一度ではなくて
「お騒がせしました」
彼女はわたしから離れるとペコリと頭を下げる。
自分で言うのもなんだけど、可愛らしいお目めが真っ赤になって酷く痛々しい。
でも、涙で濡れた瞳ってこんなに綺麗なんだなとも思う。
でも、なんだろう?
この既視感。
「でも、アナタの言動は無茶苦茶です。ワタシを突き落としたいのですか? 慰めたいのですか? 責めたいのですか? 助けたいのですか?」
「いろいろあるから仕方ない」
わたしが胸を張ってそう言うと、彼女はあっけにとられた顔をした。
「突き落としたい感情はあまりないかな。でも、記憶を奪われたことに関しては事情もあるのは分かったけれど、やっぱりわたしからすれば思い出の強奪。多少は責めたくもなるよ」
「はい……、それは分かっています」
彼女はそう言いながら俯いた。
罪悪感がないわけではないようで、少し、安心する。
「でも、全てを忘れたから人間界で平和な生活ができて、ここから離れがたくもなったんだろうとも思う。そこはある意味、感謝かな」
「そんなにも離れがたいのにどうして魔界に行くのですか?」
「さっきも言ったでしょう? 逃げられないから。それに、もしかしたら、ミラージュはその『恐ろしい存在』の使いかもしれない」
彼女が言っていた「恐ろしい存在」。
それが「魔神の眠る地」と呼ばれるような国と無関係とはあまり思えない気がした。
「そんな……、でも……、あの人は……」
「あの人?」
わたしがその言葉を問い返すと、彼女は首を振る。
「いえ、人違いでしょう。ワタシはミラージュの人間を1人知っていますが……、アナタの前に現れた彼らとは考え方が違ったと記憶しています」
「え?」
わたしが……、過去にミラージュと接点があった?
「ただ……、その記憶は封印されています。だから、ツクモやユーヤは勿論、あの母すら知らないでしょうね」
「……なんですと?」
母すら知らないってどういうこと?
「このワタシはアナタが言うように身体の中に眠る記憶です。だから5歳の容姿ではありますが、その実、本来、5歳のワタシが覚えていないことも知っています」
さりげなく続けられた言葉に衝撃を覚えるしかない。
「ちょっと待って! わたし、何度も封印されちゃっているの?」
「そうですね……。えっと……、まず生まれた時に魔力を封印されていますね。さらに3歳の時に記憶の一部を封印されて、5歳で記憶と魔力の完全封印をして、10歳で記憶の一部と魔力の完全封印されたようです」
自分の胸に手を当てながら、彼女はそんなことを告げた。
「多すぎ! ……って、10歳!? なんで、わたし、知らないの!?」
その年齢なら既にこの世界で「高田栞」をしているはずなのに。
「記憶も含めた完全封印ですから。そして、これが一番、強固で素晴らしい封印でした」
さらりと言う彼女。
そりゃ、そうなんだろうけど……。
「10歳の時に施された封印については、ワタシも身体が意識を飛ばしている時でしたからよく覚えていません。そして……、それは王族の血を引くワタシ以上のものでした。恐らくは、正式な修行をしている神官の手によるものでしょう」
「……おおう。人間界にもそんな人が……」
でも、どんな修行僧……、いや、修行神官だ?
「いえ、魔界人です。それは間違いないでしょう。ただ……、その前後からその状況に対しても見当はつきますが、アナタをこれ以上混乱させたくはありません。魔界に行くなら、いずれ出会う可能性もあるでしょう」
あれ?
「……魔界行きは、反対じゃないの?」
「今でも勿論、反対ですよ。でも、今、主導権はアナタにあります。もともと、ワタシが口を出した所で、一度決めた考え方を変えるようなアナタではないでしょう? アナタはワタシなのですから」
「……じゃあ、なんで、口を出したの?」
「何の覚悟もなしに魔界に行けば、後悔するでしょう? 自分が死ぬことが決まっているのに」
そう言って、目の前の幼児はあまり子供らしくない表情で笑った。
どうやら……、相手はやはり、見た目の通り、ただの可愛らしい5歳児ではなかったようだ。
「アナタに向かってワタシが言った言葉は勿論、本心です。ワタシは周りがどうなっても母さえ守ることができれば良い。でも、アナタは違う。余裕が無いはずなのに、何故かワタシより、欲張りです」
「余裕は確かにないね」
そんなものがあれば、もっと気持ちは楽だったことだろう。
「そして、ずっとそれは無知から来るものだと思っていました。魔界の怖さを、確実な死の恐怖を知らないからだと……。だから、脅せばなんとか考えも改めるとも思っていました。でも、少し前にワタシの考えも変わったのです」
「へ?」
考えが……、変わった?
