使う場所を選ばせろ
「それで、話ってなんだよ?」
このまま、酒を呑むだけのためにこの場を準備したわけではないと思いたい。
栞に場を外させた上で、「話をしたい」と言ったのは、彼女について、本人には内密に、何かしらの情報交換をしたいということだと思った。
いや、正直、個人的にはとっとと帰って欲しいのだ。
珍しい酒を呑めるのは嬉しいが、それでも警戒心を緩めることができない状況が続くこの時間は、酷く自分の神経をすり減らしていく。
何が相手の利となるか分からないのだ。
自分の言動には逐一気を配る必要がある。
そして、目の前の男は酒を呑むペースがかなり早い。
それは、それなりに魔法力が多く、魔力が強い可能性を示していた。
魔法国家の王女である水尾さんが一番分かりやすい例だろう。
紅い髪の男は、ジュースのような感覚で琥珀色の酒を飲み干し、手にしたグラスをコトリとテーブルに置いた。
どうやら、話す気になったらしい。
「あんた、先ほどのシオリの魔法をどう思った?」
鋭い瞳をオレに向ける。
やはり、その話題か。
そして、この男の目から見ても、あれは魔法に見えるらしい。
「実に、栞らしい魔法だと思った」
常識に凝り固まった魔界人には決してできない魔法。
真央さんが、栞の「独自魔法」だと言ったが、本当にそうだと思う。
「確かに、そうだな。あんな魔法の使い方、この世界のどこを探してもいないだろうな」
そう言いながら、男は溜息を吐いた。
世界に広がる「現代魔法」とも、古代書を読み解く「古代魔法」とも違う魔法。
契約詠唱でもなく、呪文詠唱でもない短い言葉で発動する魔法。
それはまるで、大気魔気に直接命令する行い。
そんなことができるのは、並の人間とは言えない。
「だからこそ、使う場所は選ばせろ」
「……と言うと?」
「あの魔法はこの世界の常識を覆すものだ」
紅い髪の男は、そう言いきった。
まるで、世界の魔法を全て知っているかのようにはっきりと。
だが、オレもそう思った。
あれは、この世界の魔法を根元から揺るがすものだと。
「『解毒』はともかく、『発熱』、『発汗』、さらには『解熱』まで、自分の意思一つで自在に操作できると思い込む思考が既におかしい」
栞は、この男とその妹のミラをおびき寄せるために、自分の体温を操作したのだ。
それも、お湯の薬効成分を利用していたとはいえ、その魔力の流れをオレにすら気付かせないように自然に。
それがどれだけの想像力と創造力を必要とした魔法だったのかは分からない。
分かるのは、その魔法を、栞が実践したことだけだ。
「病に対処できない魔界人にとっては、『解熱』の魔法ができるだけで、『神の御業』として、重宝されることだろう」
「いや、病に対処できない魔界人だからこそ、下手に『解熱』すれば、病状は悪化すると思うぞ」
「発熱」は「生体防御機能」の一種だ。
「発熱」することによって、病気に対する免疫力が高まり、病原体の力を弱めることができる。
つまり、今回のような特殊な状態ではない限り、無理に「解熱」を施すのは魔界人にとってはかなりの悪手だと言える。
「それもそうだな」
ヤツもそれに思い至ったようで、オレの言葉を否定せずに納得の表情を浮かべた。
それだけで、この男も人間界での医学の知識が多少あることが分かる。
だが、それは「解熱」に限った話だ。
もしも、栞が医学的な知識を身に付け、意識的に「病原体除去」、「腫瘍切除」、「免疫力増加」などの処置を自在にできるようになれば、人間界の手術で治る病気のほとんどが解消されることになってしまうのだ。
「だが、シオリがその気になれば、万病を完治させる可能性があることに、変わりはないだろう?」
オレと同じように、ヤツも自然とその考えに辿り着く。
それ自体は、不思議なことでもなんでもない。
病気には病因があり、その病原となるものを取り除くことさえできれば、根治するものも少なくないのだから。
だが、オレはそれ以上に厄介なことに気付いてしまった。
もしも、栞のあの魔法が、もっと根本的な生命に関すること。
例えば、「寿命延長」、「死者蘇生」など、神の領域とされる分野すら、踏み込むことを可能としてしまったら?
