歌姫の本領発揮
「一曲目からすごいのが来た……」
最初の歌を聴いた時、私は思わず、そう言うしかなかった。
思わず、周りを見渡して、どこかの国のシンプル過ぎる旗を探してしまうぐらいに耳慣れてしまった歌だったから。
人間界の日本と呼ばれる国では、恐らく一番、有名な曲ではないだろうか。
音楽の教科書にはどの学年でも必ず載っていた覚えがある。
しかも、その歌を楽器無し。
まさかの無伴奏合唱だった。
最初に楽器を調律したのは一体、なんだったのだ? と言ってやりたい。
いや、確かにこの歌は、下手に楽器を入れにくいのは分かる。
それぞれが当てるならともかく、一斉に弾いたり吹いたりして賑々しくやるような歌ではないだろう。
この中では、大神官が一番、伸びやかな声をしている。
伊達に「聖歌」を歌い続けているわけではないようだ。
しかも、あの低い声で、高音への移り変わりが凄すぎて、声を失いそうになる。
「高低差の激しい曲だな。始めは低かったのに……」
この男は少し、声を失った方が良いと思う。
「それぐらいは分かるのか」
「失礼な。俺だって、流石に高いか低いかぐらいは理解できる」
それなら、何故、オクターブ単位で音を外すことができるのか?
「しかし、伴奏がない上、指揮もいないのに、よく合わせられるな」
その点にかなり感心した。
誰も突っ走って突出するようなヤツがいない。
それぞれがちゃんと前を向いて声を出しているのに。
「ミオ、指揮ってなんだ?」
「あ~、リズムをとる基準となる人間のことだな。お前の場合はいても意味がない」
リズムを取る気がないのとしか思えないのだから。
『なるほど。指揮はいないが、替わりにリズム打ちがいる』
「は?」
『ツクモがグラスを軽く叩いて、微かに拍をとっているらしい』
「面白いことを考えるな」
だが、「グラスハープ」ってそんな使い方をする楽器だったのか?
いや、先ほどのチューニング中に聞いた音。
あれが本領だろう。
だが、微かな音だと言うのに、あの声量の中で、伝えられるものか?
『後は、ツクモの声に合わせるだけだ。あいつらはそう難しくないと口を揃えて言っていたが、実は難しいのか?』
「リズム感が悪いと無理だな。トルクのようなヤツだと絶望的だ」
「絶望的って言うな」
聞いたこともない旋律の歌に、微かな余韻の後、一気に拍手が沸き起こった。
前方で、大神官に向かって懸命に手を叩いている奴ら。
どう見ても、神官だ。
だが、場が盛り上がるには十分な仕事ぶりだ。
頭の中に「さくら」という単語が浮かんだ。
まさか、そっちの意味じゃねえよな? 後輩。
そして、各々が、楽器を手にする。
いよいよ、始まる。
異色の音楽会。
出演メンバーが、「聖女の卵」とその護衛二人、そして大神官、亡国の王女。
なんだ、この面子?
そして、ここで稼いだ金は全部、この酒場行きか?
『金銭のやりとりができない立場の人間がいるから、一部は聖堂に寄付されるらしい』
「ああ、うん。当然だな」
大神官に、はした金を渡すわけにはいかないだろう。
しかも、ここの店主が元神官だというのなら、尚のことだ。
折衷案だろうな。
そして、次の曲。
春が来たことを歌う歌だ。
短いフレーズの繰り返しで、妙に耳に残る。
そして、この歌詞なら、世界は関係ない。
山も里も野にも春は来る。
どこにでも花は咲くし、どこでも鳥は鳴く。
ごく普通の「春が来た」ことを歌う歌。
「今度は分かりやすい歌だな」
「まあ、今日の歌は分かりやすい歌が多いと思うぞ」
童謡を歌うと言っていたから。
もともと童謡は子供向けの歌だ。
子供に理解できなければ意味がないだろう。
「一曲目は難しかった。だが、意味はほとんど分からなかったが、その歌の迫力に圧倒されたことは確かだ」
まあ、こっ……、いや、あの国の歌だからな。
古い歌だと聞いているので、現代では意味が難しくなってしまうのは仕方ないだろう。
しかし、思ったより、バイオリンが邪魔してない。
高田が「声音石」を使っていることもあるだろうが、思ったより、彼女自身の声量があるのだ。
そして、「グラスハープ」。
器用なことをすると思う。
合いの手のように綺麗に間に入っていく。
この時点で、酒を呑む手が止まっていたのは、私だけではなかっただろう。
それから、次々と懐かしさを覚えるような歌が飛び出していく。
時に、「歌姫」は、近くにいる男と共に二部合唱をする。
初めて聴く九十九の歌声は、低く甘く良い声で、さらに上手かった。
もしかしたら、歌声は兄より良いかもしれない。
歌詞を変えるかと思ったが、そのほとんどは変わっていない。
万一、突っ込まれても、「自分の育った国ではそんな言葉がある」と言ってしまえば良いだけだしな。
時々、ライファス大陸言語に似た微妙な発音の歌が混ざるのは、深く突っ込まないでおこう。
そして、その際の九十九の補助が絶妙で、どこか笑ってしまう。
そして、日本の桜の歌。
これを高田が歌う前に、何故か、九十九が彼女を気にしていたのは何故だろう?
