あの時よりはマシか
紅い髪の男、ライトはオレだけと話をしたいと言ったが、オレ自身が栞から離れたくない。
色惚けているわけではない。
オレたちの敵は、この男だけではないのだ。
彼女から離れてこの男と対話中に、別の方向から出し抜かれて……となれば、本当に笑えない。
だから、こちらからの妥協案として、栞がいる寝台から少し離れた場所に防音の結界を張ってヤツと向き合うことになった。
その提案をした時のヤツの顔は、なんとも言えない生温い視線だったことは言うまでもない。
そして、栞は、ここで電池切れのようだ。
オレが、結界を準備する前に、既に寝台へ上がり、布団の中で丸くなっている。
そんな栞の姿を見て、結界は不要かと思いもしたが、寝たふりをする程度のずる賢さはある女だ。
彼女に聞かせたくない話を、この男がする気ならば、やはり、ちゃんと結界は必要だろう。
「何か飲むか?」
「あ?」
意外な申し出に、オレは一瞬、考える。
「茶でも酒でも好きなのを選べ。それぐらい準備してやる」
「じゃあ、せっかくだから酒で」
相手から用意されるのは少し、新鮮だった。
もしかしたら、毒を仕込まれる可能性もあるが、通常、考えられる毒に対しては耐性もあるし、多少なら、オレも解毒魔法は使える。
同じ酒を呑むなら、警戒すべきは器の方だ。
だから、念のためにグラスは自前のものを使わせてもらうことにする。
「お前が酒の準備をしてくれるなら、つまみの方はこちらで用意してやる」
酒に合わせたつまみを準備するために、出された酒を確認しようとして……。
「日本酒!?」
思わず、叫んでしまった。
その場に何本か出されたその独特の大きさの瓶の数々は、まさかの日本酒だった。
日本酒は当然ながら、人間界でしか手に入れることは出来ないはずなのだが……。
「おお、人間界で気に入って持ち帰った」
「これ、この世界では稀少じゃねえのか?」
どこか懐かしい文字で書かれた独特の名前の酒が何種類も並んでいる。
それを見て、思わず生唾を飲み込んでしまった。
この世界の人間は、人間界と呼ばれる世界へ簡単に行けるものではない。
「人間界へのツテがいくつかある。あんな美味い酒が溢れる世界を断ち切りたくはないからな」
なんて羨ましい話だ。
考えてみれば、こいつらの国は、国家の指針となる法律そのものが、普通の国とはかなり異なっている。
独自ルールやルートがあってもおかしくはない。
何より、栞の卒業式だって、普通に考えればあの人数のミラージュの人間たちが、あの場に集結していたのもおかしな話なのだ。
他国滞在期間の貴族の人数が多かったわけではなく、単純に、オレたちとは違う規則で人間界に行っているのだ。
だが……。
「栞には言うなよ」
それが気になった。
「意外だな。日本酒に興味があるのか、そこの女は」
目の前の男は、近くの寝台で布団に潜り込んでいる女の方に目を向ける。
「いや、彼女が興味を持つとすれば、人間界へ行くルートだ」
「ああ、そうだったな」
少しでも、里心が刺激されたら、戻りたくなるかもしれない。
彼女は、この世界よりも、人間界での生活の方がまだ長いのだから。
「あんた、日本酒を呑んだことは?」
「数える程度だ。学生の身だったからな」
それも、中学生だ。
かなり工夫をしない限り、酒なんて購入そのものができない。
それでも、買う方法はある。
魔界人は魔法が使えるのだから。
「好きな系統の酒は?」
「割と何でも呑める」
「なら、まずはこれだな」
そう言って、ヤツは緑色の瓶を取り出した。
シンプルな名前の大吟醸だ。
なんだか変な気分だった。
護るべき栞がすぐ近くで眠っていると言うのに、その栞を狙う男と酒盛りをしているこの状況。
それでも、大聖堂の地下室で王族たちと呑むことになった時よりは、マシかもしれないのだが。
あの状況こそがあり得ないほどの非日常だ。
「あ、これ、美味い」
少しだけ、口にした日本酒は、スッキリ系だけど、少し濃厚で、何より後味が良いものだった。
これにあいそうなつまみは刺身だが、流石にそれは常備していない。
日本酒だからな。
醤油に似た味の煮物なら悪くないか。
「これらは、全てヤツの秘蔵の酒だ」
「ヤツ?」
「『ソウ』だ」
「ああ、来島のか。アイツ、良い趣味してたんだな」
少なくとも、酒の趣味は合いそうだ。
それを早く知っていれば、もう少しは何かが変わっただろうか?
