余計な確認
「うお~、狭い!」
「お前は港町の宿に何を期待しているんだ?」
部屋を見たトルクスタン王子の感想に、兄貴は容赦なく突っ込みを入れる。
「しかも、四人部屋!」
「安いからな」
正確には3人部屋に許可を取った上で、寝台を一つ入れただけだ。
だから、余計に狭く感じるのかもしれない。
因みに料金はちゃんと4人分払っている。
「文句があるなら国へ帰れ」
「文句は言ってないだろ? あまりにも狭くてびっくりしているだけだ」
それは文句に入らないらしい。
普段の言動から忘れがちだが、こんな所は王子と言う感じがする。
「お前たちと行動を供にしていたミオはともかく、マオは驚くだろうな~」
「驚かないと思うぞ」
オレもそう思う。
真央さんは人間界を知っている。
人間界、日本の家はそこまで広くない。
しかも、彼女は小学校、中学校の学校行事を経験している。
恐らく、その中には校外宿泊学習もあっただろうから、それに比べれば、この部屋は広く感じるだろう。
実際、人間界の記憶しかない栞は、どこの国へ行っても、部屋が広すぎて落ち着かないと言っていたぐらいだ。
「先ほど、船の手配はできた。ただ、出航は少し先となる」
「それなら、暫く、別行動をとっても良いか?」
「……そのまま、戻ってこなくても良いぞ」
トルクスタン王子の言葉に兄貴は無情にも答える。
「酷い!! お前、誰のおかげで移動が楽にできていると思っているんだ?」
「俺だろう? 諸々の手配、それらにかかる経費は誰が計算し、計画を立てていると思っているんだ?」
兄貴はそう言うが、その計画を立てて、計算された「ゆめの郷」の支払いは、全部、オレ持ちだったけどな。
「……否定はしないけど」
トルクスタン王子は、スカルウォーク大陸内ならあちこち移動をしているし、「ゆめの郷」についても詳しい。
だが、そこで生活できるかと言われたら、恐らくは無理だろう。
下手すれば、自国であるカルセオラリアの城下すら、自活していくのは難しいかもしれない。
そんな兄貴たちの会話を他所に……。
「リヒト、そこは綴りが違う。それだと、『β』に見えてしまう。『ß』とは、少し形が違うんだ」
目の前にいる褐色肌の長耳族に、文字の間違いを指摘する。
間違いやすいからな、この文字。
『あ……』
「焦るな」
『分かっている』
あの「ゆめの郷」を離れて、再び、会話ができるようになったリヒトは、文字を覚えることにしたらしい。
これを覚えれば、会話ができなくても、筆談が可能となる。
ただ、それまで全く文字を読んだことがない人間に、文字を教えることは大変難しい。
単語、文節、文法など、文章というモノの知識がほとんどないのだ。
いや、会話はできるようになったのだから、その頭には、文章の基礎的なものが組み込まれているはずだ。
だが、口語を文章にすることは難しいらしい。
『悪かったな』
「お前が悪いとは一切、思ってもねえよ。そこで、卑屈になるな」
分かりやすい焦り。
それだけ、「ゆめの郷」で感じていた疎外感は大きいのだろう。
それに、好きなヤツと会話できないって本当に辛いもんな。
……鋭い視線が来た。
紫の瞳がオレを睨んでいる。
余計なことを考えるなと言いたいらしい。
「マオたちは隣か?」
「いや、階層が違う。彼女たちの部屋はこの真上だ」
兄貴が上を指差す。
「真上……」
トルクスタン王子が上を向く。
「結界が弱くないか?」
「カルセオラリアや『ゆめの郷』などと比べれば、一般的にはこんなものだ」
下手すれば、宿泊施設に結界がない所の方が多い。
町の入り口や街そのものならともかく、全ての建物にトルクスタン王子が満足できるような結界を張ることなど、一般的にできるはずがない。
「危険だろ!?」
「……危険なのは襲撃者か?」
「…………ああ」
兄貴の笑みに、トルクスタン王子は少し迷った上で、そう答えた。
いや、彼はそう答えるしかなかっただろう。
