凄いものを見ている
「栞……」
「ふっ!?」
オレが耳元に囁くと、栞が飛び上がるような反応を見せた。
こいつ、オレを座椅子と勘違いしてなかったか?
いや、それは良い。
「来島から、魔力珠、貰ったのか?」
「あ、うん」
後ろから抱き抱えているためにその表情は良く見えない。
だが、オレのこの感情は間違いなく嫉妬だ。
分かりやすくも明確な焼餅だ!
「おい、そこのホスト」
「ホスト!?」
そんなことを考えていたためか、その言葉に思わず過剰反応してしまった。
兄貴なら分かるが、オレは、夜の店で働くような気はない。
「主人を抱えながら耳元で名前呼びとか。護衛の範疇を逸脱してるだろ?」
お前が目の前にいなければ、ここまでする必要はねえんだよ。
しかし、ホストってこんなことまでするのか。
好きでもない女じゃなければ、オレにはできないな。
これは栞相手だからできることだ。
「シオリも拒否しろ。どう見ても、立場を利用したセクハラをされてるじゃねえか」
「セクハラ?」
おいこら。
余計なことを言うな。
それにオレはセクハラをしている気はない。
これはれっきとした護衛が主人に対して行う敬愛とか親愛の表現だ。
もし、主人が野郎ならしなかったという妙な自信もあるけどな。
「セクハラの心当たりはないかな」
暫く栞は考えて、そう結論付けてくれた。
彼女にとって、これまでの行為は、ただの「囮」でしかない。
兄貴や水尾さんたちから言われたことをちゃんとこなしただけだ。
そして、それはオレも一緒だと信じてくれている。
だから、彼女はオレの中にある下心にも気付かない。
目の前の男はそんな栞の言葉を受けて、大袈裟な溜息を吐く。
「短期間で随分と主人を調教してるじゃねえか、駄犬」
「その発言はいろいろとおかしくねえか? なんで、犬が主人を調教するんだよ?」
それに調教されたのは、やはりオレの方だろう。
彼女に逆らう気は一切ない。
それが命令ではなく単純な要望や、可愛い我が儘でも、ある程度は聞いてやる。
「大丈夫か? シオリ。この男に変な仕込みをされてないか?」
「変な仕込み?」
「人聞きが悪いことを……」
そんなことをする余裕はオレにない。
ミラの言う通り、経験不足なのだ。
「寝ている間に、身体を弄られるとか」
「やってねえ!!」
やりたいと思ったことはあるし、少し触れようとしたことはあるけど、既に、吹っ飛ばされている。
「それはただの痴漢行為じゃないかな」
呆れたような栞の声。
確かにおっしゃる通りです、我が主人。
「そうか? すぐ横で無防備な女が寝ているのに、手を出さないのは逆に無作法とか思わないか?」
「どんな作法だ!?」
思わず叫んだものの、既に何度も手を出したくなっている身なので、あまり強くは言えない部分がある。
そんな男どもの阿呆な会話に呆れたのか。
栞が深く長い息を吐いた。
「シオリ、随分、熱そうだな。いつもは少ない色気が随分、増してるじゃねえか」
「近寄るな」
ヤツが手を伸ばそうとしたので、思わず声に力が入った。
「駄犬の代わりに俺が慰めてやろうか?」
そんな下卑た提案を……。
「いや、遠慮します」
栞自身がきっぱりと拒否した。
「だが、少し前にこの駄犬に噛みつかれて、痛い思いをしたんだろ?」
その言葉で、不意に「発情期」中を思い出してしまった。
確かに、オレは彼女に「痛い」と悲鳴を上げさせてしまったのだから。
あの時の声は今も、耳に残っている。
だが、栞は特に気にした様子もなく……。
「この熱なら自分で下げるから大丈夫」
あっさりとそんなことを言った。
「は? シオリ、お前、まさか、自分でする気か?」
あ……。
こいつ、今、絶対、誤解したな。
「うん」
でも、栞がそれに気付いた様子はない。
だが、ヤツの表情から、確実に大いなる誤解をしていることだろう。
まあ、妄想逞しい年代なのは、お互い様だからな。
仕方ない。
「おい、ネズミ。こいつの言葉をお前の常識で受け止めるな。絶対に、心の底からがっかりすることになるぞ」
「は?」
男の妄想と、女の現状は違うのだ。
それは、オレ自身が嫌というほど知っている。
そして、それについては、あまりにも経験が豊富過ぎて、なんとなく泣けてくる気がするのは何故だろうか?
