歌い終わった後で
どうして、この人はいつもこうなのだろうか?
これらの言葉に全く他意はないと分かっていても、それでも嬉しいと思ってしまう自分も、大概なのだろうけど。
彼らを巻き込んだこの生活も、後、数年の辛抱だと九十九は言ってくれた。
「それでは、それまで、しっかりと護ってください、わたしの護衛」
わたしがそう言うと……。
「分かってるよ、オレはお前の護衛だからな」
九十九はごく自然に笑いながらそう答えてくれる。
わたしとしては、そこまでで良いのだ。
だけど、彼はいつも、余計なことを言う。
「ずっと傍にいて護ってやる」
その言葉、必要ないよね?
いや、「ずっと」って、いつまでなの?
わたしとしては、あまり長い間、彼らを縛り続けたくもないのだけど……。
確かに少し前に「宣誓」を受けたよ。
魂までも護ってくれるという重い誓い。
しかも「最期の時まで」という言葉つきで。
だけど、本当に最期まで一緒にいられるとは、あなたも思っていないでしょう?
それでも、向けられた視線があまりにも真剣で、その言葉に嘘がないことも分かっているから、ちょっとだけ期待してしまうわけで……。
「どうした?」
「なんでもないよ。単に、九十九はそう言うことを平気で言っちゃう人だよね、と思っているだけ」
わたしは大袈裟に溜息を吐いた。
「そう言うこと?」
「『ずっと傍にいて護る』って、普通は恋人に言うものじゃない?」
「そうか?」
「そうだよ。普通の護衛は多分、言わない」
少なくとも、契約期間終了までだろう。
しかし、彼の場合、契約期間が明確じゃないのだ。
そう考えると、この雇用形態自体が、普通ではないとは思う。
「そうか? 兄貴も同じように言うと思うが……」
九十九はそう首を捻る。
どうやら、自分の言葉に疑問は感じないらしい。
「いや、言わないと思うよ」
言いそうではあるけど、多分、雄也さんは言わないだろう。
九十九は、あまり意識していないみたいだけど、先ほどの台詞は、やっぱりちょっと特別な言葉だと思うから。
なんとも思っていない、いや、違うな。
少なくとも、彼からはある程度大切には思われているとは思っている。
ただ、そこに、恋愛感情っていうものがないだけ。
だから、恋愛感情を持っていない相手に言うのは何か違うと思う。
少女漫画で培養された脳なんてこんなものだ。
もっと気楽に考えれば良いのに、どうしても、そこに理由を求めてしまう。
やっぱり、誰かにとって自分は特別な人間でありたいから。
「恋人……ねぇ……」
九十九がどこかぼんやりとした声で言った。
彼の口から聞くと、なんとなく、変な気持ちになるのは何故だろう。
こう、胸のどこかでモヤモヤするような、落ち着かない気分になってしまうのだ。
夜の海だけあって、周囲は静かで、波の音だけが耳に届く。
人間界でも魔界でも、波の音はそんなに変わらない。
そんなことを考えている時だった。
「今は、お前以上に特別な人間なんていないからな」
九十九はそんな爆弾を落としてくれた。
わたしの頭の中を焼き尽くす気か、この男……。
「雄也さんは?」
特別という意味では、あの人こそ、九十九にとって特別だろう。
兄であり、師でもあり、上司でもあるのだ。
「……兄貴とお前ではベクトルが違う」
「ベクトルって何?」
「力のある方向性とかそんな感じの言葉。身内の兄貴と、お前に向ける感情が同じ方向性であるはずがないだろう?」
それは確かに……。
それなら……。
「九十九がわたしに向ける感情って?」
思わず聞いてみた。
九十九の目が丸くなるのが分かる。
まさか、彼も、わたしがここまで突っ込んでくるとは思っていなかったのだろう。
「知りたいか?」
だが、何故か、怪しく微笑まれた。
あ、あれ?
ここはもっと、九十九が慌てて誤魔化したり、前みたいに冷たくあしらう場面ではありませぬか?
思わず、思考する言葉も乱れてしまった。
「お前はオレの気持ちを知りたいのか?」
ああ、これは揶揄われている。
それぐらいはっきりと分かるほど、どこか挑発的で悪戯な笑みを九十九は浮かべていた。
おのれ!
