どれだけのことができるのか?
「それで、なんで当然のようにここに兄貴がいるんだよ?」
九十九がそう言いたくなる気持ちは分からなくもない。
わたしたちが、移動魔法でこの広場に来た時、入り口から少し離れた場所ではあったが、既に雄也さんがいたのだ。
そして、リヒトも一緒だった。
そのタイミングの良さは、まるで、わたしたちを待っていたかのようにも思える。
「なんとなく……だな。まさか、お前たちの方が来るとは思っていなかった」
「嘘吐け」
そんな雄也さんの言葉を、九十九が即、否定した。
「オレたちがここに来るとは思っていなかったのは本当のことだろうけど、兄貴が『なんとなく』といった曖昧な理由でここにいるわけがないだろう? しかもリヒト連れで」
九十九がそう言うと、雄也さんが苦笑する。
「そうは言われても、お前たちは知らなかっただろうが、俺たちはずっとここで夜を過ごしていたからな」
「は?」
九十九の目が丸くなった。
それは知らなかったらしい。
勿論、わたしも知らなかったのだけど。
「気になることがあった時と、トルクスタンから呼び出しがあった時だけ、あの宿に戻っていた」
それは、雄也さんたちも、あの高級宿泊施設が嫌だったということだろうか?
しかし、それでも九十九があの施設の宿泊料金を払っていたわけで……。
なかなか酷いと思った。
「店の方で寝泊まりしていたのかと思っていた」
九十九は、あの宿泊施設にこの2人がいないことは知っていたらしい。
それでも、宿泊料金の支払いに躊躇しなかったことも凄いと思う。
そして……、店?
店って何のことだろうか?
「なんで俺がわざわざそんな隙を作らねばならん?」
この様子だと、雄也さんとリヒトは、あの高級宿泊施設にも泊まらず、別の宿泊施設も利用していなかったようだ。
つまり、ここで野宿生活ってことだろうか?
見た目よりずっと逞しいよね、雄也さんって。
「兄貴は情報収集のためなら、いつものように涼しい顔で、笑いながら敵陣ぐらい乗り込むだろ?」
ああ、うん。
九十九が言うように、雄也さんにはそんなイメージがあるね。
「人聞きの悪いことを……」
弟からのあんまりな評価に雄也さんは溜息を吐き、リヒトを見て言った。
「ここは、他人の心の声が聞こえにくいそうだ」
その言葉で、わたしたちはその意味を察する。
そのリヒトは、少し不安そうな顔をこちらに向けていた。
「長耳族」と呼ばれる種族の血を引く彼は、人間の心が読めるという。
しかも、厄介なことに当人の意思とは無関係に、勝手に相手の心の声が流れ込んでくるとも聞いている。
そして、わたしたちの言葉は分からないのに、このスカルウォーク大陸言語については理解できてしまうのだ。
この「ゆめの郷」はただ人間の欲望が詰まっただけの場所ではなかった。
「リヒト……。Es tut mir leid.(ごめんなさい)」
わたしは彼に、それだけを伝えると、リヒトは目を丸くする。
スカルウォーク大陸言語で、謝罪の意味。
これと「Vielen Dank.(ありがとう)」というお礼の言葉だけはなんとか覚えたのだ。
だが、発音にはあまり自信がない。
うまく、伝わっただろうか?
『Es ist nichts falsch mit Ihnen.』
わたしの言葉はなんとか伝わったようで、そんな言葉が返ってきた。
久し振りに聞く彼の声。
だけど、改めてごめんなさい、リヒト。
わたしにはさっぱり分からない。
ただ、以前に比べて彼が使うスカルウォーク大陸言語が流暢になっていることぐらいは分かる。
「栞ちゃんは何も悪くないって言ってるよ」
戸惑っているわたしに気付いたのか、雄也さんがそう通訳してくれた。
ううっ!!
相変わらず言葉の壁が分厚すぎる。
でも、雄也さんがいてくれて良かった。
この人がいなければ、あの場所からリヒトを連れ出してからも、わたしはリヒトと会話が全くできず、途方に暮れるしかなかったかもしれないのだから。
「他人の声が聞こえにくくなるって、ここは、長耳族の能力が薄れるのか?」
九十九は雄也さんに確認する。
「そうらしい。だから、他者の心の声が聞きにくくなるが、眠っている時に余計な声も耳に入ってこなくなるそうだ」
「えっ!?」
それって、リヒトにとっては悪くない効果なんじゃないのだろうか?
