姿を消そう
九十九が、記憶を消すことについて確認をしたことで、わたしも疑問を思い出す。
魔界人だと分かった松橋くんとか、真理亜とか階上くんの三人。
それに、危険を冒してまでわたしを助けてくれようとした人はどうなるのだろうか?
「そうだな。魔界人にはあまり効果がないと思う。広範囲に影響するものだからな。試してはないので、断言は出来ないが……」
つまり、わたしのことを覚えていてくれたりする人もいるってことか。
でも、それはそれで周りとの記憶に矛盾が出てしまって混乱する可能性もあるのではないだろうか?
「魔界人なら人間界にいた痕跡を消すことは義務のようなものだから、誰もが承知しているよ。それに多少の齟齬はうまく誤魔化そうとするだろう。それがお互いのためだからね」
都合よく出来ているものだ。
まあ、お互い秘密の保持が基本みたいだからそれはなんとなく解る気がする。
守秘義務ってやつだろう。
「魔界人に似たヤツとかは?」
「魔気の護りの話をしているのか? 確かに魔気に似たものが備わっている人間ならば、普通の人間よりも耐性がある。効果が薄いかもしれないな」
九十九の問いかけに少し考えて雄也さんはさらに答えを口にする。
「だが、記録のない人間はいないものとして扱われる。その人間が確かにここに存在したと言う証明が出来ない以上、それは夢や幻と同じことだ。いずれは記憶に残っていた部分も、薄れて消えてしまうことになるだろう」
記録の無い人間は……、いないもの……なのか。
確かに、記録がなければそこにいたと証明するものはない。
そうやって……、どれだけの人間がいないものとして扱われてきたのだろうか?
「残っていた部分……か」
そして、いつかは消えてしまう記憶。
「どうした?」
「九十九はその……平気? 存在とか知っている人が忘れちゃうことについて」
「そりゃ面白くはねえけどよ。連絡先もろくに教えず、何も言わないままでドロンと消えちまうのもイヤじゃね? オレなら、そっちの方が腹立つと思うけどな」
「ああ、そうか……」
連絡先が教えられないから、わたしも黙っていなくなるつもりだったわけだし。
でも、考えてみれば、それはそれでかなり怒りの対象になっちゃうかもしれない。
特に、近しい人間ほど怒ったり傷ついたりするのではないだろうか?
「魔界人やそれに似た人間なら覚えてるってわけだから、そいつらが身近にいたりすればいろいろと話がこんがらかったりもするだろうけど、そこまでは責任持てねえし」
「渡したものとかはどうなっちゃうのかな?」
「ああ、あの双子な」
「いや……、ワカや高瀬にもいろいろと贈り合っていたから」
それだけ彼女たちは身近にいたわけで……。
何も告げることはできないのに、彼女たちに忘れられてしまうのは少し、嫌だった。
わたしは我が儘なんだろうか?
「あ~、その辺に関しては、……兄貴」
「そうだな……。誰かから貰ったものだと言うことは覚えていると思う。ただ、誰から貰ったのかまでは覚えていないと言う感じに記憶は修正されてしまうだろうね」
「なるほど……」
そんなに昔の話ではなくても、記憶が曖昧になってしまうのか。
でも、やっぱりそれはちょっと寂しいね。
「でも、恵奈ちゃんや恵乃ちゃんは案外、覚えているかもよ?」
「ち、千歳さん?」
「あの子達はどこか不思議な感じがあったからね。それに、ほら。魔界人じゃなくても魔界に来ちゃった例もここに!」
母はそう胸を張る。
「兄貴はどう思う?」
「どの人間においても可能性はゼロではない……とだけ言っておく。確証のない発言は避けたいからな」
何の保証もなかったけれど、それでも、自信満々に告げられた母の言葉は、少しだけ嬉しかった。
確かに、彼女たちはどこか普通の人たちとは違う気がしている。
でも、そんなのはただの妄想でしかない。
根拠なんてどこにもないのだ。
それでも……、どこかで、もしかしたらと言う淡い期待を抱いてしまうには十分すぎる言葉だった。
「ああ、魔界へ行く前にコレを……」
そう言って、雄也先輩はわたしたちに小瓶を差し出した。
液体状のソレは、カフェオレみたいな色をしている。
「何の薬だ?」
九十九が訝しげにソレを受け取った。
彼も知らないらしい。
「毒ではない。姿と……魔気を含めた気配を完全消す薬だ」
「姿と気配……?」
「転移門は城にあるものだからな。そこから城下に出るまでに誰かと遭遇することは避けられないだろう。九十九はともかく、栞ちゃんや千歳さまの姿を城内の人間に目撃されるのは現時点で都合が悪い」
いきなり敵陣に乗り込むようなものなのか。
確かに対策は必要だね。
「で……、オレの分まであるのは?」
「俺一人の方が自然だろ? ずっと城に出向かなかった弟が、いきなり現れるのは不必要な警戒を招きかねない」
九十九も10年、戻っていないのだ。
確かに不自然かもしれない。
「確かに、私の顔は知られている。多少更けたところで、その面影は残っているでしょうね」
「千歳さまはお変わりないのが問題なのですよ」
雄也先輩は肩を竦める。
でも、今回に限ってはわたしもお世辞じゃないと思ってしまう。
我が母親は、娘から養分を吸い取っているんじゃないかと思うくらい若く見えるのだ。
具体的に言うと、街中でいまだに殿方から声を掛けられるくらいに。
そして、友人たちが姉妹みたいだと言う程度に。
「城で良くしてくださった方々にはご挨拶ぐらいはしたいところだけど……、あまり王妃殿下とはお会いたくもないわね」
「王妃さまって……、そんなに出歩いているものなの?」
わたしの抱く王妃像とはちょっと違う気がする。
部屋に閉じこもって、召使いとかが恭しく傅いて身の回りの世話を焼いているものじゃないのかな?
