そのまま関わるな
かつて、この世界には「救いの神子」と呼ばれた存在があった。
恐らく、それがこの世界の記録に残る最古の「聖女」たち。
それぞれの大陸から選ばれた七人の「神子」たちは、この世界を救うために、神と契りを交わし、多くの人類の祖となったとされている。
だけど、その「神子」たちが全て、望んでその地位に立ったとは思えない。
中には、「神子」であることを嫌がった人や、周囲から望まれて仕方なく「神子」となるしかなかった人もいただろう。
もしかしたら、他に好きな人がいた「神子」もいたかもしれない。
後から見た結果として、そうなっただけで、望んで「神子」になった人ばかりではなかったかもしれないのだ。
人間界にあった神話でも、神さまから騙されたり、神さまから無理矢理迫られたりした人間は少なくなかった。
そもそも「神」さまという存在が人間を下に見ているのだ。
だから、元は人間であった彼女たちの中に、多くの選択肢があったとはあまり思えない。
そして、この世界で最も有名な「災いを封じた聖女」。
彼女に関して言えば、最も「聖なる女性」からかけ離れている。
その原動力は、たった一人のためにあった。
世界を救うとか、そんな崇高な志は残念ながら一切なかったのだ。
ただ一人の男が、自分を捨てて離れることが許せなくて、友人たちを巻き込んだ挙句、誰にもどうにもできなかった「大いなる災い」を封印することになったとか、もはや、ギャグでしかない。
そんな形で救われた世界。
実際、その時代に生きていた人たちは、そのことを後世にどう伝え残そうかと頭を抱えたことだろう。
だからこそ、その「聖女」は名前が残っていないのかもしれない。
その「名」を調べれば、多くの人間たちにとって、不都合な事実に辿り着いてしまうのだから。
そんな闇の深い歴史を覆い隠し、どんな美辞麗句を重ねた所で、現実を知ってしまえば、虚構にしか思えなくなる。
そんな「聖女」になりたいか?
答えは「NO」だ。
しかも、「聖人」と認定されれば、かなりの確率で人間が死んだ後に送られる「聖霊界」ではなく、「聖神界」と呼ばれる神々の世界へご招待されてしまうそうだ。
それも冗談じゃない。
親しい人間たちがいない世界。
それも、自分を下に見る神々が集う世界に送り込まれるなんて、何の修行だ?
人間界でも、死後の世界は現世の苦しみから全て解放されると言われているのに、魔界の死後の世界は、歴史に残る偉業を成し得たほどの存在に対して、さらなる苦行の場を与える世界らしい。
今頃、「聖女」たちはその「聖神界」とやらでこう言っていることだろう。
どうしてこうなった? ……と。
「まるで、見てきたように言うじゃないか」
「『聖女』の現実なら、夢で何度も見せられたからね」
「聖女の、現実?」
「そう。かの有名な『聖女』である『ディアグツォープ=ヴァロナ=セントポーリア』さまは、本当にごく普通の女性だったよ」
それは、夢で何度も聞いた名前。
「夢で視たなら知ってるだろう? アレをごく普通の女性と言うか、お前は……」
「へ?」
そんな意外な返答に、思わず間抜けな言葉を返してしまう。
「『聖女』に至る前の『ディアグツォープ=ヴァロナ=セントポーリア』は間違いなく、お前以上に思考も言動もぶっ飛んだ女だっただろうが」
そこは否定しない。
寧ろ、完全に同意する。
だけど……。
「なんで、あなたもそれを知っているの?」
そんなわたしの問いかけは、ごく自然なものだろう。
かの聖女が生きた時代は今から六千年ほど昔とされている。
普通に考えれば、その時代を知る人間はいないはずだ。
だが……。
「俺も、何度も夢で見せられた」
魔界人の特殊能力の一つに「夢視」と呼ばれるものが存在する。
だから、自分や他人が視た夢を、ただの夢だと笑えないのだ。
「多分、お前とは違った視点、形だろうけどな」
確かに同じ時代を夢に視たとしても、同じ視点になるはずもない。
だけど……。
