いつも通りに見えるのに
あれほどゴタゴタして、いろいろあった「ゆめの郷」も、発ってしまえばあっという間に見えなくなってしまった。
「まあ、ほとんどトルク……の移動魔法のおかげだけどな」
横にいる九十九の声が聞こえる。
トルクスタン王子の愛称、「トルク」に慣れていないため、違和感があるらしい。
その気持ちはよく分かる。
わたしも、まだ言い慣れてないのだ。
空属性最高位のカルセオラリア出身の王子殿下は、スカルウォーク大陸内なら、ある程度の人数まで移動できると豪語しているだけあって、移動時間はほとんどなかった。
スカルウォーク大陸って、6大陸の中で一番、広いんだけどね。
しいて言えば、国境を越える時に変な状態異常を起こすわたしと、転移酔いをするリヒトが眠らされたぐらいか。
そんなわけで、「ゆめの郷」があった乗物国家「ティアレラ」から場所を移して、ここは道具国家「シャリンバイ」の港町「マルバ」。
そこで久し振りに、この世界の潮風の香りを感じていた。
国境を越えるために、先ほどまで薬によって眠らされたせいか、腕や足がまだ重い気がする。
わたしは手の平を握ったり広げたりして、調子を見ていた。
「まだ違和感があるか?」
「うん。なんか痺れている時に似ているんだけど……」
動きがぎこちないと言うか、微妙に血が通っていないような気がする。
勿論、そんなはずはないのだけど。
「見せてみろ」
そう言われたので、何も考えずに手を出した。
いつものように手をとられ、手の甲や手のひらをじっと見たり、圧迫してみたりといろいろ確認される。
それが妙に気恥ずかしい。
手を握られているだけだというのに、緊張してしまう。
何度もそれ以上のことをされたこともあるのに、こうして、改めて触れられると少しだけ、何かが違う気がするのだ。
なんでだろう?
「どうした?」
だが、わたしの変化に過敏なほど敏感な護衛青年は、すぐに様子がおかしいことに気付いて手を止める。
「なんか調子が悪い」
それは、肉体的な疲労などではなく、精神的なものかもしれない。
でも、彼の瞳は誤魔化せないのだから、正直に悪い所は悪いって言っておかないとね。
「そうか……。薬草茶の配分を変えたのが良くなかったか?」
「配分を変えたの?」
「あ~、不味いって言ってだろ? だから、少し、苦味を押さえたんだけど、それで血行が悪くな……いや、逆か。血行が良すぎる感じだな、これ……」
もしかしなくても、この緊張状態は血行が良くなりすぎているだけ……ということでしょうか?
そのことで、少しだけ安堵の息を漏らす。
「きついなら、休むか?」
「いや、大丈夫」
「魔法力が回復しきってないのもあるか。やはり、もう少し出発を遅らせるべきだったかもしれんな」
九十九がそう溜息を吐いた。
「やはり、あんな状態で魔法勝負なんかしなければ良かったか?」
「いやいや! わたしの初勝利をなかったことにしないで!」
「は?」
「初勝利」
九十九には伝わらなかったらしいので、もう一回言ってみる。
「あ~、どういう意味だ?」
「初勝利なの! ずっと水尾先輩には負けていて、セ……、いや、ち、父親にも勝てなくて……」
「お前、今、挙げている人間たちが魔法に関してどれだけ天上人か分かっていて言ってるか?」
魔法国家の第三王女と剣術国家の国王陛下。
「分かってるよ! でも、雄也さんにも勝てなかったし、水尾先輩との共闘では勝ったけど、あれはわたしの力なんてほとんどなかったし」
寧ろ、雄也さんは水尾先輩相手に一人で勝てることも証明してしまった。
「それが、ようやく自分だけの力で勝負に勝ったんだよ!」
まあ、アレも少しばかり卑怯な手段ではあったけど。
何でもありなルールだったのだから、その辺は大目に見てもらおう。
「ほう? お前はオレに勝ったことがそんなに嬉しいのか?」
「嬉しい! 初勝利記念日として制定したいぐらい」
「やめろ」
どこまでもいつもどおり。
あの「ゆめの郷」での出来事はまるで夢のようだ。
あんなことやこんなことまであったというのに、わたしたちの関係はどこまでも変わらない。
いや、変えたいわけじゃないんだ。
それでも、ちょっとだけ、淋しく思うのは何故だろうね?
****
本当にどこまでもいつもどおりでホッとする。
今、オレたちは道具国家「シャリンバイ」にある港町「マルバ」という場所で、足止めを食らっていた。
そう、足止めである。
次に向かう場所、目的地が弓術国家「ローダンセ」と決めたのは良いが、航路に海獣の群れが現れたらしい。
季節は折りしも春。
それも、「双月宮」が過ぎ、「紅月宮」。
この時季は、海を縄張りとする海獣たちの恋の季節、「求愛期」らしく、全体的に海が荒れやすいそうだ。
中には、天候すら操るやつもいるとかで、水尾さんが妙に喜んでいた。
この時季は、定期船は航路変更をすることがほとんどらしいが、それでも、船を同族と間違えて襲い掛か、いや、求愛行動に出る海獣もいるようで、極端に便数は減るらしい。
しかも、今回、オレたちは定期船ではなく、賃借船舶を利用する予定だった。
心が読めてしまうリヒトがいるために、定期船のように他人が多く集うところをできるだけ避けさせたいらしい。
そのために、航路を慎重に選ぶ必要があるそうだ。
海獣の「求愛期」ではあるが、それは、自然現象であるため、討伐の対象となるものはいない。
人間が巻き込まれたとしても、それは人間が悪いらしい。
「海の恋路を邪魔するヤツは、海に呪われ溺れ死ね」と言うのが船乗り、海に生きる人間たちの言葉だとか。
言葉に妙な怨恨が籠っている辺り、海獣だけの話とは思えないのは気のせいか?
「あの辺、いきなり曇ったね」
栞が水平線を指差した。
確かに、先ほどまで青かった空が、雷雲を伴うような色に変わっている。
「ああ、海獣たちの求愛行動だろう」
「求愛で天候が変わるって凄いよね」
雷撃を連続で落とすような女が何か言っているが、気のせいか?
「あの辺りで雷雲を呼びそうな海獣は、『大型海豚』だな。体長が15,6メートルぐらいの……巨大なイルカだ」
「待って? わたしの知っているイルカとサイズが違う! それ、クジラの間違いじゃないの?」
「海獣と呼ばれる生き物は基本的に10メートル以上だ。『大型海豚』は一匹の雄を、雌同士が取り合う。雌が雷雲を呼び寄せ、バトルロイヤル式で戦い、最後に勝ったヤツだけが、……雄にありつけるわけだな」
それを雄は最初から最後まで見守らなければならないらしい。
雷が落ちても、その場から逃げることはできず、戦いに敗れた雌たちが、集団で雄を囲むそうだ。
そんな女の戦いを見せられるのは大変だろうと思う。
「ありつけるって……」
本当はもっと露骨な言葉を使いかけたが、流石に躊躇われた。
だが、選んだ言葉もあまり良くなかったらしい。
栞がなんとも複雑な視線をオレに向けているから。
「雌の集団……、ハーレムではないのね」
「いや、選ばれた雌が妊娠して、相手の雄がフリーになったら、また次の戦闘が始まるらしいから、一応、ハーレムと言えなくもないか?」
三日三晩ずっとやることをやれば、ほぼ確実に受精するらしいから受精率は高いのだろう。
戦いに敗れた雌たちに取り囲まれ、見守られながら……というのはちょっとどうかと思うが、それは人間の感覚だ。
但し、雄が生まれる確率は100分の1らしい。
つまりは、雄の方は圧倒的に数が少ない。
選ばれるために雌たちは必死になるしかない。
だから、雄を逃がさないように取り囲んで、次の戦いを待つのだ。
それを「気高き雌たちの雷舞」と呼ぶとかなんとか。
誰が考えたんだろうな?
「……突っ込み所しかない」
説明を全てしたわけでもないのに、そんな感想を漏らす栞。
全部を伝えたら、彼女はどんな顔をするだろうか?
「『紅月宮』の間だけだからな。海獣たちも必死なんだよ」
「『紅月宮』から『蒼月宮』に変わるとどうなるの?」
「せ……、いや、は……、じゃない、妊娠可能期間が終わるらしい」
雄の方に性欲がなくなり、「発情期」が終わる。
そんな露骨な言葉を栞に向かって口にできるはずもない。
特にオレが。
陸で生きる魔獣はともかく、海獣の「発情期」は、どの種族も「紅月宮」のみだ。
妊娠期間はそれぞれ違うので、出産時期は異なるが、「求愛期」と「生産期」は一緒なので、海に生きる人間たちにとっては非常に助かるらしい。
「『求愛期』……、恋の季節か……」
栞はそう言いながら、何故か悩まし気な溜息を吐いたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




