支えとなるために
「解説を求めても良いかな」
俺は、黒髪の少女に向かってそう尋ねた。
解説……、というより、状況説明を求めるために、事情聴取をする気分だ。
「最後の『変身魔法』……について……ですよね?」
どこか疲れたような笑みを浮かべながら、彼女は俺に答えた。
「その前に、座るかい?」
少し見ているだけで、小柄なその身体が不自然なリズムで揺れているのが分かる。
先にぶっ倒されてしまった愚弟はともかく、彼女のそんな姿はあまり長く見ていたいものではない。
「いえ、このままで。一度座っちゃうと、もう二度と立ち上がれなくなりそうなので」
そう言って、彼女は断りを入れる。
立ち上がれないならともかく、そのまま意識を飛ばしてしまうのだろう。
だから、座らない。
「それなら仕方ない」
「ふわっ!?」
「許可なく触れてごめんね」
俺は、彼女の肩を引き寄せ、支えとなる。
弟が寝ていて良かった。
他意はないのに、コイツは煩いからな。
今のコイツなら、彼女を守るためと称して、俺相手でも殺気の一つや二つ、平気で放つだろう。
恋に狂って開き直った男というものは本当にタチが悪いものだ。
まあ、俺の弟で、あの人の息子でもあるのだから、気に入ったモノに対する執着心は人一倍あってもおかしくはないのだが。
「ありがとうございます」
そう言いながら、素直に力を抜き、その身体を預けてきた。
これはこれで護衛としては安心でもあり、同時にとても、心配になってくる。
護衛としては、主人にここまで信頼されていることは嬉しいし、とても光栄なことだ。
だが、仮にも異性である自分に対して、ここまで無防備になられるのは、少しばかり不安にも思ってしまう。
「先ほどの魔法は……、ミヤドリードさんの姿をお借りしたものです」
俺にもたれかかりながら、彼女はそう口にする。
先ほどの金髪の女性は、今の彼女が覚えているはずもない、俺たち兄弟の師である「ミヤドリード=ザニカ=バンブバーレイ」、いや、「ミヤドリード=ザニカ=イースターカクタス」の姿だったのだ。
あの姿を見ただけで、今も、反射的に背筋が伸びてしまうほど緊張してしまう存在。
「栞ちゃんは、ミヤドリードのことを思い出したのかい?」
自分の動揺を悟られまいと、自然に促す。
彼女は、幼い頃の記憶を封印したままだ。
だから、その頃にしか接点がないはずのミヤドリードのことを、彼女が知っているのは不自然だった。
それほど、先ほど見たあの自信溢れる立ち姿と、他人を小馬鹿にする高慢な物言いはよく似ていたのだ。
本人を知っていなければ、おかしいほどしっかりと。
「いいえ」
だけど、黒髪の主人は否定する。
「わたしは、あの方にお世話になったことを覚えていません」
封印されている記憶を思い出したわけではないのだと言う。
「だから、毎晩のように添い寝をしてもらったり、身体の隅々まで洗われたり、歳が離れた姉のように慕っていた覚えもないのです」
「…………ちょっと待って?」
「はい?」
俺の制止の言葉に、純粋な疑問符を浮かべる素直な主人。
先ほどの彼女の言葉から、本当に思い出したわけではないことを思い知る。
少なくとも、俺が知る限りの範囲で、彼女は、ミヤドリードからそんな扱いを受けていなかった。
常々、やりたい、してほしいと零していたのは聞いたことがあったのだが、それらは母親であるチトセさまの役割だとぐっと我慢していたことだったはずだ。
その代償として、俺や九十九が多々、犠牲になったわけだが。
「それは、誰かから聞いたのかな?」
「ええ、まあ、本人……、に?」
どこか曖昧な返答。
だが、その言葉に嘘は感じられない。
誤魔化す気があれば、彼女はもっと上手な受け答えを選べるだろう。
「本人に? どこで?」
少なくとも、ミヤドリードは間違いなく死んだのだ。
彼女たち母娘が人間界へと姿を消して間もない頃に。
それは、城下でその遺体を確認した俺自身も知っていることだし、ミヤドリードの「魂石」を持っていたセントポーリア国王陛下も承知のことである。
それならば、今の彼女がどこで、ミヤドリードと会ったのか?
過去の人間が未来の、いや、現在の人間と出会う場所。
時間の流れを捻じ曲げて、会うはずのない人間の縁が交わり合う、そんな奇跡が起こり得るのはどこか?
