【第65章― 上に昇る風 ―】経験不足のために
この話から65章です。
よろしくお願いいたします。
「じゃあ、そろそろ始めようか」
何故か、雄也さんの機嫌が良い気がする。
割と笑顔の多い人だけど、いつもとその笑い方が違う気がした。
対して、九十九はちょっと不機嫌。
少しだけ、何か言いたそうな視線をわたしに向けたが、結局、何も言ってくれないので分からない。
「何?」
わたしは促してみるけど……。
「何でもない」
そう言って、視線どころか顔を逸らされた。
うぬぅ……。
この状態になれば、九十九は絶対に話してくれない。
仕方ないから、今は聞き出すのを諦めよう。
「さて!」
わたしは、軽く屈伸運動をする。
「どうしてもやるのか?」
承諾したものの、どこか気が進まないわたしの護衛。
「今更……、あなたとやらないって選択肢がわたしにあると思う?」
正直、今の声、良かった。
思わず、別の台詞を返すところだった。
「……ねえな」
額を押さえて、やれやれって感じの仕草。
とっとと終わらせたい感が溢れている気もするが、簡単に終わらせる気はない。
「だけど、身体がきつそうならお前が嫌がっても、絶対に止めるからな」
「ふへ?」
なんか妙なことを言われましたよ?
「魔法力の話だよ」
「おお」
そう言えば、まだ回復中だった。
「いや、『おお』って……」
「それは九十九も同じでしょう?」
わたしも回復中だが、彼も回復中だ。
条件は同じ。
だから、その部分では何も問題がない。
「まあ、魔法力が枯渇したら、わたし、意識がちゃんと落ちるから」
「落ちる前にやめろよ!」
そんな尤もなことを言う。
まあ、彼は「過保護な護衛」だから、主人が強制的に意識を落とす様なんて、あまり見たいものではないのかもしれない。
でも、心配してくれているのは素直に嬉しい。
わたし自身が気づかない所まで、ばっちり補助してくれる九十九は、やっぱり良い男だと思うよね。
「自分の魔法力の残量も分からないからな~」
魔力の流れは分かるのに、残り、どの程度の魔法が何発撃てるのかとそんなことも分からないのだ。
自分のことなのに、変だよね?
「その辺りも、栞ちゃんの経験が少ないんだろうね」
雄也さんがそう言ってくれた。
「「経験?」」
わたしと九十九の声が重なる。
「魔法力の大きさは本来、幼い頃から魔法を使うことで自然と理解できるものだ。そして、魔法力の枯渇を幾度となく経験しなければ、その限界も簡単に分かるものではない」
「あ~、その辺りも経験不足なのか」
九十九が納得したように頷く。
「普通に生活しているだけでは、問題ないことなんだろうけどね」
雄也さんはわたしを見ながら、そんなことを言う。
「昼間のように、あれだけ魔法を使えば、大半の人間は20回ほど倒れているよ」
20回……、それは凄い。
でも、わたしが一番、魔法力を使ったのは、多分、雄也さんとのソフトボール勝負だった気がするのですが?
九十九との共闘はそれなりに魔法力を使っていたが、休んでいる間にある程度、回復した気がする。
そして、雄也さんとの共闘ではほとんど魔法力は使っていないのだ。
うん。
どう考えても倒れるほどは使っていない。
「まあ、魔法力も気になるが、お前、いつもは寝ている時間でもあるよな?」
さらに九十九はそんなことを心配してくれた。
「ん~? さっき、しっかり寝たから少しぐらいは大丈夫だと思うよ」
少なくとも、今は眠気もない。
もうちょっと遅い時間になると自信はないけれど。
「無理だけはするなよ?」
今からわたしと勝負すると言うのに、彼は、どこまでも真面目で過保護な護衛だと思う。
でも、そんなに、わたしは頼りないかな?
さて、九十九との距離はかなり離れている。
だけど、わざわざ身体強化をしなくても、彼はこれぐらいの距離ならば、一瞬で詰められる気がした。
あまり、長引かせたくないようだから、速攻で倒しに来られるかもしれない。
そうなると、警戒すべきは精神系の魔法?
