目覚める魂
「オレはどうして、反省しないのだろうか?」
思わず、その場で頭を抱えてしまった。
こうなる可能性は分かっていたはずなのに。
食事の世話をするために、栞の部屋に来た時、その流れで風呂を借りて戻れば、その当人は寝台の上で安らかな寝息を立てていたのだ。
割と、オレにとってはよくある見慣れた光景でもある。
魔法を使いまくって、疲れた後は、電池が切れたように熟睡すると知っていたのに、またそれをやりやが……、いや、またそんな状況になっていたのだ。
こうなると予測出来ていれば、先に彼女を風呂に入れるべきだった。
いや、オレはとっとと自分が借りた部屋へ戻るべきだったのだ。
そうしておけば、いつものようにこの光景を見て、オレが青少年の葛藤を思い抱かなくてすんだというのに。
少しでも長い時間、栞の傍にいたいと思ってしまったから。
だから、こんな余計な感情を抱くことになるんだ。
ああ、くそっ!
これだけは何度見てもどうしても慣れない!!
いや、考えてもみてくれ。
自分の、すっげ~惚れている女が、寝台の上で、無防備かつ愛らしい寝姿の披露だぞ?
ご馳走が皿に載って眼前に差し出されているような状態で、餓えたオオカミが、食わずに我慢できるもんか?
いや、分かってんだよ!
ここは、我慢の一択しかないってことぐらい。
そして、護衛としては喜ぶべきなんだ。
あれだけのことをやらかしたにも関わらず、オレがこの女から、男としても信頼されているって。
本当に分かってるんだ。
同時に冷静なオレも、かなり大きな音で先ほどからずっと、身体の中から激しい警告音を発し続けていることも。
即ち、僅かでも手を出せば、瞬時対応の空気砲ぶっ放し攻撃。
そんなものがなくても、始めから手を出す気などないが、この可愛らしさを愛でるだけの生殺し状態が続くのは結構、辛い。
「せ、せめて、布団に入れるぐらいは許してくれよ?」
そのうつ伏せに倒れた状態の、どこか寝苦しそうな体勢は変えてやりたかった。
少しでも、身体を休めて欲しいから。
それに、掛布団というものは、上からかけるものであって、その上に乗っかる物ではないのだ。
自分の警戒心を最大限に引き上げて、恐る恐る、彼女の肩に触れる。
空気砲は発射されない。
そして、そのまま身体をころりと転がして、起こさぬようにゆっくりと抱き起こすような態勢になる。
空気砲はまだ発射されない。
彼女の下にあった掛け布団を動かして、寝台の上に降ろして、栞の身体を横たえ、動かした掛け布団を彼女の上にかけ直して、なんとか任務完了。
栞はその大きな黒い瞳を開くことなく、警戒していた空気砲は、最後まで発射されなかった。
そのことで大きく息を吐く。
好きな女に触れる時はいつだって、緊張するものだと思うのだが、この緊張は絶対に何か違うだろう。
それだけ、この栞の「魔気の護り」は、前よりかなり攻撃的になったとは思っている。
これまでに彼女に悪意を持って触れようとしただけで、触れることもできずに吹っ飛ばされた男たちがいた。
その基準は、恐らくは相手の悪意や害意なのだと思うが、それでも、あれほど瞬間的な「魔気の護り」に対しては、その対象がオレであっても、反応しきれたかは分からない。
だが、オレは、幸いにして、寝ている栞に触れることを許される程度の存在ではあるらしい。
そのことに深く安堵して、大きな溜息となって口から漏れ出てしまったのだ。
寝ている栞に触れることはこれまでに何度もあったし、寝具になることも多々あったが、彼女が眠っている時に、オレに対して天井に打ち上げるほどの「魔気の護り」が発動したのは、この「ゆめの郷」に来てからだ。
そこの違いは何だろう?