「そっか。わたし以外にも本当の『聖女』さまを知っている人がいたのか……」
そのことが、妙に嬉しかった。
あれは、誰にも理解されない生き方だった。
あの当時、周囲の意見に従うことが当然の時代に。
親の言いつけに子が逆らうことなど許されなかった時代に。
自国の利益のみを追求し続けるのが当たり前の時代に。
それは、きっと……。
他国の人間への愛情のために、自分の全てを懸けたお姫さまと、
他国の人間への友情のために、自分の全てを懸けた人間たちの物語。
だが、後世には都合の良い部分しか残さない。
そこにあった人間たちの感情など、始めからなかったかのように。
わたしは、人間としての「聖女」が好きなのに。
そちらは一切残されなかったのだ。
「聖女」自身の名前と共に。
「あれだけ自分勝手な女もそう多くない。特定の他者以外を思いやりもせず、我が道を貫いた。皮肉だとは思わないか?」
「皮肉?」
「そんな女が今頃、その『特定の他者』から引き離されているだろう。皮肉以外の何者でもない」
それは、彼女が「聖霊界」に行けなかったことだと思う。
「あれが、神からの意趣返しだと思えば、それも納得できなくもないけどな」
聖女は、神の手を振り払った。
その世界に降り立った「破壊の神」が伸ばした手を。
それどころか、その神を封印してしまう。
この世界を救うためという崇高な意識からではなく、愛する人を死地に向かわせたくないと言う「我が儘」のためだけに。
だが、そんな気持ちで世界が救われたとは、人間界の漫画や小説の中では許されても、現実的には許されなかった。
それはそうだ。
世界各国から集められた騎士や兵士たちが集結しても尚、かの存在の前で屍を積み重ねただけだった。
それなのに、王族とはいえ、「彼女」は友人たちに助けを借りつつも、封印そのものは一人でやってしまった。
それだけ王族という存在が桁外れだということを差し引いても、それまでに犠牲になった人間の中には、国の規模に関わらず、王族も少なからずいたのだ。
つまり、精鋭部隊を送り込んだと公言していた各国は立つ瀬がなくなったことになる。
それを避けるためには、「彼女」を特別視することが一番、手っ取り早かったのだろう。
その当時の神官たちもそう考え、当人の意思とは関係なく、勝手に彼女を「聖女認定」してしまった。
今は、当人の受諾がいるようになっているけど、当時にはそんなものはない。
周囲の、それも国王であり彼女の父親でもある人間の許可が下りたことで、認定されてしまった。
そして、聖堂の儀式により、本人不在のまま、「ディアグツォープ=ヴァロナ=セントポーリア」さまは、「聖女」となったのだ。
「聖女」の行動以上に勝手な話だ。
「『ディアグツォープ=ヴァロナ=セントポーリア』さまは、ただ『ディドナフ=ティアル=イースターカクタス』さまの側にいたかっただけなのにね」
それは、銀髪で青い瞳のかっこいい王子さまの名だった。
イースターカクタスがまだ情報国家と呼ばれるずっと昔の話。
いや、あの出来事をきっかけに、イースターカクタスは「情報」という言葉の大切さを知り、他国を相手取って急成長していくのだ。
聖女の娘である「ライアジオ=プルア=イースターカクタス」さまの主導の元に。
「お前はそのイースターカクタスの現王子『シェフィルレート=クラク=イースターカクタス』に会ったことはあるか?」
不意の話題転換。
それも、不思議な確認だった。
「『ディドナフ=ティアル=イースターカクタス』さまは、夢で何度も見せつけられたけど、現王子殿下『シェフィルレート=クラク=イースターカクタス』さまとは、まだ面識はないよ」
ただ現国王陛下である「グリス=ナトリア=イースターカクタス」さまには何度も会って、話もしている。
何度もお手紙を頂戴しているし。
「ならば、そのまま関わるな」
ライトはそうわたしに告げたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




