全く覚えていない
「ふおっ!?」
わたしは年頃の娘としてはあるまじき奇声を上げて、飛び起きる。
そして、さらに……。
「ふ、もっ!?」
自分の置かれている状況を理解して、再度、叫ぼうとした時に自分の口を塞がれた。
「これ以上、叫ぶな。リヒトや兄貴が起きる」
そう言いながら、わたしの口を塞いだのは九十九の手だった。
それは良い。
だけど、何故、こんな状態になっているのだろうか?
そこが分からない。
わたしが寝る前に何があった?
ここは見た所、薄暗い部屋だ。
飾り気もなく、簡素な部屋だった。
この部屋に見覚えは全くない。
これまでの宿泊施設とはちょっと違う雰囲気の部屋だった。
この部屋に置かれている寝台は二つ。
一つは、長耳族であるリヒトが使っているみたいだが、もう一つは今、自分が横になっていた。
いや、問題はそこだけど、それだけじゃない。
枕が固いのだ。
それも物凄く。
そして、温かい上に、もぞもぞと動いている。
まあ、はっきりと言ってしまえば、寝台に座っている九十九の太股の上、わたしは世間一般で言う膝枕をされているような状態だった。
いや、膝とは位置が少しずれているけど、太股に頭を載せることを膝枕と言うのから、これも膝枕と言ってよいと思う。
これは、叫びたくもなるでしょう?
さらに、背中付近に別の何かが身動ぐ気配がした。
九十九の言葉通りならば、気配の正体は雄也さんなのだと思う。
思わず、この寝台は三人乗っても大丈夫なんだなとどこか明後日の方向に思考を飛ばしたくなった。
いや、この状況ってどんなお姫さまですか!?
わたしは確かに王族の血が流れているらしいけど、こんな美形に囲まれて図太く眠ることができるほどの、ああ、でも、こんな展開、すっごく前にもあった気がする!!
「あまり動くなよ」
心は大騒ぎであっても、わたしが大声を出す様子がなくなったことを確認して、九十九が口から手を離してくれた。
「は、はい!!」
思わず敬語で返してしまう。
「その、足が、痺れるから」
どこか気まずそうな声で、九十九がそんなことを言った。
ちょっと可愛いと思ってしまう。
だけど、足がしびれる辛さはよく分かるので……。
「魔界人も足は痺れるんだね」
そう言いながら、慌てて身体を起こそうとすると……。
「動くな」
そう言って、肩に手を置かれ、軽く押さえられる。
「う?」
「兄貴がすぐ傍で珍しく寝ている。起こしたくねえ」
珍しくって、まるで、九十九は雄也さんのことを日頃、寝ていない人みたいなことを言う。
ストレリチアの大聖堂にいた時は、割と、雄也さんも寝ていた気がするのだけど。
でも、言っていることは理解できるので、そのまま、再び身体を倒す。
ゴツリとどこか固い感触が頭にある。
「固い」
思わずそう言うと……。
「この寝台が狭いんだから仕方ねえだろ。寝心地が悪くても、少しぐらい我慢しろ」
「寝心地が悪いわけではないのだけど……」
確かに固くて、少し、いや、かなり普通の枕よりはちょっとばかり高い位置にある。
だけど、寝心地は悪いかと言われたら、首がいつもよりも頑張っている感があるけれど、どうせならこのままの状態でいて欲しいな~って思ってしまう。
足が痺れている九十九には大変、申し訳ないが。
いや、膝枕って、ときめくよね?
抱擁より、接触している部分はずっと少ないのだけれど、こう、九十九の足に頭を乗っけているという非日常的な空間がちょっと嬉しいし、妙に安心できる気がする。
胸の奥が擽られるような……。
あれ?
そう思うのって、わたしだけ?
自分でも、男女の役割が逆じゃないか? という心理もないわけでない。
だけど、彼女や恋人でもない相手から膝枕ってされたいもの?
……ん?
この状況もちょっとおかしいのか?
ああ、でも、妙に癒される……。
「どうした? やっぱり嫌か?」
わたしが力を抜いたことが分かるのか、九十九が問いかける。
「ん~? 嫌じゃないよ」
力を抜いて、リラックスしているのに、何故嫌だと思うのか?
「気持ちが良い」
こう体中を、見えない何かが染みわたっていくような不思議な感覚がある。
「気持ちが良いって、男の膝枕だぞ? 固いだろ?」
「ん~?」
確かに、彼は足腰をしっかり鍛えているから、この太股が固いことは否定するつもりはないけど……。
「女性の膝枕をよく覚えていないから、違いが分からない」
ワカやオーディナーシャさまから膝をすすめられたことはあったけれど、結局、やったことはない。
流石にいろいろ問題になりそうだし。
母からは、小さい頃、耳掻きで膝枕をされたことはあるかな。
でも、それもよく覚えていない。
あれ?
