内からか、外からか
「よお」
その人は、唐突にわたしの前に姿を見せた。
紅い髪、薄い紫色の瞳。
独特の雰囲気を持つその人を、わたしが見間違えるはずもない。
「ライト……」
その人の名を口にする。
だが、この場所。
現実とは思えないほど真っ白い空間が広がっている。
さらに、こんな時、いつも近くにいてくれる護衛の姿はなかった。
考えられるのは、いつの間にかわたしは寝てしまって、この世界は夢の中ということだ。
これが、わたしと相手のどちらが見ている夢なのかは分からないのだけど、ここならば、彼はわたしに危害を加えることはないだろう。
そう信じることにする。
「そろそろ、帰るからな。見納めだ」
そう言いながら、彼は肩を竦めた。
「見納め?」
「時間がないのは、ソウだけじゃない。俺の方も残された時間は少ない」
「どういうこと?」
時間がない。
その言葉には、良いイメージを持つことは出来なかった。
「単純な話だ。俺の『シンショク』が進んでいる」
そう言いながら、彼は自分の左腕を撫でる。
「!?」
その言葉の意味を理解して、わたしは思わず息を呑んだ。
そこにあるのは明らかに諦めの色。
いつも妙に自信満々な彼が、弱く脆い人間に見えた。
「そんなに驚くことか? 前にも言っただろ?」
何故か呆れたように言うライト。
「で、でも、そんな様子は……」
ここが夢の中と言うこともあるだろうけど、先ほどまで現実でも会って、会話までしているのだ。
でも、そんな姿を一切、見せていない。
あの「迷いの森」でその話を聞いた時は、もっとずっと……。
「ちょっと、身内の不始末をつけるために、一時的に封印していたからな。表には出ないようになっていただけだ」
「封印って……」
そんなに簡単にできるものではないはずだ。
それは、彼自身も以前、言っていたではないか。
「もしかして、『神隠し』とかいうのをしたの?」
わたしの「シンショク」は、それによって、押さえられているらしい。
その具体的な手段は、大神官である恭哉兄ちゃんじゃなければ分からないけれど、聖神界にいる神さまから見えないように、魂の存在を隠すと聞いている。
わたしの言葉に、ライトは珍しく淋しそうに笑った。
「お前のシンショクは魂の汚染だが、その対象は外にいる。だが、残念ながら俺のシンショクは身体に入り込んで内側から汚染していくものだ。元から種類が違うんだよ。そして、人であれば、内に入り込んだ神の力には抗えない。それは、大神官もそう言っていた」
「そんな……」
その言葉は、既に彼自身が恭哉兄ちゃんに会って、確認したということだ。
「そして、その大神官も俺に施した封印に関しては、『もって一月』と言ったぐらいだ。直にタガが外れ、再び汚染は始まることになる」
この世界で一番、神さまに詳しいとされる大神官。
その彼が自ら封印を施しても、たった一ヶ月の時間稼ぎしかできないなんて……。
神さまというものは、王族以上に、出鱈目な存在だということだ。
「だが、お前がそんな顔をする必要なんかない。要らん同情だ」
心底嫌そうに、ライトはそう言った。
「そのことは、ソウも知ってたの?」
「ソウ? ああ、ヤツは知ってた」
ソウは神官の素養があった。
還俗したとはいっても下神官にはなっていたのだ。
自国の王子の変調に気付いていないはずはない。
だから、彼は自分が消える方を選んだ?
そんな殊勝な人間だったことも、わたしは知らなかった。
いや、人間界での付き合いを含めても、わたしは、彼のことを何も知らなかったのだ。
彼は、あんなにもわたしのことを気にかけてくれていたのに。
「あの妹も、知ってるの?」
「知っている。ずっと近くで見ているからな」
自分の兄が病ではなく呪いのようなモノに蝕まれていく姿を見ているのだ。
身内だから、余計に辛いだろう。
それは、なんて悲劇なのだろうか?
でも、いつ会っても、彼女からはそんな印象は全くない。
兄よりも、わたしの護衛ばかり見ている気がする。
もしかして、辛さを隠しているというやつだろうか?
「まあ、どちらにしても、お前には関係のない話だ」
そうはっきりと言いきられてしまっては、わたしもこれ以上、何も言えない。
わたしがそれ以上、追求しないのを見て、ライトはふと笑った。
「お前は諦めが良いのか、悪いのか。本当に分からん奴だな」
「先に行けると思ったら突き進むし、これ以上は行けないと思ったら退くのは当然の判断でしょう?」
「違いない」
くっくっと笑うその姿は、感心していると言うより、どこか小馬鹿にされている感じもするが、そこは仕方ない。
「お前のそれは無謀と紙一重だがな」
やはり馬鹿にされているようだ。
まあ、カルセオラリア城のことを考えれば、そう言われても仕方がないとは思う。
あれは、本当に無謀としか言いようがなかった。
雄也さんが助けに来てくれて、ある程度の道筋を考えてくれなければ、わたしは生きていなかっただろう。
「そんな話をしにわざわざ来たの?」
そうだとしたら、随分、無駄な時間の使い方だと思う。
もっといろいろと話さなければいけないことが、山ほどありそうなのに。
「どんな話でも良いんだよ。お前と話せれば」
「へ?」
「恐らく、俺が俺でいられる時間はそう長くないからな」
彼は、そんな不吉なことを口にする。
「それって、シンショクのせい?」
「そうだな」
隠すことなく、誤魔化すことなく彼は答える。
「お前のシンショクと魂の汚染という意味では同じだが、前にも言ったとおり、俺に取り憑いているヤツの狙いは身体の乗っ取りだ」
「乗っ取り!?」
それって、神さまというよりも悪霊とか怨霊とかその類に近しい印象がある。
「神による魂の汚染は、結局のところ、その魂を手に入れるために早く器を壊すか。もしくは、その世界に降りるために器を乗っ取るかだ。神は人の世に多少の干渉はできても、その魂に直接、触れることだけは許されていない」
わたしにシンショクしている神さまの目的は、わたしの肉体を壊すこと……。
つまり、わたしが死ぬことであり、彼にシンショクしている神さまは、彼の肉体を乗っ取るつもりってことなのか。
どちらにしても、互いに神さまという存在に、魂ごと振り回されていることには変わりないのだけど……。
「だから、よく覚えておけ。次にお前たちと会う時は、俺の姿をしていてもその中身は既に、俺の魂ではない可能性があるということを」
どうして、そんなことを簡単に口にできるのだろうか?
「あなたは、怖くないの?」
わたしが同じ立場なら、耐えられる気がしない。
「怖い」
「ふ?」
即答された。
わたしは思わず、彼の顔を見返す。
「俺も人間だ。いつ、自分が変わってしまうと思うと、怖がらずにはいられない」
「意外だね」
「お前、俺をなんだと思っているんだ? 人並みに恐怖の感覚ぐらいはある」
「いやいや、そうじゃなくて……。怖いと思っていることを素直に口にしてくれるとは思わなかっただけだよ」
しかも、即答だった。
そんな素直なタイプには見えないのに。
「ああ、そう言うことか」
ライトは何故か視線を逸らした。
「お前と話していると、どこか調子が狂う」
そう言いながら、彼は頭をかいた。
その姿が、少し前まで一緒にいてくれた赤い髪のあの人と重なる。
「ソウも、怖かったかな」
思わずそう呟いていた。
彼と同じで、怖くなかったはずはない。
国のためだったと自分に言い聞かせ、どんなに覚悟をしていたとしても、自分が消えることを、心から望むような人には見えなかった。
そこには多分、わたしが知らない葛藤はあったと思う。
いくら昔馴染みとはいえ、わたしなんかに構わず、自分のやりたいことをすれば良かったのに、彼は、残り少ない貴重な時間をわたしに使ってくれたのだ。
「当然だ」
「え?」
「ヤツは最後まで抵抗したからな」
「抵抗って……」
その言葉は少なからず、わたしにとってはショックなことだった。
「誰だって、今いる世界から消えたくはないだろうよ」
それが全てだ。
昔、小さな女の子もわたしに向かって叫んだじゃないか。
まだ死にたくないって。
生きていたいから、母親以外の全てを捨てて逃げ出したって。
「ヤツは俺が消した」
先ほどの台詞から、なんとなく、そんな気はしていた。
「だから、お前は自分の友人を消した俺を恨め」
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