誤解を招きそうな言葉
その時間は……、本当に幸せだった。
彼からあの時のように、異性として求められたわけではないのだけど、少なくとも、女性として扱われたことは間違いない。
自分は高熱の中、何をされたのか分からないけれど、宝物のように扱われた。
もし、これが彼の「発情期」の行動だったら、そのまま、流されても良いほどに、幸福な気持ちを惜しみなく与えられたのだ。
でも、その時間は長く続かない。
そんなことは分かっていた。
それが、目的だったから……。
だけど、少しぐらい腹立たしく思うのは良いよね?
「ああ、もう! 見ていて、イライラする!!」
そんなキンキンした甲高い声と共に、幸せな時間は終わりを告げる。
「無粋だな、ミラ」
九十九の低い声が、ぐらぐらした頭に届く。
「せっかく、護衛が主人と絆を深めているんだ。邪魔しないでくれ」
そう言いながら、彼はわたしの額に口づける。
それだけで十分、心地よい。
「あのね、九十九様」
大きく息を吐く音が聞こえた。
「今時の中学生でも、そんな甘っちょろい行為で満足しないわよ?」
「いや、オレは十分満足しているが?」
「恋人じゃなくて、従者ですものね!」
そっか……。
こんな行為でも、九十九は満足してくれたのか。
……って、満足?
なんで?
彼はわたしにいろいろしてくれたけど、わたしは彼に何もできていないというのに……。
「くっ!! あまりにもイライラして、つい、うっかり出てきちゃったじゃないの」
「酷い言い草だな。勝手に覗いて、勝手に苛立って……」
「うるさい!! 覗かれているのは、とっくに分かってたでしょ!?」
確かに、酷い言い草だと思う。
いや、上に潜んでいるのが分かっていて、九十九に行為を続けさせたわたしも大概、酷いのかもしれない。
この金髪の女性は、九十九のことが好きなのだ。
だから、こんなにも苛立っている。
それを知っていたのに、わたしは彼女をおびき寄せるために……。
「しかも、もっと無防備で甘える九十九様を堪能できると思えば……」
「ちょっと待て?」
「まさかの俺様主導系だったなんて、意外過ぎて思わずときめいたわ!」
「いろいろ待て?」
だが、わたしが思っていた以上に、彼女は逞しかったようだ。
流石、あのライトの妹だと思う。
「だけど、その路線で行くにはちょっと経験値が足りないと思うのよね」
「大きなお世話だ。それに別にその路線を目指しているわけじゃねえ」
「そう? でも、そこの同じように経験の浅い御主人のためにも、この『ゆめの郷』で経験を積むのはありでしょう?」
「ねえよ」
ミラの言葉を九十九は即座に否定する。
そのことに少しだけほっとした。
男の人の中には、女性なら誰でも良いって人もいるし、異性経験を一種のステータスとして語られることもあるって話を漫画で読んだことがある。
でも、九十九はやっぱりそんなタイプの男ではないらしい。
「オレはこの経験の浅い主人で十分、満足だ」
そう言って、わたしは九十九から抱き締められた。
ちょっと待て?
それだけ聞くとかなり誤解を招きそうな気がする。
九十九が言っているのは、主人として満足ってことなんだろうけど、ミラの言っている意味は異性としてってことだと思う。
しかも、この行動。
彼女を煽っているのだと思うのだけど、ちょっと、やりすぎの感が強い。
「随分、開き直ったようね、九十九様」
「これ以上傷つけたくはないからな」
「一度は襲っておきながら、よく言うわ」
吐き捨てるようにミラはそう言った。
この人も、九十九が「発情期」になったことを知っているのか。
そして、わたしに手を出してしまったことも。
「知らないのか? ミラ」
だが、九十九はそんな挑発にも動じない。
「『発情期』はなんとも思っていない人間には反応しないんだぞ」
わたしは抱き締められていたから、九十九がどんな顔をしてそんなことを口にしたのかも分からないし、それを聞いたミラがどんな顔をしていたのかも分からない。
「そう……」
ただ、ミラの声が微かに震えたことは分かった。
「それなら、私にもチャンスはあったのかしら?」
「ないな。近付けば、確実に傷付けられると分かっていたんだ。普通の女なら、『ゆめ』でもない限り、そんな男に近寄りたいとは思わねえだろ?」
「――っ!!」
明らかな動揺。
確かに、相手が好きな人とは言え、愛されるより襲われる可能性があることを知っていて近付く女はいないだろう。
それでも、ミオリさんはその道を選んだ。
勿論、あの人の場合は、仕事ってこともあったのだろうけど、やっぱり一番大きな理由は、九十九のことが好きだったから……なんだと思う。
それらを考えるといろいろと複雑な気分になるのは何故だろうか?
「それに、オレも誰でも良かったわけじゃねえみたいだ。どうも、昔から好みにはうるさいらしい」
……ぬ?
そうなのか。
それなら、一応、彼から「対象内」と判断されたわたしは、ある意味九十九の好みに近いのだろう。
いや、でも、昔からってことは、もしかしなくても、九十九の幼馴染である「昔のわたし」が、彼の好みのベースになっているのかもしれない。
それなら、「今のわたし」が彼の好みに近くなるのは当然か。
わたしが覚えていないだけで、同一人物ではあるのだ。
恐らく中身は全く違うけど、その外見は、ち、違うはずだ。
5歳の幼子と同じ外見の18歳っていろいろおかしい!!
「それで……?」
「あ?」
「そんな安い挑発をしてまで、私を呼んだ理由を聞かせてもらえるのかしら?」
九十九の変貌にかなり困惑していたはずのミラは、なんとか立て直した。
うん。
いろいろ困るよね。
九十九はわたしへの好意を前面に押し出すようになった。
もともとあった「忠誠心」と「世話好き」からの「過保護」が、「発情期」を経てパワーアップされただけなのだが、あの重い宣誓を知らない第三者からすれば、隠していた「恋心」が顕著になったように見えるかもしれない。
考えていて恥ずかしいな、これ。
そんなに分かりやすい関係だったら、わたしも今回のことで思い悩む必要はないのだ。
「ああ、そうだな」
九十九はそう言いながら、どこからか何かを召喚した。
頭が上げられないので、その音から判断した限り、多分、紙の束……かな?
「それは……?」
訝し気なミラの声。
「兄貴から。お前たち兄妹のどちらかが来たら渡しとけって」
「はい!?」
彼女の驚きは、そのままわたしの驚きでもあった。
九十九に言付けている雄也さんも雄也さんだが、それを引き受けている九十九も九十九だと思う。
「追加の報告書らしいぞ」
「つ、追加って……」
それは既に別の報告書が渡されているってことですよね?
「それと、伝言もある」
「で、伝言!?」
ミラの困惑と言うか、混乱がよく伝わってくる。
だが、その伝言を聞いて、さらに事態は混沌と化す。
「『キミたちの別の拠点を探している余裕が今は残念ながらこちらにはない。だから、愚弟を通して追加資料を渡しておこう。破棄しても良いし、利用しても構わない。好きに使ってくれ』だとさ」
似てる!?
流石、兄弟。
今の声色はかなりわたし好みだ。
だから、凄くときめいた。
わたしは声だけなら、弟である九十九より兄の雄也さんの方が好みらしい。
いや、もともと彼ら兄弟の声質は似ているのだからどっちがどうというわけではないのだけど……。
「じゃ、じゃあ、こっちも伝言。『素直に気持ち悪い』。そう九十九様のお兄様にお伝えして」
「オレにそれを伝えろと?」
「たった数日で、兄様の活動拠点を見つけ出し、人知れず資料を送り付けた上、さらに弟や主人を餌にして、こんなものを渡す人が普通とは私は思えない。どう考えても、異常よ、異常!!」
流石は雄也さん。
わたしがオタオタわたわたしていた間に、そんなことをしていたんですね。
本当に敵に回したくない恐ろしい人です。
「まあ、兄貴が異常なのは認めるけど、この資料、これからの『管理者』にとっては悪い物じゃねえだろ?」
「それは、そうだけど……」
「要らなきゃ、ライトに渡さず捨てろ。だが、オレとしては、活用して欲しいと思う」
九十九はそう言った。
「オレにはもう救えねえからな」
「っ!?」
救えない?
でも、その言葉だけでミラには伝わったようで……。
「わ、分かったわ。でも、勘違いしないで! 貴方のためじゃないんだから!!」
そんな台詞を吐き捨てた。
それも、どこか泣きそうな声で。
だから、この場所で、わたしが自分のことしか考えられなかった間に、皆はもっといろいろなことを考えて動いていたんだな……と熱に浮かされた頭で考えたのだった。
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