それは、魔界人だけではなく、生きとし生けるもの全てにとって神に等しい存在となりうる。
そうなれば、きっとただの「聖女」では終われないだろう。
オレとしては、そちらの方がずっと脅威に思える。
だが、それを口にする気にはなれなかった。
この男の立ち位置がはっきりと分かっていない以上、これ以上、厄介ごとの種を植えるわけにはいかない。
この男が「聖女」としての栞を求めていない保証もないのだ。
「そして、そんなものを自然に使うような人間を、世界が……、いや、あの情報国家が放っておくと思うか?」
思わないな。
それでなくても、あの情報国家の国王陛下は千歳さんと、その娘である栞をかなり気に入っている。
しかし、世界よりも情報国家が放っておかない……か。
それならば、結論としてはかなり分かりやすいものとなる。
「お前は何を言っているんだ?」
オレにとっては、そんな話は今更なのだ。
「あの国は、そんな特殊能力がなくても、そこの女を放っておかねえよ」
人間界で生まれ育った女性とセントポーリア国王陛下の間に生まれた栞は、行く先々で王族たちに一目置かれた上、神官として世界最高位にある大神官からもその才を認められ、「聖女の卵」となった。
これらだけでも、十分、情報国家にとっては、垂涎ものの存在であることは誰にも否定できないだろう。
オレはあの国王陛下を甘く見るつもりはない。
確かに人間としては好ましく感じたが、その立場は、それらを全て吹き飛ばすほど強大なものである。
そして、少し会話を交わした印象だけでも、気に入った物はどんな手を使ってでも手に入れようとするタイプだと感じた。
その息子であるシェフィルレート王子殿下も似たようなタイプではあるようだが、敵に回すと厄介だと思えるのは、どう見ても、あの国王陛下の方だろう。
かつて、イースターカクタス国王陛下は、自分が気に入った「千歳さん」を手に入れることはできなかった過去がある。
その理由としては単純なもので、セントポーリア国王陛下があの情報国家の国王陛下よりも先に保護し、囲い込んでしまったからだ。
それは、あの世界の知識だけではなく、その心を含めた全てだった。
千歳さんが、セントポーリア国王陛下の補佐としてもあそこまで育ってしまった今、イースターカクタス国王陛下がどんなに諦めが悪かったとしても、容易に手を出すことなどできないだろう。
一度、逃してしまった魚は必要以上に大きく見えるはずだ。
そうなれば、公式的な立場があまり強固ではない彼女の娘に目が行くことは、否定できないだろう。
「既に、情報国家の国王陛下から頻繁にラブコールは来ている」
今もどこからか手紙が届いているらしい。
栞は困ったように笑いながらそう言っていた。
その手紙が、どうやって彼女の元に届いているのかは、兄貴ぐらいしか分からないみたいだけど。
「情報国家の国王は代々エロ親父が多いからな。今代もそうだし、今の様子なら、次代も間違いなくそうなるだろう」
やはり認識は「エロ親父」らしい。
確かにあの国王陛下は、栞に対して、「息子の正妃にならないか? 」という形で誘いをかけてきた。
だが、その前に「寵姫にならないか? 」とも言っていたのだ。
自分の息子より若い女、それも当時17歳の栞に手を出そうという辺り、「エロ親父」というより、「ロリコン親父」の方が相応しい称号だと思う。
「まあ、あの魔法なら情報国家だけじゃなくて魔法国家の生き残りも騒ぎそうだな。魔法オタクが多すぎる」
否定できない。
オレはうっかり、どこかの双子の王女殿下たちを思い出してしまった。
彼女たちも、分かりやすく栞の魔法を見て、目を輝かせていたのだから。
だからだろう。
「魔法国家の生き残りって、どれぐらいいるんだ?」
なんとなくそれを聞いてみたくなってしまったのは……。
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