「その、はっきりと覚えていないのですが……、夢の中で」
迷いながらも、彼女はその答えを口にする。
「夢の中?」
「えっと、ここ3日ほど、あの方から呼ばれまして」
「3日も?」
その期間もさることながら、「呼ばれた」と言う表現も気にかかった。
「わたし、夢の中での出来事をあまりはっきりと覚えていられないようで……」
そのことは知っている。
だが、大半の人間はそんなものだ。
同じ夢を繰り返し見た所で、それらを詳細に覚えていることなどできるわけもない。
ましてや、会った覚えのない人間について、良く知った相手を誤認させてしまうような変身ができるほど、しっかりと記憶することはかなり難しいと思うのだが……。
「だから、混ぜました」
「は?」
「イースターカクタス国王陛下を始めとして、夢の中で出会ったミヤドリードさんに似ていると思う人たちを混ぜて自分なりにあの方のイメージを作り上げました」
そう言って微笑む。
いや、それこそ簡単にできることではないだろう。
いろいろな人間を混ぜれば、どこかで矛盾が起こり、そのイメージが破綻してしまう気がする。
「後は、これまでに視た『過去視』の影響もあるかもですね。しっかりと覚えていなくても、幼い頃の自分を何度か視た覚えもありますし……」
加えて、俺たちがミヤドリードと接していたのは、十年以上も昔の話だ。
それならば、俺たちの記憶も曖昧になっていることだろう。
だから、姿や口調を似せ、短い言葉だけでも、十分、誤魔化すことができたということか。
「九十九の油断を誘うためとはいっても、よくやってみたね」
一歩間違えれば、思い出を踏み躙る行為へと繋がる。
それが綺麗な思い出であるほど、騙された傷は大きい。
他人を傷つけることを嫌う彼女の性格上、こんな騙し討ちのような手段を取るのはかなりの葛藤があったことだろう。
「いや、ミヤドリードさんに頼まれまして……」
「え?」
今、不思議な言葉が聞こえた気がした。
「幻影でも、投影でもどんな魔法でも良いから、『あの人の姿』を見せた上で、九十九や雄也さんに『夢で逢いましょう』と伝えてくれ……と」
先ほど、九十九が眠る前に言われた最後のあの言葉は……。
「ミヤ……が……?」
思わず「ミヤドリード」ではなく愛称である「ミヤ」と口から出てきた。
まさか、彼女の夢の中に現れたというのか?
いや、だが、ミヤドリードはもうこの世界のどこにもいないはずなのに。
思わず、自分に寄り掛かっている黒髪の主人の同じく黒い瞳を見つめる。
「でも、勿論、本物かどうかは分かりませんよ?」
だが、逆に偽者かどうかも分からない。
少なくとも、彼女は嘘を吐いていないのだ。
それだけでも、信じる価値は、少なくとも、俺にはある。
それに……。
「もしかして、そのために九十九と勝負を?」
「いいえ、それは違います」
俺からの問いかけを、彼女はきっぱりと否定する。
「単純にわたしが、九十九と勝負したかっただけですよ」
そう言って、息を吐く。
確かに、弟と彼女がまともに勝負をしたことはなかった。
「でも、勝者になれば、話をしやすいし、負けても、九十九なら改めて話を聞いてくれるかなと思ったことは否定しません」
主人は照れくさそうに笑ったが、不意に……。
「結果として、あなたたちの思い出を、利用する形にはなってしまいましたが……」
少し沈んでしまった。
「本当はわたし自身が変身なんて……、するつもりなんてなかったんです」
さらに消え入るような声。
「あなたたちを傷つけたかったわけじゃないのに……」
その声は後悔と自責の念にかられている。
だが、弟はともかく、俺はまったく傷ついてはいなかった。
勿論、驚きはしたが、それだけのことだ。
「栞ちゃんの夢に現れたミヤドリードは、『夢で逢う』と言ったんだね?」
「え? はい。でも……」
「分かっている。それが本物かどうかは分からない。だけど、せっかくの誘いだ。乗ってみよう」
その真贋は自分の目で見定めることにしよう。
だが、一つ大きな問題があった。
「九十九とリヒト……、どうしましょうか?」
すぐ近くでぶっ倒れている弟と、この広場から離れることが難しい長耳族の少年。
その2人のことを考えて、彼女はまた大きな溜息を吐いたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




