魔界でお茶しよう
『こっ……、これは……!?』
わたしは思わず声を上げた。
「口にあわなかった?」
雄也先輩がポットを持って尋ねる。
ああ、そうか。
彼からはわたしの表情が見えないのだ。
『逆ですよ! 逆! なんですか? この飲み物は……!!』
わたしは思わず、拳を握って力説をする。
その姿も見えてはいないのだろうけど、そんなことは関係ない!
これはわたしの気合の表れなのだから。
目の前に注がれた透明なピンク色の液体……。
これが原因だった。
ピンクグレープフルーツジュースのような色をしているので、なんとなく柑橘系フルーツの味を想像していたのだがこれがまったく違う。
『へぇ~、こんなに美味しいお茶がこの国にあったのねぇ……』
母の、ほうっと息を吐くような声が近くで聞こえた。
「エリサクフィールの葉です。最高級のお茶ではありませんが、私はこれが一番好きなのでこれをお出しました」
『……いや、エリサクフィールを初っ端に出すなよ。魔界の茶が全部こんなだと期待しちまうだろ?』
九十九の言葉から察するにどうやら、平均的なお茶の味ではないらしい。
エリサクフィール……。
錬金術の霊薬と言われている「万能薬」みたいな名前だね。
『城でもこんなお茶は飲んだことはなかったわね。ペイシリョンよりも美味しいお茶があるなんて知らなかったわ』
『ぺ……ペイシリョン……。オレ、一度くらいしか飲んだことが……』
「それは城でも最高級のお茶ですよ、千歳さま。確かにペイシリョンは香り高く嫌いではないのですが、一番、美味しいと思うお茶がこれだったので……」
な、なんか……、よく分からないけど、母が10年以上前に口にした飲み物の味を覚えていると言うことは分かった。
それにしてもかなりシュールな絵面だと思う。
この場で姿が見えるのは雄也先輩だけで、他は透明人間なのだ。
軽くホラーとしか言いようがない。
それでも、この状態を雄也先輩は気にせず、話を続けている。
凄い精神力だ。
「エリサクフィールはこのシルヴァーレン大陸の特産品ではありますが、他大陸ではほとんど口にする機会がないものです」
『特産品なのに他大陸に出荷していないんですか?』
特産品って基本的にその土地の一押し! として、全面的に内外に押し出すものではないだろうか?
名物ってアピールが大事だと思うのだけど、魔界では違うの?
『エリサクフィールは衝撃に酷く弱いんだよ。だから、輸送する際にかなり気を遣うんだ。しかもこのシルヴァーレン大陸の土でしか育たない特殊な植物でもある。売り出すのが難しいのは間違いないな』
九十九がわたしの疑問に答えてくれる。
衝撃に弱いっていうのは、運ぶ時に痛みやすいってことかな?
「この国にいる間は、この国のものを口にして欲しいと思って用意したんだけど……、気に入らなかった? 栞ちゃん」
『い、いえ! そんなことは!!』
寧ろ気に入りすぎたと言うか……。
こんな飲み物を今まで呑んだこともない。
さっき食べた九十九の料理は確かにすっごく美味しかったんだけど、それらが吹っ飛んでしまうような勢いだった。
『ああ、だから食材もこの国限定品が多かったのか。素材に拘る兄貴にしちゃ変だとは思ったんだが……』
「気に入ったのなら良かった。ここにいる間は、俺か九十九なら淹れられるからいつでも言ってね」
『あ、ありがとうございます!!』
先ほどのお茶が飲み放題!
それはなんて幸せなことなのだろう。
これだけでも魔界に来た甲斐があったかもしれない。
『……ってか、茶くらい自分で淹れろよ。エリサクフィールなら失敗しても害はない。ちょっと衝撃を与えたらパッと消えちまうからな』
『はい?』
今、九十九の口からかなり奇妙なことを聞いたような気が……。
『ん? 失敗しても消えるだけだから問題ないって言ったんだが……』
聞き間違いじゃなかった!?
あんなに美味しいお茶が消えてしまうなんて……。
それはただのお湯ってこと?
『そ、そんな……、なんて勿体無い……』
『あらあら……。それは確かに食材を無駄にしてしまう行為ね。因みに衝撃ってどれくらいのレベルのものなのかしら?』
「2センチの高さから葉を落とせば確実に消えますね」
さらりと雄也先輩が答える。
に……、2センチ?
