どうにかしてやれ
「ん……。そろそろか……」
目の前の紅い髪の男は、窓を見ながらそう言った。
「また客か」
オレは溜息を吐いた。
窓の外には先ほどから不穏な気配がしている。
「アレも、お前の差し金か?」
「いや、アレは別口だな」
「むさ苦しい野郎ばかりで、いい加減飽きたんだが」
「俺の方には、女が向けられたぞ。変わるか?」
その言葉で、この男にも何らかの敵がいるのは分かる。
「野郎よりは、女の方が良いな」
「薄布だけで、薬に操られて迫ってくる女が良いか?」
「野郎よりは良い」
寧ろ、羨ましい。
そして、栞には何の害もないだろう。
「女なら、下卑た発言で、想像の中でも主人が穢されるようなこともねえ」
アレは本当に腹が立ったのだ。
「女の方も十分、タチが悪いぞ」
「あ?」
「ここには、ソッチ方面の『ゆめ』もいるからな。百合の花を咲かせたいか?」
「おおう」
ヤバい。
少しだけ、想像してしまった。
「反応しすぎだろ、駄犬」
呆れたような……、いや、どこか可哀想なものを見るような目で、オレを見る男。
「百合は本当に戻れなくなるらしいぞ。まあ、栞にとっては、どこぞの虫や犬に手折られるよりは、そっちの方が幸せかもしれんがな」
そう言って、黒いマントを羽織る。
どうやら、戦闘態勢に入るらしい。
先ほどまで酒を呑んでいたこともあって、魔界人らしく、魔力が強まっていることがよく分かる。
独特の火属性の魔力と、よく分からない不思議な気配。
分かりやすく火属性の魔力だけだった来島とここまで違うのに、やはりどこか似ている気がするのは、本当に血縁にあるからだけ……、なのだろうか?
「外は、俺が片付けてやる。あんたは精々、そこの呑気な女に張り付いてろ」
「逆を指定するかと思ったが?」
それはちょっと意外だった。
オレ宛の客なのだから、オレにさせて、その間、栞にちょっかいを出すつもりかと思ったのだ。
「先ほどの酒も話も、今回の『礼』だ。これ以上、お前たちに対して余計な借りを作る気はない」
ああ、なんかいろいろ変だと思ったら、そう言う事情だったのか。
オレは、兄貴と違って別に何も「貸し」を作った覚えもないが、こいつにとっては、オレたちの行動そのものが悪いものではなかったのかもしれん。
「そこの女にもそう言っておけ」
そして、「そこの女」にはもっとその自覚はないと思う。
「まあ、先ほどの酒を渡すぐらいはしてやる」
彼女は現時点で酒を好まない。
だが、それが人から譲り受けた物なら別だろう。
それも、形見の品も同然だと言うのなら。
「ああ、それと……」
紅い髪の男は栞に目を向けて言う。
「そこの女をとっととどうにかしてやれ」
「どうにか?」
「『聖女』は今更、仕方ないとしても、処女のままでは狙われやすい」
「は?」
今、とんでもないことを言いやがらなかったか? この男。
「ストレリチアにいた時に聞かなかったか? 古代より、穢れない魂が宿った穢れのない肉体との交わりは、神官たちの格を上げるとされている。巡業において聖跡に触れるよりも効率が良いし、神官にとっては良い思いもできるから得しかない」
「あの国、やっぱり変態しかいねえ」
オレはもう何度目か分からない言葉を口にするしかなかった。
「それも『聖女』だ。一年以上もあの国にいて、無事だったのは奇跡だな」
栞があの国において、「聖女の卵」であることを、厳重に秘匿されていたのはそんな理由もあったのか。
そう言えば、彼女に会うことが許されていた「姿絵」屋は、髪が短く、信者ですらなかった者が選ばれていたことを思い出す。
あの商売人は、「聖女の卵」である栞に対しても、信仰の対象と言うよりは、商売人としての姿勢を一切、崩さなかった。
「まあ、『聖女』であれば処女じゃなくても、神官たちには問題ないかもしれんがな。あの国にいたら、己の穢れを払う浄化装置扱いだった可能性もある。『聖人』との交わりは、それだけで価値のある神事扱いだからな」
自分の穢れを、一人の女に押し付けようなんてとんでもない話だ。
それに、そんなことをしても、本当に穢れを払うことができるかなんて、誰にも分からないのに。
