複雑な思いを抱いて
その勝負を見届けることになったのは、本当に偶然で。
その場に立ち会うことになったのは、俺にとって最大の幸運であり、同時に最大の不運にも繋がった。
「始め!!」
そんな号令と共に、弟が、生物召喚の詠唱を始める。
その行動に気付いた主人は、素早く様々な魔法を使って、妨害しようとするが、あの器用な弟は集中力を乱すことなく、回避していく。
素早く動きながらも、集中して魔法の準備。
あれぐらいはできなければ、護衛など務まらない。
しかし、足元を狙う攻撃魔法とは面白い。
あの逃げ回る足を止めようとする方向性は確かに間違っていないのだから。
ただ、勿体ないことに、ちょっと攻撃が優しすぎるだけだな。
それにしても、あの詠唱。
そうまでして、勝ちたいのか? 我が弟よ。
詠唱の全てを終え、弟が召喚したのは魔蟲の一種。
この世界では「ゲトゲト」と呼ばれ、人間界では……「クロゴキブリ」と呼ばれる虫にとてもよく似ているものだった。
一応、微弱ながらも魔力があるため、「魔蟲」と呼ばれている。
一定時間、暗闇にいると、その羽の黒い艶が増し、触覚と足の先が光り出すのだ。
触覚や足の光に関しては、人間界のホタルのように幻想的な光なら良いのだが、自己主張の強い光り方、近年開発されたLED照明の点滅する状況を思い出してくれたら良いだろう。
点灯ではなく、点滅である。
それも瞬間的に眩しい光を数秒間、放つのだ。
まさに嫌がらせのような虫である。
その黒光りする虫たちが、一匹、二匹程度ならともかく、数百匹を越えるのは、心中、穏やかではいられない。
あの虫たちが特に何かするわけではないが、大量に蠢く姿を見ると、背中辺りに生理的な嫌悪感から、寒気がしてくる。
だが、黒髪の主人は顔を顰めながらも、冷静に対応する。
『液体洗剤!!』
その言葉と共に、不思議な液体を大量に召喚し、その魔蟲たちを包み込んだ。
そして、それらの召喚された虫たちを、緑色の丸い大量の液体が上から落ちてきて残らず包み込んだ。
簡単には駆除できないはずの虫たちは、あっさりとその動きを止めていく。
だが、その状態は主人にとって予想外だったようだ。
それでも、慌てながらも逞しい主人は、それを弟への攻撃へと使う。
その大量の「魔蟲」入り液体を浮かせた上、弟に向かって、容赦なく投げつける。
「信じられねえ、この女!!」
弟は叫ぶが、信じられないのはお前の方だ。
少なくとも、女性に対して使う攻撃方法ではないだろう。
そのまま、液体の塊が破れて中身が飛び出すことを僅かながら期待したが、残念ながら弟は焼き払うことを選択した。
「栞ちゃん、栞ちゃん」
だが、一応、伝えておくべきことだろう。
「はい?」
「液体洗剤での駆除は、見えない病原体を発生させる元だから、台所ではあまり使わない方が良いよ」
「へ? そうなんですか?」
それについては知らなかったらしい。
人間界の知識によると、界面活性剤はその虫の呼吸器官を覆うため、窒息死させることができるが、その強力な浸透圧によって、体内にある病原菌が外へ溶け出すという危険もあるのだ。
台所では、殺虫剤より手元にあって使いやすいが、その分、注意が必要である。
『殺菌!!』
そこで彼女が選んだ言葉は「殺菌」。
いろいろ応用が利く魔法だなと思わず感心してしまった。
だが、その応用は更なる広がりを見せていく。
弟が「大水魔法」を放てば、主人は「土嚢」という言葉一つで、大量の「土嚢袋」を積み上げた。
主人が「風魔法」を放てば、弟が持ち前の頑丈さを発揮して、魔法を使わずにその場で踏みとどまる。
「いや、待て! いろいろおかしい!! なんだ? 『土嚢』って」
「洪水には必須だよ? 土嚢袋って」
「知ってるよ!! そこじゃねえんだよ!!」
どうも弟はツッコミを入れたくてしょうがないらしい。
理論とか、理屈だとかを考えず、そう言うものだと割り切ってしまえば、もっと、彼女の魔法を楽しめるのに。
「いや、わたしの魔法に対して、踏ん張るだけで耐え切っちゃう九十九も十分、おかしいからね」
「お前の魔法でいちいち吹っ飛んでいたら、お前の護衛なんて務まらないだろう?」
それは自慢にならない。
それだけの耐性を身に付けていると言うことは、それだけ彼女から吹っ飛ばされてきたということに他ならないのだ。
いつの間にか身に付けていた「光弾魔法」を数発、主人に向かって放つ。
だが、それをあっさりと主人は防ぐ……、だけではなく、弾き返した。
「ほう……」
タイミングを測って、真っすぐに返るようにしたのか。
