。
「ちょっとの間だけ、いつものようにオレに身を任せろ」
そんな際どい台詞が飛び出した上に、ぎゅっと抱き締められて……。
「一度だけしか言わない。オレの女に手を出すな」
そんなことを言われたのだった。
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