いや、何も変わらないか。
それだけでどうにかできるようなら、始めから誰も悩んでいないのだ。
「一人で呑むには量が多い。少し手伝え」
確かに並べられた酒の量は多いが、それでも、取り扱いや状態にさえ気を付ければ、長期間保存できるはずだ。
だから、わざわざ話のついでに、オレに飲ませる理由にはならないと思う。
いくらツテがあったとしても、日本酒、人間界の酒が稀少であることに変わりはないのだから。
「本当は、そこの女にこそ手伝って欲しかったんだが……」
「後二年要るな。そいつ、『酒は二十歳になってから』の姿勢を崩す気はねえらしいから」
これらの酒が、あの来島の持っていた酒だと言うのなら。
そして、この酒盛りに何らかの意味を見出すのなら。
確かに、これらの酒を一番に呑ませるべき人間は、栞だろう。
だが、残念ながら、彼女は「酒は二十歳になってから」を貫くつもりらしい。
酒入りの菓子は食うくせに、酒を呑む気はないらしい。
それは魔界人にしては珍しいことだ。
しかも、あのかなり酒に強い千歳さんと、魔界人の王族らしく、酒の好きなセントポーリア国王陛下の血を引いているというのに。
それでも、主人が望むのならそれを叶えるのがオレの務めだ。
だが……。
「女が好むような甘い酒があるか?」
「それなら、これだな。にごり酒だが、甘過ぎて、俺の口には合わなかった」
そう言って、紅い髪の男は、桃色の瓶を取り出した。
なるほど……。
男が持つにはいろいろと辛い色だ。
さらに、その名前も女が喜びそうな名前だった。
その上、味も甘いなら、女受けするかもしれない。
それを考えると、来島は、何のためにこの酒を持っていたのだろうか?
そんな疑問は残るものの、それに答えてくれる人間はもういない。
「それ、呑む予定がないなら、その瓶ごと貰っても良いか? 二十歳過ぎたら、栞にやるから」
今はまだ栞は呑まない。
だが、二十歳過ぎれば呑む機会もあるだろう。
その時までとっておくことはできるはずだ。
甘い酒ならば、一口ぐらいは呑む気になるだろう。
それも、来島の酒だと言うのなら。
「二十歳過ぎまで、あの女が何事もなく生きていると思うか?」
皮肉気な笑みを浮かべて男は言った。
嫌なことを言うなと思いもするが、同時に、絶対に大丈夫とは言いきれないのがこの世界だ。
栞は18歳になったばかりだから、二十歳になるまで後、二年かかる。
たった二年。
されど二年。
この世界に栞が来てから、彼女は幾度となく危険な目にあってきた。
これからも同じように、いや、これまで以上に危険な目に遭うかもしれない。
来島が言っていたことが本当ならば、「導きの聖女」は、ミラージュの国王からもその身を狙われている。
そして、彼女は魔法の才を発揮し始めた。
それも魔法国家の王女たちの知識にない魔法を。
頭の中にどこかで見たことがある金髪の王様の笑みが浮かんだ。
そして、その息子である銀髪の王子も。
だが、オレはその全てから栞を守ると決めたのだ。
だから……。
「このオレが傍にいるのに、あの女が生きてないと思うか?」
オレは笑いながら、そう口にする。
「お前らのような悪い虫退治ぐらい楽勝だ」
尤も、彼女自身である程度振り払う気もするけどな。
そんなオレを見てどう思ったのか……。
ふっと鼻で不敵に笑いながらも、紅い髪の男は、オレに先ほどの桃色の瓶を差し出しながら言った。
「まあ、精々、守り切れ。『聖女』の番犬」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