まるで、野球のバッティング、いや、彼女の場合、ソフトボールのバントで培った技術だと推測される。
まあ、バントで素直に投手に返してしまうのは、かなりの失敗ではあるのだが。
全てを返すことはできなかったが、完全にタイミングを掴んだら、反射に近いことができるようになるだろう。
いや、あのやり方なら、「倍返し」などの言葉を使って、相手の魔法の威力を増幅した上で跳ね返すこともできるかもしれない。
単純に跳ね返すだけでは、ヤツには通じない。
「自分の魔法を食らうやつなんかいねえ!!」
跳ね返った「光弾魔法」を掻き消しつつ、さらに「光弾魔法」を大量に撃ち放つ。
それは光のカーテンのように隙間なく、小柄な彼女を覆い尽くすように。
『吹っ飛べ!!』
主人は、地面に両手を突くと、その前面の土が一斉に盛り上がり、弟が放った「光弾魔法」を飲み込み、弾いていく。
だが、弟は、驚くこともなく、彼女のいた場所に雷撃魔法を落とした。
追撃としては、悪くない。
だが、まだ甘い。
本気でやるなら、雷撃魔法も威力を落として隙間なくやれ。
「ちっ、巧く躱しやがった」
弟の舌打ちが聞こえる。
当然だ。
「素直に当たっておけば良いのに……」
あんな精度で当たるはずがない。
あの主人が、これまでどれだけの回避能力を発揮してきたと思っているんだ?
「安心しろ。万一、食らっても、一筋の跡も残さず治してやるから」
そう言いながら、次々と雷撃魔法を放つ。
やるのが遅い。
相手が態勢を整えた後でやっても意味がない。
それは不意打ちでこそ効果があるものだ。
『鉄塔!!』
そしてやはり、彼女の判断は早い。
弟の近くに言葉通り「鉄塔」を立てた。
どこにでもあるような電波塔の形。
彼女の思い描く、鉄塔がそうなのだろう。
そして、まるで避雷針のように見事な誘雷だった。
弟が「雷撃魔法」を放っても、その鉄塔へと吸い寄せられていく。
恐らくは帯電しているのだろう。
本来、避雷針は自ら小さな放電することで落雷の経路を作り、雷を呼び込むものだ。
そして、呼び込んだ落雷電流を地表へと受け流すことで人や建物の被害を最小限にしようというものである。
だが、あの「鉄塔」は、落雷電流を逃がしてはいない。
それどころか、鉄塔そのものが帯電、いや蓄電しているようにも見える。
人間界の科学を利用しているようで、科学を無視したような現象。
その人間界で、「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と定義したSF作家がいたが、「十分に発展させた魔法」はどうなのだろうか?
『折れろ!!』
しかも、さらにそれを折ることに躊躇はなかった。
凄まじい音と地響きを立てて、帯電している鉄塔が、弟に向かって倒れ込んでいく。
なんとなく、人間界のアクション映画や、パニック映画を見ている気分になるのは何故だろうか?
「この性悪女!!」
弟が叫ぶ。
違うな。
お前よりずっと勝負に徹しているだけだ。
彼女は自分の力を過信しない。
寧ろ、自身を過小評価をしている。
だから、迷わない。
鉄塔を避けつつ、弟が放った「光刃魔法」。
それに対しては、無理せず「魔気の護り」に任せた。
意識をしていないために的確に無駄なく、空気の塊をぶつけていく。
まるで、セントポーリア国王陛下を見ている気分だった。
以前と「魔気の護り」の出方も変わっているのは、暫く共に過ごした影響だろうか?
「くそっ! 意外と隙がねえ」
意外でもなんでもない。
そんなことは分かっていたはずだ。
一瞬、考えるために反応は少し遅れがちだが、考えた後の対応には無駄があまりない。
このまま経験を重ねれば、彼女は相手の気配を察することで、事前に手を打てるようになるだろう。
そうなれば、彼女の「隙」は精神的な部分のみとなる。
『落石注意!!』
「なめるな!!」
大岩が降ってくるのに対し……。
「『砕石魔法』!」
弟は、珍しい魔法で対応する。
脇目も振らずに様々な魔法を契約している時期があったが、それをよく使いこなすものだと感心してしまう。
何のために使うのか分からないような魔法でも、使えると思えば無駄にはしない。
だが、それは対応されることは分かっていたのだろう。
すぐさま、主人は、次の魔法を準備する。
『光球!!』
俺が昼間この場所で使った「光球魔法」を再現された。
使い方もよく似ているし、一つ一つに爆発的な魔力を感じる。
なるほど、これは少々、複雑な気分だ。
「天才」とはこんな存在を言うのかと。
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