2年ほど先の話
「おはよう」
背後から声を掛けられて振り返ると、そこには九十九がいた。
まあ、彼以外がいたら、それはそれで問題だとも思うけど。
「おはよう」
わたしも彼に応える。
こんな風に、起きた直後の九十九を見るのは、少しだけ新鮮だった。
彼は、基本的にわたしよりも早起きだから。
「珍しくゆっくりだったね」
「たまにはのんびり寝たかったんだよ」
護衛としてはどうかと思うような発言ではあるが、そこまで気を許されているところは素直に嬉しい。
同時に、うっかり起こさなくて正解だったと思う。
かなり気を使って、布団を抜け出た甲斐もあったというものだ。
「あの後、どれぐらい呑んでいたの?」
「そこに転がっていた空き瓶程度だな」
わたしは呑んだ量ではなく、呑んでいた時間を聞いたつもりだったのだが……。
そして、先ほど片付けた……と言うより、一箇所に纏めた空き瓶の数は、一本や二本ではない気がする。
魔界人がお酒好きなのは知っているけど、これは少し、呑み過ぎだったのではないだろうか?
「頭は痛くない?」
顔色は悪くないけど、その点が気にかかった。
「頭? 全く」
九十九が不思議そうな顔をしながらそう答える。
あれ?
お酒っていっぱい飲んだ次の日に、頭痛や吐き気がするものだと思っていたのだけど、違うのかな?
「たったあれだけの量ぐらいで、オレは二日酔いになんかならねえよ」
九十九は何かを察したのか、そんなことを笑いながら言った。
しかし、「たったあれだけの量」って、結構あった気がするのだけど?
しかも、単位は一升瓶である。
彼は、どれだけお酒に強いのだろうか?
「ああ、一箇所に纏めてくれたんだな。ありがとう」
そう言って、九十九はわたしの頭を撫でてくれた。
身長差があるため、ちょっとだけ子供扱いされているような気分にもなったが、そこを気にしてはいけないだろう。
わたしを撫でてくれる九十九の大きな手は、かなり心地良いのだ。
それに、下手に噛み付けば、妙に「大人扱い」を意識させるような色気のある反撃が来る可能性もあることは理解した。
今は、彼からあんな形で大人扱いはして欲しくない。
「それにしても、魔界に日本酒を持ち込んでいたの?」
転がっていたお酒の瓶は、一升瓶と呼ばれる大きさの瓶が4本もあったのだ。
その他には、一升瓶よりも小さいサイズの720ミリリットルと書かれたものも3本あった。
興味がなかったので、あまりしっかりと覚えていないけど、人間界のビール瓶と呼ばれるものがこれぐらいの大きさだった気がする。
本当にどれだけ2人で呑んだのだろうか?
もしかして、わたしが知らない間に、他の人が来ていたとか?
それらのお酒はどれも共通した文字で書かれていた。
今となっては懐かしい、平仮名や漢字だったのだ。
あれが法力国家ストレリチアで大神官が言っていた「神子文字」でない限りは、人間界からお酒の持ち込みをしていたと言うことになるだろう。
人間界のお酒に詳しくはないけれど、ラベルに書かれていた「清酒」とか「大吟醸」という文字から、恐らく、「日本酒」と呼ばれる種類のお酒で間違いないとは思う。
わたしは焼酎との違いが分からない。
焼酎は日本で作られたお酒なのに、「日本酒」に入らないのだろうか?
そして、ブランデーやウィスキーと呼ばれる洋酒とかも何かが違うのかな?
しかし、九十九が人間界から魔界に戻ったのは、高校入学前。つまり、中学三年生だったはずだ。
それなのに、その年齢からお酒の購入をしていたなんて……、見た目の年齢を誤魔化したとか、暗示をかけたなど、魔法を使ったとしか思えない。
「言っておくけど、それらはオレの酒じゃねえぞ。人間界から酒は持ち帰ってねえ」
「……ってことは、ライトのお酒なのか」
それなら、なんとなく分かる気がした。
あの人なら、人間界でお酒を購入することにも抵抗はないだろう。
もともと、少し、歳上に見える顔だったから誤魔化すのも楽そうだ。
でも、本当に、いつの間に彼らは共にお酒を呑んで語り合うほど仲良くなったのだろうね?