いや、これは、彼女が変わったんじゃなくて、単純にオレの意識が変化してしまったせいなのかもしれない。
無意識に考えまいとしていた栞への気持ちの自覚。
これまでにあった感情は、自覚症状を伴ったことで、一気に状況が変化してしまったのだろう。
思い起こせば、以前、天井に向かって吹っ飛ばされたのは、オレが護衛としての本分よりも、男としての本能を優先しかかった時だった気がする。
普通に、彼女を気遣って触れる分には問題ないようだが、ちょっとでも邪な気持ちを抱けば駄目だと言うことか。
でも、昨日まで、同じ布団に入って、オレのこの手は、栞の顔や頭をかなり撫で回していたよな?
やはり、無意識状態となると、いつもは甘い彼女の判定も、少しばかり厳しくなってしまうと言うことか?
それとも、単純にオレから顔や頭に触れることぐらいは許容範囲と言うことか?
この女の基準が、基準が全く分からねえ!!
いや、分からなければ、試してみても良いんじゃないか?
ふと、オレの中にもある「検証魂」がひょっこりと顔を出す。
なんだろうな?
この分からないものを調べたくなる気持ち。
兄貴ほど分かりやすく、そして、多岐に亘ってはいないのだが、好きなものに関しては、オレも調べたくなってしまうらしい。
菓子とか、酒とか、薬とかがそんな感じだ。
いや、それらと人間を同列に扱うのはどうなのかと自分でも思うが、好きなものについてもっとより深い部分まで知っておきたいと思う気持ちから来ていることには変わりないだろう。
そんな好奇心に晒されているとも知らずに、オレの主人は本当に可愛らしい顔で眠っている。
寝台に腰かけて、その柔らかく温かい頬に触れてみる。
空気砲の発射はない。
これは許容範囲か。
黒い髪に触れ、頭を撫でてみる。
空気砲の気配はない。
これも許してくれるらしい。
そう言えば、以前、眠っている栞を抱き締めても大丈夫だった。
それに、オレはストレリチアの大聖堂で、眠っている栞の頬に口づけたこともあったのだ。
それらから考えると、無意識に手が掴んでしまうとか、邪な気持ちが全くなかった時などは、彼女の「警戒心」が発動していない気がする。
そう考えると、栞が起きている時にされると嫌なことが基準ってこと……だろうか?
ん?
だが、それは、頬に口付けることは、栞にとって許容範囲内ってことか?
いやいや、待て。
あれは、カルセオラリア城崩壊直後の深い眠りだったはずだ。
それに魔法力だけではなく体力も低下していて、自己治癒能力が低下していたほどだったと記憶している。
そして何より、オレの「発情期」発症前の話だった。
あれは、「発情期」の兆候が出始めていた時に、オレが起こしてしまった無意識の行動だったわけだ。
栞の流石に警戒心はあの頃よりずっと強くなっているだろう。
だけど、いや、だからこそ! 試してみる価値はある気がした。
何も知らずに無防備に眠り続ける栞。
だが、そんな彼女が、時々、口元を緩ませるのを見ると、幸せな気分になる。
その額を撫でて、オレは目を閉じる。
検証するとか言っても、単純に、オレが眠っている栞に触れる理由を探していただけだ。
万一、彼女の目が覚めても言い訳がしやすいように、と。
だが、好きな女にキスをしたいって思って何が悪い?
柔らかく滑らかな頬に、自分の唇が触れた感覚があった。
届いたことにホッとする。
そして、ここまでしたのに、彼女の身体から、空気砲の発射はされなかった。
だが、同時に不安にもなってしまう。
もしかして、「魔気の護り」が発動しないほど、栞が弱っていることも考えられるのではないか……、と。
後から思えば、そんなことはないと言いきれる。
「魔気のまもり」は魔界人にとって、生存本能の一種だ。
多少、生命力が低下していたとしても、魔法耐性や防御力の強化、外敵の排除はある程度、優先される。
まあ、つまり、頬にキスまででやめとけば良かったのに、もっと余計な手出しをしようとして、オレは、彼女の内側から発射された空気砲により、またも天井に激突させられるはめになってしまったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