「基本的にはあまり出歩く方ではないね」
雄也先輩はわたしの疑問に答えてくれた。
「ただ、噂では城内を見通せる瞳をお持ちだとか……。まあ、それについての真偽は定かではないけどね」
「見通す……瞳?」
千里眼と言うヤツだろうか?
「厄介なもんを持ってんだな。プライバシーも何もないんじゃねえか?」
「……と言っても、個人の私室までは見ることが出来ないとの話だ。防犯カメラと大差はないということだな。それに要は使い方だ。王や国民のためになるか、自分自身のためとするか」
「どうせ、自分自身のためだろ?」
「さあ? それは王妃殿下の御心次第だから俺では判断できないな」
そう言って、雄也先輩は再度、先ほどの薬を見る。
「飲むのが怖いかい?」
雄也先輩はわたしに確認する。
「大丈夫。そのためにちゃんと毒見役を用意しておいたからね。だから、九十九が飲んだ後でもいいよ?」
そして、笑顔でとんでもないことを口にした。
「待て! そのためのオレか?」
九十九が当然の反論をする。
「それなら兄貴が飲めば良いじゃねえか! なんで、オレなんだよ?」
「何故そんな無駄なことを?」
雄也先輩は涼しい顔で答える。
「俺は魔界を自由に出入りできる身だ。お前一人がふらふらするよりは余程自然だろ? 何よりも、その薬は三人分しか用意していない」
「ぐっ! この……計画的な犯人め……」
九十九が歯噛みをした。
思い通りになるのが悔しいらしい。
「心配するな。この薬に関しては、作成者自ら臨床試験済みだ」
「調合士、本人が実験台ってどんな状況だよ」
九十九が恨めしそうに薬を揺らす。
「魔界は薬剤師がいないからな。その薬も趣味の範囲で作られている。そんなものに他人を巻き込めるはずがないだろう」
その人が作る薬は、大半の人が逃げるから簡単に治験が出来ないんだが……とも雄也先輩がポツリと言ったのをわたしは聞き漏らさなかった。
それって恐ろしいことなのでは?
「魔法で姿を消せば問題は……」
九十九がまだぶつぶつと不満を言っている。
「どちらにしても、飲まなければ先に進めないのだ。魔法で姿を消したところで魔気に敏感なものは気配で察してしまうからな」
わたしにはその気配が分からないけど……、見つかりやすくなるのは確かに困ると思う。
「九十九くんが飲めないなら、私が先に飲むわ。雄也くんが用意してくれたものならば確かでしょうし」
母が一番先に瓶を開けた。
「わわっ! 待ってください! 飲みます! 飲みますから!!」
九十九が慌ててそう叫ぶと同時に……。
「ほれ」
雄也先輩が九十九の口に向かって、母が開けた瓶の中身を注ぎ込んだ。
「あら?」
母も流石に驚いたようで、動きが止まっている。
「ぐおっ!?」
九十九が妙な叫び声を上げて、膝をつく。
「大袈裟だな。ちょっと苦いとは言っていたが、死ぬほどではないぞ?」
「み、水! 水~~~~!!」
どうやら、とてつもなく苦いらしい。
「わ、わたしたちも水の準備をしておきましょうか?」
流石にこの状態を見せられては躊躇してしまう。
そして、水の準備をすると言った母の額には、珍しく汗が滲んでいたのだった。
次回でようやく移動します。
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