「あの日……。あの紅い髪の人の前に何故、立ちはだかったのですか? ワタシはずっとそれを聞きたかった。魔法が使えない人間が、魔法を操る人間相手に身体を張る理由がどうしても分からなかったのです」
どうやら、彼女は既に考え方が変わっていて、わたしを説得するために呼び出したわけではなかったようだ。
いや、上位の存在が干渉している期間があったから、始めは強引にでも説得したかった可能性もある。
でも……、あの日。
卒業式の日に、わたしは意図せず彼女に証明してしまったのだ。
自分の視界の中にいる人間が、わけもなく傷つけられるのは嫌だと。
確かに、魔法を使えないと言うのに、身体を張って庇うなんて、そんなことをしでかす人間の考え方を捻じ曲げるって、かなり難しいかもしれない。
「通信珠もなく、助けも呼べない状況でした。どう考えても勝ち目はなかったことでしょう。それなのに……何故、アナタはあの男の邪魔をしたのですか? 他の寝たふりを続けていた魔界人たちと同じように、見て見ぬふりが正しいのに」
何が正しくて間違っているかなんて分からない。
分からないけれど……。
「勝ち目は……、あったと信じていたからかな? 粘れば……、九十九が来てくれるって」
「……は?」
わたしはそれを信じただけだ。
「実際、彼は来てくれたからね」
「それは結果論でしょう? 実際、あの時、アナタの心が折れかけて、偶然、封印が弱らなければ、ワタシが通信珠を召喚することだってできなかったのです。つまり、あの時は九十九が来ない可能性の方が高かったのですよ?」
ああ、なるほど。
謎が一つ解けた気がする。
「封印の効果が弱って……、つまり、あなたが、助けてくれたのか。ありがとう」
それがなかったら難しかったらしい。
うん。
流石、わたしだ。
知らない間に良い仕事をしてくれた。
「そ、そうだけど! そうではなくて!」
そして、わたしがお礼を言ったら、何故か焦る彼女。
「魔界人たちのほとんどが寝たふりをしていたけど、それでも、危険なのに助けてくれた人がいたこと……、覚えている?」
「……椅子を投げた方ですね。ワタシもその人を見ていないので正体は分かりませんが、アナタに関わった人だと思います。不可解ですが、危険を冒すというのはそれだけの感情があったということでしょうから」
わたしもそう思っている。
でも、少なくとも、わたしの知り合い……、友人と呼べる位置にはいた人なんじゃないかとも思っている。
「多分、その人と同じなんだよ。誰かが酷い目に遭うのを見たくない。わたしも自分のことしか考えてないんだ」
「……甘すぎます」
我ながら、幼い癖にはっきりと言うと思ってしまう。
「うん。甘い。それは分かっている。でも、それに応えてくれた人はいたんだ。あの行動にどれだけ勇気づけられたかも分かるでしょう?」
「……アナタの心境は分かります。誰も助けがない中での救いの手は……希望の光となりますから」
そう言って、彼女は目を伏せた。
多分、わたし以上にいろいろあって、その結論なのだろうなと思う。
見た目は本当に5歳児にしか見えないのに。
「それでも、アナタがしたことは……無謀です」
さらに言葉を重ねられる。
「まあ、命を取られることは無いだろうなと思っていたから」
「……でしょうね。あの時のあの紅い髪の人にそこまでの意思は感じませんでした」
「でも、あの場で抵抗しなければ連れ去られたとも思っている」
「……そうですね。結果として、あの場での魔界行きは避けられたということでしょうか」
「つまり、結果が良ければ良くない?」
「次はないと思ってください。アナタは見通しも甘過ぎます」
5歳児に説教される15歳。
こんなこと……。
夢の中だから許される気がする。
「ところで、避けられない死のことだけど……具体的にはどうなるの? 捕まるって何に?」
「その正体は分かりません」
「おおう」
「ただワタシは恐らく生まれた時から漠然と、その存在を感じていました」
「生まれた時から?」
そう言えば、さっき生まれた時に魔力を封印されたとかなんとか……。
もしかして、その辺りに理由はあるのだろうか?
「何故、魅入られたのかも分かりません。それでも、ずっとその存在を身近に感じていました。そして……、あの日。初めて、その声を聞いたのです」
「声?」
「はい。ただ一言。『もうすぐ、会える』……と」
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