「栞、オレの手伝いは必要か?」
念のため、栞に確認する。
それを見たこの男が分かりやすく表情を変えた。
また別のことを妄想したのだろう。
「そのまま、結界の維持で」
彼女はオレにそう言うと……。
『解熱』
短い言葉を呟いた。
「は?」
ヤツの目が点になる。
まあ、別のことを想像していたのだから、仕方ない。
しっかり気を持て、青少年。
解熱魔法。
そんなものがこの世界に存在するかどうかは分からない。
分からないが、現に、抱き締めている栞の身体から、熱がひいていく。
「う~ん。身体にまだ違和感」
そうは言っているが、先ほどよりしっかりした口調となっている。
「まだ少しだけ熱いな」
頬を撫でて確認するが、流石に完全に熱がひいたわけではないようだ。
いや、この状態は、風呂上りの栞に戻った感じもする。
つまり、これが本来の効果か。
だが、この魔法の使い方なら、あるいは……?
「栞……。『解毒』は出来そうか?」
オレは栞に耳打ちをする。
「『解毒』?」
「まだ残っている熱は、お湯の薬効成分が残ってるせいだろう」
「おお、なるほど」
つまり、薬効成分を取り除けば、正常になるだろう。
『解毒』
栞は、またも一言、そう呟いた。
少しずつだが、体内魔気が変化していく。
オレは今、凄いものを見ているのかもしれない。
治癒魔法は使い手を選ぶとされるが、解毒魔法は使い手ではなく、取り除ける成分が限られることが多いのだ。
オレも使えるが、取り除ける成分は自分が一度体内に入れたことがあるもの、つまり服毒や服薬したことがあるものに限られている。
そして、薬効成分すら取り除けるほどの万能さはない。
念のため確認する。
熱は下がっていた。
「良し」
そう言って、栞の視界を解放する。
「うわっ!?」
いきなり手を離したせいか、彼女は目を何度も瞬かせた。
そして、目をしきりに気にしている。
ああ、涙目だったからな。
「じっとしてろ」
そう言って、再び両目を覆って、治癒魔法を施す。
「ほら」
「ありがとう」
いつものように、栞はオレにお礼を言う。
こんな所が良いよな。
大したことでもないのに、感謝を口にしてくれるのだ。
「そこの盛りが付いた駄犬」
オレが栞を愛でていると、雰囲気をぶちこわすような無粋な声がした。
「あぁあ?」
思わず奇妙な返しをしてしまう。
だが、ヤツは気にせずに言った。
「ちょっとツラ、貸せ」
恐らくは、先ほどの魔法の件だろう。
この男に見せたのは不味かったか?
だが、こいつは、栞を観察するような趣味があるヤツだ。
いつかは露見したことだろう。
それもそう遠くない未来に。
それなら、ヤツの考えを聞いた方が良い。
視点は変えた方が良いのは当然だし、魔法国家の王女たちとは違った情報を持っている可能性がある。
「それは、オレだけか?」
「当然だ」
少し考える。
「つ、九十九? わたしなら大丈夫だよ? ここで寝て待ってるから」
抱き抱えたままの栞がそう言った。
「だが……」
「一番、面倒な人を九十九が相手してくれるんでしょう? こんな安全な話はないと思うよ」
「それは、確かに?」
「お前ら……」
これまで、この場所に現れたヤツらより、この兄妹の方が明らかに格上だった。
そして、気配の消し方も含めて、分かりやすく荒事慣れもしている。
「通信珠は持つし、九十九からの髪留めもちゃんと装備しておく」
そう言って、栞はオレから離れる。
「髪留めは、寝る時、邪魔だろう?」
そこが我ながら盲点ではあった。
だが、栞に身に着けてもらうものを考えた時、やはりこの黒くて長い髪に付けて欲しいと思ってしまったのだ。
「だから、首から下げているんだよ」
そう言って、通信珠を入れている小袋からヘアーカフスを取り出した。
その状態を装備と言って良いのか分からないが、ちゃんと持っていることは間違いない。
栞の手にある魔力珠のついたヘアーカフスは、彼女の期待に応えるかのように少しだけ光る。
「3つ……」
背後から小さな声が聞こえた。
「なんだよ?」
「いや、別に……」
恐らくは魔力珠の数だろう。
だが、オレはそのことに気付かないふりをした。
その方がお互いのためだと判断して。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