『お湯も80度から82度の間に淹れなければ消えてしまうんじゃなかったっけ?』
さらに九十九が伝えてきた知識の方が酷かった。
温度指定だと?
『ど、どれだけ気を遣って茶を淹れれば良いの!?』
『ガサツな栞では障害が高すぎるわねぇ』
母は呑気にそんなことを言うが……、本当にそれが間違っていないのなら、ガサツとかそんなの関係なく、このお茶の淹れ方って大変だと思う。
確かに美味しかったよ。
美味しかったけど……、そのためにそれだけの手間を掛けられるかと言うと……、少なくともわたしは無理!!
そして、確かに輸出に向かないのもよく分かった。
美味しくても、それだけの損失があれば、利益として考えることは難しいだろう。
移動魔法とかを使っても、消失してしまう可能性が高いものを、仕事とはいえ運ぶことになる人も嫌だろう。
『ああ、魔界は恐ろしい……』
『茶の淹れ方ぐらいで何を言ってるんだ、お前は……』
「まあ、もっと簡単に淹れられるお茶もあるし、まずはそれから慣れていこうか」
『そうね。栞も魔界に住む以上、嗜みとしてお茶や料理ぐらいは出来ないと困るわ。生活する上で、いつまでも彼らに頼るわけにはいかないでしょう?』
た、確かに。
いつまで彼らを頼れるか分からない。
それに……、自分で何もできないままというのは何か違う気がする。
『か、母さんはできるの? その……、魔界での料理……』
『難しいけど、できないことはないわ。もう忘れているかもしれないから覚え直す必要があるけど』
ううっ。
母ができるようになったなら、娘のわたしもできなきゃおかしいね。
「一度でも覚えたなら大丈夫ですよ。10年前と食材も調理法もそう変わりませんから」
確かに10年そこらで料理が大幅に変わっていたら大変だと思う。
仮にお料理革命が起きていたとしても、今までのやり方が完全になくなるわけではないだろうし。
そうなると、わたしは生活する上で、料理も覚えなきゃ駄目ってことになる。
あ~!!
どんどんしなきゃならないことが増えていくよ。
自分の名誉のために言わせていただくなら、人間界では一応、料理ができないわけではなかった。
母子家庭だから、小学校時代から時々、やってはいたのだ。
お菓子作りも片付けは大変だけど、嫌いじゃなかったし、ワカや高瀬とたまに作り合ったりしていた。
でも……、うん、それでも九十九ほど上手じゃなかったことは認める。
人間界でアイスボックスクッキーを市販品のように綺麗に作ることができる少年なんて、初めて見た。
渦巻きとかもあったけど、その中でも、あの市松模様は見事としか言うよりない。
わたしは市松模様が上手くできないのだ。
どうしても、ちょっと模様がズレてしまう。
それに……、他には、フォンダンショコラとか……。
あれも美味しかった。
でも、多分、中学生男子が作ろうとするお菓子じゃないよね?
「それはそうと……。この国にいる以上、お二人には是非していただかなければならないことがあるのですが……」
雄也先輩がどこか申し訳なさそうに言う。
『? お二人?』
『私と栞ってことでしょ。九十九くんは生粋の魔界人だから基本的にはこの国にいても問題はないはずだから』
確かにわたしたちは本当の意味で、生粋の魔界人とは言えない。
「そうです。お二人がこの国に住まわれていたのは今から10年ほど前。ですが、その当時のことを記憶しているものは少なからずいると思われます。特に千歳さまは10年以上住んでおられた。城内だけではなく城下にも覚えている人間がいないとも限りません」
『そうね。私は城下にも顔を出していたし、物覚えが良い人は当時のことを忘れてないかもしれないわね』
「しかも、千歳さまが魔界に来られた頃と、栞ちゃんは同じ年齢です。私はその時代の千歳さまを存じませんが、親子である以上多少似ている部分があることは否定できないでしょう」
『何が言いたいんだ? 兄貴は……』
九十九が焦れたように言う。
『要は、この姿のままじゃ駄目ってことが言いたいわけよね?』
雄也先輩ではなく、母が答えた。
なんで、あれだけの情報で気付くの?
「そのとおりです。心苦しいことではありますが、この国で暮らす以上、お二人の姿を変える必要があるのです」
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