大きすぎる犠牲
今回はR15の範囲内で、男同士が語る露骨な話が出てきます。
ご注意ください。
栞の新魔法の検証は、今、考えても結論が出ないことは分かっているので、オレたちは今のところ棚上げにした。
考えて分かるものでなければ、時間を取ったところで結論が出るはずもない。
それよりは別のことを考えるべきだろう。
「それにしても、こんな報告までされるとはな」
兄貴は溜息を吐きながら、別の報告書を取り出した。
「何のことだ?」
「『発情期』だ。前回の『禊』の報告書並みに詳細過ぎて扱いに困る」
「今回も、『俺が知り得ない症状を纏めて報告しろ』と言ったのは兄貴の方じゃねえか」
オレだって好き好んで身内にそんな報告をしたわけじゃない。
「俺は症状の報告だけで良かったんだ。それ以上の……、お前の中途半端な体験談など何の役に立つ?」
「身体の症状の変化とその最中に発生する極論に走った思考回路の検証」
オレがそう答えると……。
「ただの体験自慢ではないのだな」
兄貴は呆れたようにそう言った。
「どう見たって、自慢できるような体験になってねえだろうが」
本命には中途半端にしか手を出していないし、ゆめに至っては全く覚えてない。
誤解のないように言っておくが、栞にしたことだって実は、今回の報告書は大分、省略化している。
流石にあの時の全てを伝える気はなかった。
主要な部分、身体や思考の変換部分しか書いていない。
「禊」の時とは全然違うのだ。
ただ、オレがやってしまった行為が、少しばかりその……、長かったり、行き過ぎたりしたものばかりだったから、かなり削り取っているはずなのに、事細かで詳しく見えるだけの話だ。
本当の意味で詳細の報告なんかできるはずもない。
勿論、オレ自身、後悔も反省もある。
だが、どうしても、あの時間をなかったことにはしたくないという本音もあった。
もう二度と訪れるはずのない機会だから。
「まあ、確かに……。この内容では自慢はできんな」
兄貴は何度目かの溜息を吐く。
「未経験者を相手にしたことがない俺が言えることではないが、この報告書を鵜呑みにするなら、経験だけでなく、知識も足りてない」
そんな知識など、「禊」の報告書を渡した時に聞いた勉強ぐらいしか心当たりがない。
「……その発言もどうなんですかね? お兄様」
「事実だ」
「…………具体的には……?」
思わず、尋ねていた。
いや、また何かあった時のためにと言うか。
あ~、後学のために知りたいだけで、具体的に誰が相手とかはない。
多分。
「相手の反応よりも自分の欲望に準じた結果だな。経験が少なければ、相手の緊張をほぐすところから始めろ」
「……『発情期』中にそんな思いやりが働くかよ」
寧ろ、性急に事を進めなかっただけマシだ。
「無駄に時間をかければ良いというわけではない」
その言葉にドキリとした。
自分の中に思い当る部分があるからだろう。
思わず、兄貴から目線を逸らしたくなるのを我慢する。
自分自身が、できるだけ長く堪能したかった結果だが、その相手がそれで満足するかは別の話だ。
「同じ行為を何度も繰り返せば、始めは良くても刺激が物足りなくなり、覚める」
詳細な報告書ではなかったはずなのに、まるで見てきたかのような物言いをされている気がする。
「…………何が悲しくて兄弟とは言え、男同士で閨の教授などしなければならんのだ」
兄貴はわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「兄貴が勝手に始めたんじゃねえか」
それをオレのせいにされても困るのだ。
「未経験者を相手にすることも苦ではない『ゆめ』相手ならともかく、見知った女性が弟の技術不足で不快な思いをしたかと思うと、自分の教育の不行き届きを申し訳なく思えただけだ」
どんな教育だ?
「もう二度とすることはねえよ」
そんな機会があるはずもなく……。
「馬鹿を言え。相手が誰であろうと、お前が選んだ女性が俺の義妹となる。どうあっても見知った女性になるのだ。将来のために、少しぐらいその方面も学べ」
「巨大で余計な世話だ」
少なくとも、今のオレには不要なものだ。
今は、栞以外の女は欲しくないし、その栞だって手に入るわけでもない。
「『発情期』だけでなく、そう言った男たちのためにも、『ゆめの郷』があり、『ゆめ』がいるのだ」
「いや、仮にそうでも、今は……、どんな『ゆめ』でも、オレに対する刺客にしか見えないからな」
少なくとも、この場所の「ゆめ」だけはごめんだった。
男のオレだけならともかく、本来は付き添いに来ただけの栞に、あんな思いをさせるようなこの場所に、これ以上、余計な儲けをさせたくもない。
いや、確かにオレ自身は良い思いをした。
そこは認める。
認めざるを得ない。
栞と長い時間、同じ空間で過ごせたことはかなり幸運だし、可愛くて魅力的な面もいっぱい見ることができた。
幸せな時間はもらったのだ。
だが、それはそれ、これはこれ。
別問題だろう。
「……と言うか、兄貴は未経験者を相手にしたことはなかったのか」
それはオレにとって、ちょっと意外なことだった。
「逆に何故あると思っている?」
兄貴は眉を顰める。
「いや、言い寄ってくる女たちの中には一人ぐらい、いたかなと思っていた」
「俺も相手は選ぶ。そして、申し訳ないが、異性経験のない女性はお断りさせてもらっている。将来の夫君に申し訳ないからな」
「経験者と騙して近付く女だっているんじゃねえのか?」
自慢じゃないが、オレの兄貴はモテる。
実際、この「ゆめの郷」に来てからだって、声を掛けられていることは知っていた。
ストレリチアでも、カルセオラリアでもいろいろな女性から言い寄られていることは知っている。
人間界にいた時だって、いろいろな女の気配がしていたのだから、それなりの数だと思うのだが……。
「経験が少ないお前に言っても分からんだろうが、未経験者、経験の少ない異性、経験の多い異性は最初から、男に対する反応が全く違うからな」
それは知識としては知っている。
だが、具体的にはどう違うのかまでは分からない。
「まあ、経験を積め。話はそれからだな」
「兄貴みたいに不実な男になれってか?」
「不実な男になりたければ俺は止めない。だが、厄介ごとに巻き込むなとだけは言っておく」
「なる気もねえよ」
そんなのオレには無理だ。
勿論、男として興味が全くないと言えば嘘になる。
だが、あの溺れそうになるほどの深い甘さを知った後。
誰と何をしても、あれ以上の満足感を得られる気はしなかった。
何より、あの時、思い抱いた感情が穢れてしまうような気さえする。
確かに自分の欲望に流されて突き進んでしまった結果ではあるが、その奥底にあったのは、どこまでも栞のことしか考えられない純粋な部分も間違いなくあったのだ。
だから、深織とだって……、栞の姿で……。
「あ……」
そこまで、考えて……、オレはあることに気付いた。
「兄貴! 他の人間が栞の姿をして命令したぐらいで、オレたちは、簡単に操られるものだと思うか?」
「馬鹿を言え。お前の報告を見て、思案したが、それは本来、あり得ない」
兄貴はそう言いきった。
「『強制命令服従魔法』は魂の縛りだ。たかが目晦まし程度の幻影や投影ぐらいで誤認することは本来あるはずがない。単純に、『発情期』中のお前が免罪符を探しただけだ」
「じゃあ、なんで、オレの記憶が全くないんだ?」
栞の姿に変わった深織の言葉を耳にした時、栞から「命令」された時のように、意識が飛んだことだけは覚えている。
「相手の『ゆめ』が薬や魔法などで何かをしたか。あるいは、お前自身が記憶の封印をしたくなるようなことだったのだろう。一種の防衛本能だな」
「ああ、現実逃避みたいなもんか」
あまりにも強いショックを受けると記憶に蓋をすることがあると聞く。
もしくは、夢だと思い込むこともある。
それは精神を護るためのものだと聞いているが、それだけ、オレにとってはショックなことだったのだろうか?
「だが、そこまで気になるなら、試してみるか?」
「へ?」
「俺が栞ちゃんの姿になって、『命令』してやろう」
「やめてください、お兄様!! 栞が汚れてしまう!!」
オレは割と本気で懇願する。
「酷い言い分だな」
だが、一度、「検証魂」に火がついてしまった兄貴を止められるはずもなく、オレはマジ泣きをしたくなるような光景と言葉を聞くこととなった。
その結果。
栞の姿をしただけでは、オレもその「命令」に流されることもないことは分かった。
そのためのオレの精神的な犠牲はあまりにも大きすぎたと言えたのだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