「いや、それは……」
何故か、九十九が一瞬、言い淀む。
「全部、来島の酒……だったらしい」
「へ?」
ちょっと意外な所有者の名前が出てきて驚いた。
いや、彼も、わたしと同じ歳……、いや、細かく言えば、少しだけ、誕生日が遅かったと記憶している。
ああ、でも、彼もライトと同じミラージュの人間だった。
表面上は上手に隠して生活していただろうけど、その元となっている倫理観が、わたしと同じはずがない。
「処分のために呑むのを手伝えと言われた」
「処分って……」
その言い方はどうなのだろうか?
せめて、「弔い酒」とかもっと良い言葉もあるだろうに。
でも、素直にそう言えないところが、ライトらしい気もする。
故人を偲んで献杯するようなタイプにも見えないしね。
「ああ、そうだ」
そう言って、何かを思い出したかのように、九十九は薄い桜色の瓶を取り出し、わたしに差し出した。
「これは……?」
なんとなく、それを受け取る。
平仮名で書かれた可愛らしく、なんとも春っぽい名前の瓶だ。
その色と、名前から、なんとなく、甘酸っぱいイチゴの味がしそうだと思う。
でも、よく見ると、「アルコール11パーセント」の文字。
可愛い名前と瓶のデザインに騙されてはいけないらしい。
「これも、来島の酒らしい。あの紅い髪の男も、それは甘くて飲めないらしいから、流れで貰うことになった」
その台詞にいろいろと突っ込みどころが多い気がしたけれど……。
「わたし、お酒は飲めないよ」
ソウが持っていたという、その可愛らしい瓶の日本酒に興味が湧かなかったわけではないけれど、わたしは二十歳までは絶対に呑まないと決めている。
そこを曲げる気はなかった。
せめて、2年後に渡されたなら、考えただろうけど。
「分かってる。だから、その酒は、お前が二十歳になるまではオレが預かるつもりだが、良いか?」
九十九がそう提案する。
「お酒って、そんなに長期間、保存できるものなの?」
わたしが二十歳になるまで、まだ2年近くもあるのだけど、いくらなんでも、長すぎるのではないだろうか?
確かに九十九にはいろいろな物を預けている。
その中には2年を超えている物もあるが、今回はお酒。つまりは飲み物だ。
賞味期限、消費期限は大丈夫なのだろうか?
「人間界の冷蔵庫だと、一度、開封した後は酸味が強くなってしまう酒らしいが、魔界の、いや、オレの空間収納なら問題はない。まあ、あの男はわざわざ未開封の瓶をくれたみたいだから、保存は大丈夫だ」
「未開封?」
つまりは、まだ開栓前だということだろう。
「その酒の味を知っていたから、試飲した分は別にあったんだろうな。だから、これはもともと、お前にやるつもりで持っていたんだと思うぞ」
それは、ソウが?
それとも、ライトが?
まあ、どちらでも良いか。
ソウが持っていたお酒を、ライトが九十九を通じて渡してくれたことに変わりはないのだし、そこまで気遣われたら断る理由もない。
ありがたく、いただくことにしよう。
その色合いや名前から、人間界の桜を思い出すような味かもしれないしね。
「じゃあ、悪いけど、そのお酒。九十九が2年ほど預かっていてくれる?」
「……おお」
? なんだろう?
今、妙な間があった。
もしかして、2年も収納魔法を使わずに九十九を頼るつもりなのか? と思われたのかもしれない。
でも、わたしは魔力の封印を解除してもらった後も、2年以上、まともに魔法が使えなかったような人間だ。
さらに2年経過したところで、わたしが収納魔法や召喚魔法を使える気はしなかった。
「2年の保存、保管はやっぱり長すぎる?」
魔法力的な意味があれば、それは仕方ない。
捨てたくはないから、誰かに渡して呑んでもらうしかなくなる。
「いや、それは大丈夫だ。2年どころか10年先だってちゃんと預かっていてやるよ」
そう言って、九十九は桜色の瓶をその場から消した。
収納してくれたらしい。
「ありがとう」
数年先の約束事。
九十九のことだから、大事に守ってくれるだろう。
その時までには、もう少し、人間としても魔界人としても、成長していたいものだね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