「でも、それって、もう一人の『聖女の卵』も同じってことじゃねえのか?」
不意に、あの城にいたもう一人の「聖女の卵」が気にかかった。
法力国家の王女によく似た強い瞳を持つ気の強い精霊使い。
「あの女は、王子殿下の婚約者であり、王女殿下と大神官の庇護を受けて、確固たる地位を築いているだろ? 同じ流れ者でも、そこの女とは根本的な立場も扱いも違うんだよ」
確かに栞も、彼らからの庇護は受けているが、公式的な身分はない。
「だから、神官とは無縁の男が、とっとと奪ってやるのが一番、問題ねえんだ。少しでも法力の素養がある人間が手を出せば、意味がない。特に最初の行為は神に近付きやすくなるから、『聖女』の因縁が結ばれやすくなる」
「その役目を自分がやりたいとは思わねえのか?」
男としては、そう思うのが自然だと思うが、それをわざわざオレに勧めると言うのが不思議でならない。
「神官とは無縁の男と言っただろ?」
その紫色の瞳がギラリとオレを見据える。
「お前……?」
「我が国の人間は大半、真っ当な形でセイを受けることはない。そして、3歳までに法力の才が発現すれば、法力国家に、無難に魔法の才が発現すれば魔法国家に送り込まれる。つまりは、そういうことだ」
「つまり、お前も法力国家に送り込まれた人間ってわけか」
なんとなく、来島との会話を思い出した。
普通では考えられない手段を使って、かの国が法力を使える人間たちを人為的に造り出していることを。
それが正しいとは思えないが、その後に得られる恩恵を考えれば、安いと思う人間がいることも分かっている。
法力は魔法と違って、神から与えられた稀有な才能とされている。
人間をただの道具として見ることができれば、その方法をとる国は出てきてもおかしくはないだろう。
「おお。そのために、俺はシオリと会えなくなり、記憶を消すことにもなったけどな」
「なるほど」
そこに繋がるのか。
それが、この男自身の意思だったとは思えない。
だが、その道を選ぶしかなかったことは理解した。
国の指針なら従うしかないのだ。
そして、本来、機密でもおかしくない話だ。
確かに、かなり口が滑りやすくはなっているらしい。
「それにはっきり言って、処女はめんどくせえ」
「はっきり言いすぎだ」
そして、滑り過ぎにも程がある。
「素人童貞のあんたには分からんだろうけどな。本当に、面倒なんだ。その前も! その最中も! その後も!」
「待て待て! これ以上は、流石にいろいろマズい!!」
結界の効果ですぐ近くにいても声が聞こえていないとはいえ、栞の傍で、そんな話をされても困る!
「悪いことは言わん。覚えておけ。本当に処女は面倒なんだ」
「分かった! 分かったから、それ以上は勘弁してくれ!!」
話に聞いたことはあるが、経験者からそう言われると、妙に説得力はある。
しかし……。
「オレは、栞に手をだす予定はねえ」
それだけは絶対だ。
どれだけ渇望しても、そのラインだけは守らなければならない。
「まあ、そう言うと思っていた」
目の前の男は溜息を吐く。
「じゃあ、他のヤツに譲れ。事情を話せば、あんたの兄貴でも引き受けるだろう」
それも、冗談じゃねえ。
「栞に関することだと分かりやすい反応だな、あんた」
その自覚もある。
「ただ、我慢は身体にも心にも毒だぞ」
「うるせえ」
それも分かっている。
その結果が、栞を泣かせることに繋がったことも……。
「それでも、オレは彼女に手を出さない」
「その頑なな精神は見上げたものだと感心するが、本当に良いのか?」
紅い髪の男は訝し気な顔をしながら尚も確認してくる。
「男なら惚れた女をモノにしたいのは当然の願望だろう?」
「男なら、惚れた女を泣かせたくないのも本当だろう?」
いつか、どこかで。
目の前の男が口にしたことをそのまま返す。
「ああ、そうだな」
紅い髪の男は肩を竦める。
「だが、その精神、いつまで持つかな?」
ニヤリと男は笑った。
それと同時に……。
「あがっ!?」
オレの身体に変調があったのだった。
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