彼は、眠っている時に他人の心の声が勝手に流れ込んでくることに対して、頭を悩ませていたのだから。
『Es tut mir leid, dass ich nicht mit Ihnen sprechen konnte.』
……ぬ?
わたしの喜びが伝わったのか。
リヒトは少し顔を逸らしながらそんな言葉を言った。
例によって、わたしにはよく分からない。
でも、なんとなく、不機嫌な印象があった。
「リヒトにとっては嬉しくないことらしいよ」
「へ? そうなんですか?」
「栞ちゃんの声が全く聞こえないのは嫌だって言ってる」
「あ……」
そうか。
素直に喜べることばかりじゃないんだ。
「いや、お前はそこで、リヒトに自分の心の中が聞こえないことを喜んでおけよ。心の声なんか聞かれて嬉しい人間の方が少ない」
九十九がそんなことを言うが……。
「読まれて困るようなことなんて考えないよ」
うっかり失言が増えるぐらいかな?
「皆がお前のように能天気だと思うなよ?」
なんか、酷いことを言われた気がする。
でも、考えてみれば、九十九は少し前まで「発情期」だったのだ。
第三者に心を読まれると困ることもわたしよりはあったかもしれない。
それに、九十九から「発情期」中にされたことを思い返してしまっているような時は、わたしもちょっと読まれたくはないかな。
「ところで、こんな夜中に、2人してこんな所へ何の用だ?」
雄也さんが九十九に確認する。
「逢引き」
冗談だと思うけど、九十九が言うと別の言葉に聞こえる。
その、「合い挽き」みたいな?
「逢引きにしては随分色気のない場所を選んだものだな。それも、今から決闘するような雰囲気で」
雄也さんは揶揄うような口調と表情で、九十九に向かってそう言い放つ。
「この場所を選んだのは栞の方だ。それに、ここまで人気のない所なら、逢引きにもってこいだろう?」
いや、確かに九十九と「魔法勝負」をしたいと言ったのはわたしの方だし、ここを使える期間しかないとも思ったのは確かだけど、その言い方はどうかとも思う。
なんとなく、わたしが悪女みたいじゃないか。
「なるほど……。今度は栞ちゃんのストレス解消か」
なんで分かるのだろうか?
いや、本当のことを言えば、わたしはストレス解消ってわけじゃなくて、単純に九十九と勝負がしたくなったのだ。
今の彼に、わたしがどれだけのことができるのかが気になったから。
そして、同時に少し、試してみたい魔法ができたという理由もあった。
それが上手く再現できるのかは分からないけど、夢の内容を忘れやすいわたしが、珍しく、夢を覚えていたのだ。
やってみる価値は絶対にある。
イメージが足りないかもしれない。
それを実行するだけの魔力が十分ではないかもしれない。
何より、上手くできないかもしれない。
でも、彼らの度肝を抜くことは間違いない魔法だ。
その点においては自信がある。
「結構、解消されたと思っていたけど、俺だけでは足りなかった?」
雄也さんがわたしの顔を覗き込んでくる。
なんとなく、誤解を招きそうな言葉だね。
そして、この兄弟、本当に心臓に悪い。
彼らの背が高くて、わたしの背が低いせいかもしれないけど、目線を合わせるために覗き込むような動きが本当に多いのだ。
「兄貴のアレは、魔法勝負じゃねえだろ?」
九十九がすっとわたしを庇うように前に立つ。
「そうか? あの『光球魔法』は維持も制御も大変なんだぞ?」
雄也さんはけろりとした口調でそんなことを言う。
でも、そんな大変な魔法をわたしに向かって投球しないでください。
そして、それがかなり楽しかったから余計に困ってしまう。
「栞……、お前から言ってやれ」
九十九にそう促されたので……。
「雄也さん、今度は、ちゃんと道具を使ってお相手願えますか?」
そう口にする。
「分かった。次は、ちゃんとした白球を用意しておこう」
雄也さんがそう微笑んでくれた。
それなら、今度は大丈夫だと思う。
少なくとも、簡単に集中力を切らせて倒れたり、眠くなったりすることはないだろう。
だけど、そんな会話をしているそのすぐ傍で……。
「違う。そうじゃないんだ……」
九十九が何故かしゃがみ込んでそんなことを言っていたのだった。
毎度ながら、作中の言語については、どこかの国の言葉に似ていても、突っ込みはなしの方向でお願いいたします。
ここまでお読みいただきありがとうございました




