歌が少ない世界
ああ、わたしは何度繰り返せば、学習するんだろう?
「お前のことで頭がいっぱいで、千歳さんの方まで気が回るかよ!!」
護衛が勢いで言ったそんな言葉だけで、物の見事に撃沈してしまった。
我ながら、チョロい。
チョロ過ぎる。
あの人に他意はないのに、それでも、「お前のことで頭がいっぱい」という言葉だけで、こんなにも嬉しくて恥ずかしい。
傍にいたリヒトは気付いていただろう。
でも、その言葉を言った当人はそんな些細なことに気付くはずもなく、羞恥のあまりしゃがみ込んだわたしを体調不良と判断して、宿に連れ帰るぐらいだった。
そこまで含めて、いつものことだと思う。
そんなわけで、寝台に横たわっている。
いや、本当に立ち眩みがあったわけでもないから、別に寝る必要はないのだけど。
「高田……。大丈夫か?」
水尾先輩の気遣うような声。
「大丈夫です。本当に具合が悪いわけではないので」
わたしは身体を起こした。
「それなら良いんだけど、無理はするなよ?」
「もう大丈夫です」
まさか、九十九の言葉で恥ずかしさのあまり立てなくなりましたなんて本当のことは言えない。
しかも、その当人に抱き抱えて運ばれるとか。
恥を何枚、上に塗りまくったことだろう。
「ああ、高田に誘いをかけた男は本物みたいだ」
「誘い?」
なんのことだろう?
「九十九から聞いた。歌姫を指導してほしいって頼まれたんだって?」
「ああ、はい」
そのことなんて頭から吹っ飛んでいた。
「『Singen』はこの大陸でも有名な酒場らしい。トルクが知っていた。会員制で、会員にならないと入れないようになっているそうだ」
会員制……、ちょっと高級なイメージだね。
でも、店の名前がどうしても、こう、戦国武将を思い出すと言うか……。
いや、スカルウォーク大陸言語で、「歌う」って意味なのは分かっているのだけど。
「トルク……は、何でも知っていますね」
うっかり「トルクスタン王子」と言いたくなる。
癖は、なかなか抜けない。
「一応、立場的に、この大陸にある有名な場所はある程度、押さえているらしいぞ」
そうなると、他国の王族の耳に届くぐらい大きな店ってことか。
「経営者は確かに小豆色の髪に、群青色の瞳をしている。名前は『シンアン=リド=フゥマイル』。年齢は46歳」
「46……。もっと若く見えました」
そう言えば、名前を聞いていなかったね。
あの名刺も店の名前しか書いてなかったし。
「まあ、魔界人だから、見た目年齢とは違うよな」
水尾先輩がそう言って笑った。
魔界人が外見と実年齢が違うことなんて、某国王陛下たちで十分すぎるほど理解していたつもりだけど、まだまだだね。
「で、ここからが先輩からの話」
「雄也さんからの?」
「何でも、三日前から臨時休業中らしい。まあ、店の売りでもある歌を歌うことができる女が男と逃げたなら、そうするしかないよな」
「おおぅ」
会員制のお店でそれって、結構な痛手ではないのだろうか?
そして、歌姫の側で、歌を覚えるような人はいなかったのかな?
まあ、いなかったから、こんな状態になっているとは思うのだけど、歌ってそんなに難しいものだっけ?
「その歌姫は、ストレリチアの神女として、聖歌隊にいたそうだ」
「ストレリチアの……聖歌隊。それなら茶色以上の神女ですね」
なるほど……。
それなら、歌の知識は叩きこまれているはずだ。
ストレリチアは圧倒的に神官……、男の人が多い。
そんな中で、茶色……、「下神女」まで上がるなんて、相当な努力だったことだろう。
そして、聖歌隊では重宝されたはずだ。
特に高音の女声となると、数が少ないから。
「まさか、神女出身者が、男と逃げるなんておもわなかったらしいぞ」
「まあ、普通は、思いませんよね」
でも、ストレリチアでは、独身の神官目当てで神女になろうとする女性も少なくはない。
法力の素養さえあれば、「見習神女」自体にはなれるのだ。
それを考えれば、まあ、珍しくもないと思ってしまう。
でも、後任に引き継ぐことなく、逃げるのはどうかと思うけど。
「そうなると、求められているのは『聖歌』のような歌でしょうか?」
でも、神女ではない人たちに、あの独特の歌詞はすぐに覚えられるものだろうか?
「いや、仮にも『聖女の卵』である高田が、それをストレリチア以外の国で歌うのはどうかと思うぞ?」
「『聖歌』が無理なら、讃美歌……。人間界のクリスマスソングで著作権が切れているものならどうでしょうか?」
「ああ、『もろびとこぞりて』みたいなやつか」
それならば、あらゆる方面で問題はない気がする。
「ああ、でも、先輩は確か、人間界の童謡なら素人にも教えやすいんじゃないかって言ってたぞ」
「童謡……」
声をかけられたきっかけとなったのは確かに童謡だった。
ただ、「歌姫」と呼ばれるほどの立場の人に、それを教えるのはどうだろう?
いや、童謡を馬鹿にしているわけではない。
寧ろ、童謡は素晴らしい!!
子供でも覚えることができるほどの詞とリズムなのに、ずっと心に残り続ける点は本当に凄いと思う。
でも、わたしが知っている歌詞はほとんど日本人向けのものだ。
だから、意味が伝わるかが難しい。
「うぬぅ。改めて考えると難しい」
「まあな」
「教えるなら、楽器……、特にピアノがあると伝えやすいのですが……」
音が聞き取りやすく、音程をとりやすいため、そこまで極端に外すことがないのだ。
「ピアノはないだろうな。弦楽器は存在するが、あそこまで大規模なものは難しい。調律も技術が必要だからな」
どの楽器もそうだけど、ピアノはお手入れ、調律が大変な楽器だ。
ちゃんと管理しないと、すぐ音が狂うらしい。
だから、母は管理が楽な電子ピアノを買ったらしいのだけど。
「ああ、マオが鍵盤ハーモニカだったら、持っていたはずだ」
ちょっと想像してみる。
鍵盤ハーモニカで、音をとる。
うん、難しい。
できなくはないが、演奏の際に口を塞ぐことになる。
それはそれで今度は歌詞にあわせることが難しくなりそうだ。
「真央先輩、鍵盤ハーモニカをお持ちですか」
「後はアルトリコーダーとソプラノリコーダー、あと、鍵盤じゃないハーモニカ」
見事に小学校、中学校の音楽教材である。
「それ以外なら、確か、部活で使うためにフルートは持っていたはずだ」
「フルート? ああ、綺麗な銀色の物をお持ちでしたよね」
しかし、お高いイメージがある楽器でもある。
いや、吹奏楽で使う楽器のほとんどはお高いイメージがあるのだけど。
そして、我が家に昔あった電子ピアノも、中古とはいえ、安いものではなかったらしい。
子供の頃は深く考えずに猫が踏まれたような曲を何回も弾いていた。
あの曲って、楽譜を見たら逆に弾けなくなる不思議な曲だよね?
あの電子ピアノも、魔界に来る時、処分したんだろうな。
この世界では、電気が使えない。
だから、電子ピアノは使えないのだ。
「高田が横笛とか言い出さなくて良かったよ」
「篠笛ならともかく、フルートで横笛って言葉はすぐには出てきませんね。確かに横に構えて吹く笛なので、間違ってはいないのでしょうけど、木管楽器とかそっちの言葉が先に出てきます」
どれだけ、楽器音痴だと思われているのだろうか?
「いや、身近に、そんなことを言う面白いヤツがいたんだよ。マオが久し振りに楽器のことでブチ切れた姿を見た」
「はあ……」
吹奏楽に入るほど楽器が好きだった真央先輩に対して、なんて恐ろしい発言をする猛者がいたのだろうか。
「トルクですか?」
そんなことを言いそうなのはトルクスタン王子ぐらい……かな?
「ヤツは、身内以外で最初の犠牲者だな。鍵盤ハーモニカを見て、面白いけど、変な音だと言い切りやがった。その直後のマオの語りは、小学生だったから押さえが聞かなかったことを差し引いても、私が退くほどだった」
「鍵盤ハーモニカの音ってそんなに変な音ですかね?」
いろいろ突っ込み所しかないけど……、無難な言葉を返す。
「人間界みたいにオルガン系の音を聞きなれていたらそうでもないが、魔界人の王族が聞くような楽器は、弦楽器……、人間界で言えばリュートやアイリッシュハープみたいなものがほとんどだからな」
「リュートやアイリッシュハープの音の方が分かりませんが……」
リュートはなんとなく形が出てくる。
アイリッシュハープって、普通のハープとは違うのかな?
あの大きくて、持ち運びが大変そうなやつ。
でも、弦楽器と言うのだから、確かに鍵盤ハーモニカとは音の種類が違うことが分かる。
「まあ、この世界では楽器が少ないから、どんなものでも新鮮には見えるよな」
水尾先輩はそう言って笑った。
わたしは音楽の素人だから、よく分からないけど、グラスハープとかは知識があればできそうだし、ハンドベルなんかもベルの原理が分かれば作れなくはないだろう。
先ほど話に出た弦楽器や、笛も電気は使わないから、いつかは誰かが作ってくれそうな気がするね。
でも、人間界では数千年の歴史で発展した楽器。
もっと長い歴史があるはずのこの世界ではどうして発展しなかったのだろう?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