それなら、その挑発に乗ってくれよう!!
「知りたいと言えば、あなたは教えてくれるの?」
できるだけ、甘えるような声で、微笑みながら。
どうだ!
わたしにだって、これぐらいはできるんだぞ!!
だけど、そんなわたしの意気込みすら、この護衛はいつも無駄にしてくれるのだ。
夜の闇でも分かるぐらい、この上なく、蕩けるような笑みを浮かべた後……。
「すっげ~、可愛いと思ってるよ」
顔を近づけ、耳元で、低く、甘く囁かれる。
「~~~~~~っ!!」
もうヤダ、この護衛。
わたしの弱点を的確に突いてくる。
確実に心臓を鷲掴みに来るなんて、いろいろ酷い。
静かな夜の港町で雄たけびを上げなかったわたしを誰か、褒めてください。
いや、これ、逆に叫べない。
声も出ないなんて……。
ホントにもうヤダ、この護衛。
「も、もう、いっそのこと、九十九はホストに転職した方が良いと思う」
両頬と両耳を同時に押さえて、身体を震わせながら、思わずそんなことを言ってしまう。
今のわたしは絶対に耳まで真っ赤な茹でダコ状態だろう。
「お前、あっさり、クビ宣告するなよ」
先ほどまでの甘い声は、まるで幻聴だったかのように、いつもの調子で彼はそう言った。
「主人を困らせるような護衛はヤダ」
正直、身が持たない。
いや、心臓がいくつあっても足りない。
命の在庫を、後12個ほど用意しておきたい。
すぐ、足りなくなりそうだけど……。
「オレの気持ちを知りたいと言うから、素直に言えば、この言われ方。酷い主人もいたものだ」
わたしが本気で言っているとは思っていないのだろう。
そのためか、彼の受け答えも酷く軽い。
うん、本気じゃない。
彼がいないと困るのは、わたしだ。
それに、こうやって九十九から揶揄われるのも、実は嫌いじゃない。
わたしが、ちゃんと一人の「人間」として扱われている気がするから。
それだけのことが妙に嬉しいのだ。
人から揶揄われることに喜びを見出すなんて、わたしはマゾっ気でもあったのだろうか?
「もう一回……」
「ん?」
「もう一回、『可愛い』って言ってくれる?」
わたしは、思わず、そんなことを口にしていた。
夜の海が、あまりにも光がなく、静かなせいだろう。
囁き声のように、波の音だけが微かに聞こえている。
九十九は一瞬、考えて……。
「あ~、可愛い、可愛い」
そう言いながら、わたしの頭を撫でた。
「酷い!!」
なんというおざなりな対応。
しかも、「なでなで」がセットになっている辺り、小さなお子さま扱いされているとしか思えない。
「うぐぐぐ……」
わたしは歯噛みする。
いや、だって、酷すぎるでしょう?
確かに「可愛い」って言葉を、半強制的に言わせようとするわたしの方も酷いかもしれないけど、少しぐらいこの雰囲気に酔って、優しく言ってくれても良いじゃないか。
思わず、下を向いて地面に「の」の字を書く。
「栞」
「何!?」
わたしは完全に油断していた。
そして、わたしの護衛は、より効果的な方法を狙うということを失念もしていた。
だから、何も考えず、何の身構えもなく、顔を上げてその呼びかけに反応してしまったのだ。
5センチと離れていない距離に、九十九の整った顔があった。
もう少し、顔の角度が違っていたら、どこかが触れたかもしれない、そんな距離で……。
「お前は本当に、可愛いな」
そんな台詞を挨拶のような気軽さで口にされた。
「ぎゃふん!!」
そんな古い言葉を叫びながら、思わず、わたしは仰け反る。
ああ! もう!!
これは全部、九十九が悪い!!
至近距離で笑う彼の顔も、混じりけのない素の声も、口にされた言葉すら、全部、この男が悪いんだ!!
だけど、そんなわたしの心も知らずに……。
「お前は、本当に色気がねえなぁ……」
呆れたように護衛は笑うのだった。
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