そんなことを考えていた時……。
「始め!!」
雄也さんの声が響いた。
だが、予想に反して九十九は動かない。
それどころか……。
「大気を巡る精霊たちに願う」
そんな言葉を紡いだ。
九十九が契約詠唱するのは、珍しい。
彼は基本的に無詠唱、もしくは、「呪文詠唱」型だ。
長々と契約詠唱を唱えなくても、一言、二言で魔法が発動するのは、彼の中に確かなイメージがあるのだろう。
「空間を捻じ曲げ彼の者たちの姿を現せ」
その言葉で気付く。
これは……。
『爆ぜろ!!』
慌てて、九十九の足元で爆発させるが、九十九はそれを読んでいたかのように、素早く身を躱した。
「其は、黒い光。其は、光沢の羽。其は、無数に蠢く。其は、素早い動き。其は、鋭い触角。其は、小さきモノ」
わたしの攻撃など意に介さず、彼は次々と言葉を告げていく。
これは、分かりやすく生物の召喚魔法だ。
でも……、犬ではない。
犬に触覚はない。
多分……。
わたしは、呪文を完成させまいと、いろいろな魔法を放ったが、それぐらいで止まる彼ではない。
「其の名は遥か古より伝わりし、太古の遺物」
太古?
古い生物?
そんなことを考えた時だった。
目の前の空間が開けて、そこから黒光りする無数の虫たちが姿を見せる。
これは……、きつい。
そして、水尾先輩が何故、生物の召喚魔法を禁じたのかが分かった気がした。
それらが、一斉に動き、わたしに向かってくるその姿は、逆に巨大な虫にしか見えなかった。
なんか、人間界の国語の教科書にそんな話があった気がするな。
小さな生き物たちが集団で集まって、巨大な生物に見せる話。
あれは、魚だったけど……。
いやいや!
現実逃避をしているわけにはいかない。
一匹、二匹なら新聞紙があれば良いが、これだけの数だ。
叩き潰す間に他の虫に襲われる気がする。
酷い攻撃だ。
だけど、召喚魔法を制御中の九十九は、逆に何もできない。
今、彼の集中力を乱すとあの虫たちは制御下を離れてしまって、この広場が大惨事になる。
焼き払うのが一番、確実だけど、それで仕留め損ねたらかなり面倒だ。
それなら……。
『液体洗剤!!』
わたしは思わずそう叫んだ。
いや、もっと他に良い言葉はなかっただろうか?
例えば「界面活性剤」とか?
だが、今更口から出た言葉を取り消せるはずもなく……。
どぱんっと、何かあり得ない音が聞こえたと思ったら、目の前に大きな液体の塊が落ちてきて、黒い虫たちを全て包み込む。
「あ、あれ?」
なんか考えていたのはちょっと違う結果だった。
もっとスプレー状に巻き散らすことを考えたのに……。
ああ、でも、ここまで大量の虫を一斉に退治するなら、これぐらいの液体量じゃないと無理か。
しかし、これはかなり辛い。
大きな緑色の水の塊の中で、黒い虫たちが次々と動きを止めていく。
だけど、これ、意識を外したら、あの液体が弾けて、この周囲がもっと大惨事になる気がする。
そうなる前に……。
「攻撃に使うか」
そう思って、液体の塊をそのまま意識だけで持ち上げる。
緑と黒のその塊は、重さを感じさせることなく宙に浮き上がった。
うん。
なんか超能力っぽい。
「ちょっ!?」
九十九の驚く声。
「お返しするね」
そう言って、そのまま浮かせて、九十九の方へ放り投げた。
大丈夫。
これぐらいで死ぬことはない。
ただ、精神的に辛いかもしれないけどね。
「信じられねえ、この女!!」
そう言いながらも、火炎魔法で液体の塊を焼き尽くす。
界面活性剤って発火するっけ?
さらに炎は激しくなり、その液体ごと綺麗に燃えている辺り、可燃性っぽい気はするけど……。
「酷いことするね」
仮にも、自分が召喚したものなのに、あっさりと焼き払うなんて……。
「お前が言うな!」
まあ、その前に既に大量駆除しているわたしが言うなという話でもある。
大量駆除なら、「燻煙剤」の方が良かったかな?
でも、「液体洗剤」の方が最初に出てきたのだから、仕方ないね。
「栞ちゃん、栞ちゃん」
「はい?」
勝負の途中だと言うのに、雄也さんから声を掛けられる。
「液体洗剤での駆除は、見えない病原体を発生させる元だから、台所ではあまり使わない方が良いよ」
「へ? そうなんですか?」
それは知らなかった。
洗剤だから、台所で使いやすかったのに。
でも、念のために……。
『殺菌!!』
この周辺に病気が蔓延しないように、これぐらいはしておこう。
なんとなく、九十九が変な顔をしていたが、見なかったことにしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました




