本物は違う
「どうしたの?」
黒髪の主人から、そう問いかけられる。
それほどオレは、分かりやすく酷い顔をしているのだろう。
「別に……、何も……」
オレとしてはそう答えるしかない。
詳細なんか言えるはずもなかった。
「何か……、あった?」
さらに重ねて問われる。
心配性のオレの主人……、栞は、どうも、護衛のことまで考えすぎる。
「何もねえ。なんでもねえ」
そう答えながら、食事の準備をしていく。
言えるかよ。
兄貴が「お前の姿になってオレに『命令』した」なんて。
しかも、腹立たしいことに雰囲気や仕草まで似ていて、一瞬だけ抱き締めたい衝動に駆られてしてしまった我が身を心底ぶん殴りたい。
中身が兄貴だと分かっていても、姿が栞ならば問題ないと思ってしまうオレはどんだけ阿呆なんだ?
兄貴の生温かい視線が、今も記憶映像としてこの目にしっかりと焼き付いたままだった。
「料理で失敗した?」
「それぐらいでこんな状態になるかよ」
ここ最近は、新メニューにチャレンジしていたこともあって、確かに失敗は多かったが、それぐらいで疲れていたら、栞に旨いモノなんて食わせられない。
一昨日出来上がったグラタンもどきは、本当に彼女は幸せそうに食ってくれたから、嬉しかったな。
栞が、グラタン好きだったとは知らなかったから、またバリエーションを増やせば喜んでくれるだろう。
「こんな状態って……、普通じゃないことは認めるんだね」
「ちょっと、精神的なショックがあって、回復が遅れているだけだ」
「精神的なショック?」
「お前は気にするな」
オレとしてはそう言うしかない。
詳細を言えない以上、これ以上、深く突っ込んでくれるなとばかりに、食事の準備を終わらせた。
「九十九は食べたの?」
栞は上目遣いで確認する。
やはり本物は破壊力が違う。
「いや、まだだが?」
「じゃあ、一緒に食べよ? この量を一人で食事は多すぎるし、淋しいから」
ごく自然に、オレを食事に誘う。
「魔法力を回復するにはちゃんと食った方が良いぞ」
「いやいやいや。この量は食べられないからね?」
「お前は本当に少食だよな」
魔法国家の王女たちを少しは見習え。
「水尾先輩や真央先輩に比べたら、大半の女性は少食になるよ」
そこではない。
あれだけ食わなければ、魔法力は回復しないってことだ。
できれば、もっとしっかり食って欲しい。
「まあ、せっかくだ。ご相伴に預かりますか」
それでも「淋しい」と言われたら、無視もできない。
一人きりの食卓は確かに味気ないことは、オレもよく知っている。
オレは素直に、栞の前に座ると、彼女は妙にニコニコしている顔が目に入った。
「どうした?」
「いやいや、いただきます」
栞は、慌てて合掌をしたので……。
「いただきます」
オレもそれに倣った。
栞は人間界での食前の挨拶を欠かさない。
習慣になっていることもあるのだろうが、食に関して感謝の気持ちを持つことを忘れていないのだろう。
それは、作り手に対する感謝だったり、素材提供者への礼だったり、素材そのものに対しての想いだったり。
こんな心根を持つ人間だから、オレは惹かれるのだろうなとなんとなく思っている。
「九十九の方は、魔法力は回復した?」
食事が終わってから、そんなことを確認された。
「まだまだみたいだな。オレ自身が安静にしていないせいもあるけど、今回は回復が少し遅い気がする」
精神的なショックもあるためか。
いつもより回復が遅い気はしている。
もしかしたら、この「ゆめの郷」を覆っている結界の効果なのかもしれないが。
「わたしもまだ半分くらいかな」
栞はそう言うが……。
「嘘吐け、五分の二ぐらいだろ?」
「へ?」
オレの感覚はそう言っていた。
栞は、ここ数ヶ月だけでもかなり魔法力が増大している。
だから、本人の感覚がまだ追い付いていないのだ。
魔法力が回復しやすいように、風属性の結界をこの部屋に張ってはいるが、それでも、前ほど分かりやすい回復ではないようだ。
「お前の魔法力。まだまだ半分にも届いてねえ。眠りが浅かったな」
「そうなのか」
これまでは少しの休息で回復できていたかもしれないが、それ以上に魔法力の貯蔵庫が大きくなっている。
満タンには程遠い。
先ほどの食事に疲労回復と、魔法力回復効果のある薬草を混ぜているが、その効果もすぐに出るものではないのだ。
一般的に見れば、魔法力の回復量だってかなりのものであるはずだが、どれだけ彼女は成長してしまったのだろうか?