幻想的な風景が思い浮かぶ。
白や淡紅色の花を咲かせる桜が植えられていた小学校、中学校、高校がそれぞれ思い出されていく。
不意に、周囲の照明が、桜色に変わった!?
違う。
これ、もしかして……。
それぞれ、演奏者たちが中央で歌う「歌姫」に視線を送る前には桜色の照明は消えて、元の照明に戻っていた。
その皆の視線を一心に集めてしまった高田は、何事もなかったかのように平然と歌い続けているように見えるが、化粧していても分かるぐらいその頬を桜色に染めていた。
「今のは……」
トルクが私を見た。
こっちを見ないで欲しい。
私は何もやっていない。
『歌姫の想いが溢れ出した結果だろう』
リヒトが私の代わりに答えてくれた。
つまり、想いを込めすぎて、うっかり魔法が発動した……と。
何やってるんだ、あの後輩。
『因みに、「やりやがった! 」、「うわぁ、綺麗」、「敏感な人間でなければ誰がやったかなど分からんだろう」、「魔法が使えるようになったのですね」……の順で伝わってきたが、誰の言葉かを伝える必要はあるか?』
「必要ない」
九十九、マオ、先輩、大神官……。
高田の魔力に対する反応が早い順だ。
そして、視線を送った順番でもあった。
九十九が高田を気にしていた理由もよく分かった。
そんな気配を感じていたのだろう。
だが、次の曲で私はさらに驚愕することとなる。
フルートとバイオリンの二重奏によるイントロ……。
どこかもの悲しさを感じる旋律は、これまで歌い手のどこか呑気で平和な印象をがらりと変える。
そして、「聖女」がその桜色の唇をゆっくり開き、目を閉じて、大きく息を吸って……。
『は~る~こう~ろう~の~……』
鳥肌が立った。
私はその歌を知っている。
当然ながら、その歌のタイトルも。
だが、自身が歌っている時は全く気にしていなかった。
正しくは、歌の意味を深く考えて歌っていなかったのだと思う。
だけど、その意味を理解できるようになった今。
この歌は、あまりにも、切なくて、胸が苦しくなる。
その表情から、高田がこれまで以上に感情を込めているのが分かる。
伸びやかで繊細な声なのに、どこか力強く、今までで一番強弱と緩急に拘っている。
いつもは癒しの雰囲気を纏っているのに、今は、郷愁を誘うような……。
……って、三番もあったのか!?
私は二番までしか知らない!!
そして、さらに四番まで!?
しかも、この四番の歌詞が一番、目と胸にくる。
思わず、胸を押さえていた。
忘れていたわけでない。
忘れたいわけでもない。
だけど、どこかで認めたくもなかった。
自分の国は、あの城が、今は本当にないなんて。
「栄枯は移る……か。俺たちにはどこか胸に痛い歌だな」
トルク……、いや、トルクスタンが自分の胸をさすりながら、ポツリとそう言った。
この歌を選んだのは誰だ?
そして、マオはよく平気だったな。
ヤツは顔色も変えず、平然と演奏をしていた。
そして、さらに選ばれた「名曲」。
この歌が、多くの日本人の心を揺らし続けてきた歌が、遠く空の彼方を越えて、別の惑星の人間たちの心を穿つ。
それは故郷を想う郷愁を歌った歌。
遠く離れた懐かしき風景。
父や母、友を想い、夢を果たした後、いつかは帰ろう。
そんな歌だが、ここは港町。
ほとんどは、故郷から離れて暮らす者が多い町だ。
つまり……。
「これは……」
『ああ、凄いな』
呆然と呟くトルクと、どこか誇らしげなリヒト。
「心を打つ」という言葉がある。
まさにその体現と言えた。
大の大人たちが、親を呼び、友や親しいと思われる人間たちの名を叫ぶ。
それも大泣きしながら……。
そんな年甲斐もなく慟哭する男たちの姿を見て、当の「歌姫」が困惑していた。
「あ、あれ?」
「声音石」を通さない、いつもの呑気な言葉にホッとする。
その横からすっと、黒髪の青年が「声音石」を手に取り……。
『以上をもって、全ての演目を終了させていただきます。本日は、我らが「歌姫」の歌を最後までご清聴いただき、誠にありがとうございました。それでは、引き続き、心を安らぐ一時をお楽しみください』
そう言って一礼し、同じく礼をした「歌姫」を連れて、その場から、素早く立ち去った。
それに合わせて、他のメンバーも礼をしつつ、足早にその場から去る。
最後まで、その場に残っていたもう一人の黒髪の青年が、一瞬だけ、こちらに顔を向けると、一礼して、同じように去った。
『トルク、ミオを隠せ』
「へ?」
いきなりのリヒトの言葉に、トルクはその意味を理解しかねた。
『顔だけで良い。ミオは、舞台にいたマオと同じ顔をしている』
「わ、分かった」
分かりやすいリヒトの指示に、トルクがいきなり私に布を被せた。
だが、そこは、帽子とか、いろいろあるんじゃないか?
恐らく、リヒトは、最後の、立ち去る前に気付いた九十九からの指示だろう。
前にも似たようなことがあった。
あの時は、九十九の意思をリヒトが読み取って、動いたけど……。
周囲は薄暗いし、それぞれの状態が落ち着くまでに時間がかかるだろうが、確かに気付かれると面倒になるかもしれない。
『その上で、店から出る』
「分かってる」
未だ、余韻が醒めぬ酒場から、私たちは足早に立ち去ることになったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