真上にいる女たちは、魔法国家アリッサムの王族と剣術国家セントポーリアの王族という、この世界ではトップクラスの魔力所持者だ。
少し前の魔法勝負を見ても分かるように、一般的な人間では足元にも及ばない。
下手すれば、中心国でも魔力が弱い方に当たるカルセオラリアの王族すら、蹴散らしてしまうかもしれないのだ。
魔法の火力的な意味では、彼女たちを前に、誰もが黙るしかないだろう。
高貴で一般的には護られる側の女性たち。
だが、その中身は、安全弁の外れ掛かった過剰火力の重火器でしかない。
『ツクモ、考えすぎだ』
リヒトがどこか呆れたようにそう言った。
「人の心、読んでないで、続きを書け。手が止まってる」
『シオリは、慎み深く、愛情豊かな女性だ』
「お前、そんなところばっかり兄貴に似てくるなよ」
そして、その意見に関して後半は理解できるが、前半は賛同しかねる。
「慎み深い」女性は、どんな事情があっても、男相手に、同じ布団に収まる許可などくれないだろう。
オレがそう考えると、リヒトは少し、ムッとした顔をした。
「もうちょっと表情を隠せ」
こいつが、表情豊かになったことは良いことだ。
あの「迷いの森」にいた頃からすれば、会話できるようになったことだけでなく、感情の変化自体も、かなり大きな進化だと思う。
そして、栞もそのことは喜んでいる。
だが、この変化に対して、事情を何も知らない他人が見たらどう思うか?
相手の心の声に合わせてその表情を変えていれば、こいつが持っている「心を読む」能力に気付かれなくても、怪しまれることは避けられないだろう。
特に疚しい心の持ち主であれば猶更だ。
自分の言葉の端々から何かを感じ取られていると考えてしまうだろう。
『分かっている。だが、難しい』
リヒトは迷いながら、口元を押さえる。
「だから、今のうちにオレたちで慣れておけ。人の多い所へ行けば、それだけ注意が必要になる」
それでも、容易なことではないだろう。
今までは、何も分からなかったから、無表情でいられただけだ。
だが、それらの意味合いを知ってしまった。
そして、感情が色づく経験もしてしまった。
今更、何も知らなかったことに戻れないのだから、難しくとも、その隠し方を覚えていくしかないのだ。
『ああ、ユーヤと言えば……』
「あ?」
不意に、リヒトが兄貴の話を始めた。
「兄貴がどうした?」
『先日、お前たち、シオリの夢の中に行っただろう?』
「……行ったな」
『そこで……』
「リヒト?」
リヒトの言葉を遮るように、先ほどまでトルクスタン王子の相手をしていたはずの兄貴が口を挟んできた。
『…………』
リヒトは不服そうな顔を兄貴に向ける。
そして……。
『分かった。でも、気になったのだ』
そう零した。
兄貴が何か考えたのだろう。
だから、リヒトがオレに向かって、何を言いかけたのか、分からない。
内容は、分からないが、少なくとも、兄貴にとっては不本意な話をしようとしたことは間違いない。
だから、分かりやすく口止めをしているのだろうし。
先日、行った栞の夢の中で、オレたちは過去の未練と向き合うこととなった。
10年以上昔に亡くなった師、ミヤドリードと会話することになったのだ。
だが、その夢を見ていた当事者は、その時のことをあまりよく覚えていないという。
夢を見た記憶はあるのだが、内容については、なんとなくモヤがかかったような状態だと言っていた。
だから、オレはいないところで、2人の間に何かがあったとしても、それはオレのあずかり知らぬことだ。
そして、兄貴がオレに言うことはないだろう。
その時は、素直にそう思っていた。
だからオレは知らない……はずだった。
後で、リヒトが兄貴がいなくなった時に、こっそりと、オレに余計なことを確認するまでは。
『β』と『ß』の違いが、スマートホンからでも表現できていると良いのですが……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