そう考えると……。
「初膝枕?」
思わずそう口にしていた。
「そうなのか?」
「母以外からは多分、初?」
「オレは……、ミヤからしてもらったことはあるかな」
実は、封印を解呪する前に、わたしが一度だけ九十九に膝枕をしたことはあるのだが、それを九十九は知らないらしい。
まあ、あの時は九十九も意識を飛ばしてしまった後だったから仕方ないのだけど、あの時、わたしの足は犠牲になったのに、と思う気持ちもなくはなかった。
だが、覚えていないものを数に入れろとは流石に言えない。
それに、それを説明するのも少し気恥ずかしいものがあった。
あの時、膝より先に、九十九はわたしの胸元に倒れ掛かってきたのだから。
そんな説明を、それも三年近くも前に起きたようなことを今更言われたって、彼だって困るよね?
でも、あの時よりは、多分、胸も成長している。
いや、だからどうだって話だけど……。
「み、ミヤって、ミヤドリードさん?」
九十九たちの師という立場にあった人で、母の友人でもある人だったはずだ。
「ああ、そうか。お前は覚えていないのか」
「ぬ?」
「いや、そのミヤドリードが、お前の夢に現れたことは覚えているか?」
「えっと……、多分?」
ここ数日、その人がわたしの夢に現れていた気がする。
「その姿にお前が変身したことは?」
「それは覚えているけど……」
でも、今はもう、その変身魔法は使える気がしなかった。
あの時、九十九が驚くほどの姿になったことは間違いないが、今は先ほどまで眠っていたせいか、そこまで詳細な彼女の姿を思い浮かべることができなくなっている。
「オレたちが、お前の夢の中に入り込んだことは?」
「え? そうなの?」
それでこの状態なのか。
ちょっと納得した。
「覚えて、ないのか」
どこか淋しそうな九十九の声。
でも、その表情は見えない。
この距離で九十九の顔を見ようとすると、とんでもなく心臓に悪いほどの至近距離となってしまう。
だから、わたしは九十九の身体の方に顔を向けないようにしていた。
「夢で、彼女に会えた?」
会話の流れから、そう言うことだと察する。
彼女はここ数日、わたしの夢の中に現れていた。
そして、他人の夢に入ることができる雄也さんを呼び出したのだろう。
「ああ、ちゃんと逢えたよ」
その声に、先ほどのような寂しさはない。
どこか素直な喜びすら感じられる。
「九十九は、夢に出てきた人が本物のミヤドリードさんって、信じる人?」
それはどこか意地悪な問いかけ。
偽者の可能性すら匂わせるようなわたしの言葉に……。
「ああ、あのミヤが偽物であるはずがない」
そう自信を持ってきっぱりと答えられてしまった。
疑問を挟む余地もない力強い言葉は、すごく彼らしくて、ホッとしてしまう。
「そっか」
「お前は、全く覚えていないのか?」
「全くと言うか、朧げに、ぼんやりって感じかな?」
以前、カルセオラリア城崩壊後に、雄也さんが夢に出てきた時は今でも思い出せるほどしっかり覚えているのに、今日の夢はどこか、はっきりとしない。
夢を見たことは分かるのに、その内容とかは全く覚えていないのだ。
「いや、いきなり叫んで起きたから、オレが戻って来た後、何かあったのかと思って」
「ああ、なんか叫んだ気がするね」
その直後、この状況にもっと叫びたくなったわけですが……。
「九十九の膝枕の衝撃が強すぎて、吹っ飛んだ」
「オレのせいか?」
「そうかもしれない」
でも、これはこれで悪くないと思う。
「ああ、これで良いや」
「何が?」
「勝者のご褒美」
「あ?」
どうやら、九十九は忘れているらしい。
「あれ? 忘れてる? 九十九に勝負で勝ったら、『何でもしてくれる』んでしょ? これをご褒美として頂くよ」
「ああ、……ってお前、こんなので良いのか?」
「え~? かなり贅沢なご褒美だよ?」
かっこいい殿方からの膝枕。
ワカだったら、「金をとれる!」と言うような話だ。
オプションで頭を撫でられたら、気持ちよさのあまり、溶けてしまうかもしれない。
「こんな固い膝で良ければ、いつでも使え」
「そうさせてもらうよ」
わたしはそう言って笑った。
胸を貸してくれたり、肩を貸してくれたり、今度は膝まで貸してくれるわたしの護衛。
今はただ、この心地よさに甘えていたい。
だから、この胸に微かに残る痛みについては、深く考えないようにした。
いつまでも、避けては通れない。
そして、自分自身、そろそろ自覚もしているのだけど……。
まだ、認めるわけにはいかないのだ。
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