「もしかして、まだオレの添い寝が必要か?」
自分の動揺を悟られないように軽く言ってみる。
「ああ、うん。必要かも?」
そんなどこまで本気か分からない言葉を返された。
「お前……」
喜んではいけない。
動揺を表に出してもいけない。
どうせ、馬鹿を見るのは自分だけだ。
「いやいやいや、冗談だからね、冗談。幼馴染とは言っても、恋人でもない男女が理由もなく一緒に寝るって可笑しいでしょう?」
そんな風にあっさりと言い切られた。
もう、オレはとっくに栞のことを幼馴染とは見ていないのに。
「それなら良い」
その身体を抱き締めたいという欲望を隠して、オレはそう言った。
どうして、オレの主人はこうも無防備で可愛いのか?
「しかし、魔法力の回復量が遅いのは困るな~」
「シルヴァーレン大陸ならもっと早いとは思うぞ。だが、ここはスカルウォーク大陸だ。風属性の大気魔気が薄すぎるんだよ」
こればかりは文句を言っても仕方ない。
出身大陸から離れる選択をしているのだから。
そのために風属性の結界で、少しでも、この部屋の大気魔気に風属性を混ぜている。
それ以外で、魔法力が回復しやすい装飾品って何かないのだろうか?
魔法国家出身である水尾さんや真央さんは知っているかもしれない。
今度、確認しておこう。
「それって、水尾先輩や雄也さんにも言えることだよね?」
「そうなるな」
水尾さんはずっと魔法力回復のために眠っているようだったから大丈夫だとは思っている。
冷めても問題ない食事を部屋に置いてきたから、目が覚めたら勝手に食うだろう。
問題は兄貴だ。
あれだけの魔法勝負を病み上がりの機能回復訓練と当人は軽く言っていたが、かなり魔法力を使ったはずだ。
特に、栞との魔法勝負。
あれが恐らく一番消費したはずだ。
涼しい顔で放っていたが、あれだけ多くの「光球魔法」を維持し、しかも、投球するために体力も同時に使っていた。
しかし、その前の水尾さんとの勝負。
栞と兄貴はどんな共闘を見せたのだろうか?
いや、考えても仕方ないか。
オレと兄貴はタイプが全く違うのだから、あまり参考にはならないかもしれない。
「まあ、食ったんだからとっとと寝ろ」
「うん、お風呂入って寝るよ」
「……風呂……」
いかん。
疲れているためか。
妄想が先走った。
同じ部屋で過ごしていた時だって、何度も妄想してしまったのだ。
健康な青少年だから、仕方ない。
そう思うことにしよう。
「大丈夫。ここのお湯を使わず、お湯を出すから」
そんなオレの心境にも気付かず、栞は無邪気な笑顔でそう言った。
自分がどれだけ穢れているのかを思い知らされるようで、嫌になる。
「お前、魔法力が回復してねえだろ? オレが湯を張る」
この場からすぐ離れたくて、そんなことを口にする。
「九十九も回復してないんじゃないの?」
オレが栞の状態が分かるように、彼女もオレの状態が分かってしまうらしい。
「オレの方が魔法力の回復が早い。お前は五分の二程度だが、オレの方は七分の三ほど回復している」
「そこまで大差はないよ?」
瞬時に計算しやがった。
時々、この女は妙に地頭の良さを発揮することがある。
「お前は主人だ。自分から疲れることをするな」
「護衛が魔法力切らした状態でどうするの? 万全な態勢で護ってよ」
だから、なんで、こんな時に正論を吐いてくれるのか。
「オレの方が魔法を使い慣れている」
オレはそれだけ口にすると、逃げるように浴室へ向かった。
この程度の浴槽にお湯を注ぐぐらい、そこまで時間も魔法力も必要ない。
手を肘まで突っ込んで、湯の温度を確認する。
原始的な手段ではあるが、これが一番間違いない。
これぐらいの水温なら、多少長く浸かっても身体は疲れないし、すぐに入りやすいだろう。
「準備できたぞ」
「そか。じゃあ、九十九がお先にどうぞ」
「は?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「自分の部屋に戻った時、同じようにお湯を張るのって無駄じゃない? ここでお湯に浸かってから戻れば良いと思ったのだけど……」
いやいやいやいや?
言っている意味は分かるが、本来、異性を自分の部屋の浴槽に向かわせるってどういうことなのかこの女は分かっているのか?
「お前はそれで良いのか?」
「九十九が湯冷めしなければ良いよ」
ああ、これ。
期待したら駄目なヤツだ。
本当にただの善意からくる言動で、そこにはそれ以上の他意はない。
「じゃあ、言葉に甘える」
そして、下手に問答しても、今のオレでは、彼女に敵うまい。
余計に疲れるよりは、従った方がマシだろう。
それに、魔法力の節約ができるのは確かだ。
そう思って、素直に浴室に向かった。
風呂だけ借りて、彼女の入浴中にこっそりと自分の部屋に戻ろうと思って。
そして、オレは、その選択をしたことを後悔することになる。
どうして、オレは学習しないんだろうな。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




