違和感の正体
「ふえ?」
すぐ近くで、珍妙な生き物の声がした。
「どうした?」
ぼーっとした思考のまま、オレはその生き物に声をかける。
「い、今、九十九……、え?」
額に手をやりながら、栞は混乱していた。
ああ、そうか……。
流石に、高熱に浮かされた思考であっても、自分の額に何をされたのかは理解できたらしい。
オレは、自分の意思で、彼女の額に口づけた。
軽く触れる程度のものではあったが、彼女の確かな熱を感じたのだ。
「悪い、当たった」
嘘だ。
当たったのではなく、間違いなく狙って当てたのだ。
だが、咄嗟に口からは誤魔化す言葉が出てしまった。
だから、自分の身体に微かな反応が出ている。
「ああ、うん。この距離だもんね」
だが、その嘘に彼女は騙されてくれる。
その素直さに、心苦しさを覚えた。
このままならば、彼女は誤魔化されてくれるだろう。
先ほどの口付けに深い意味など考えず、ただの事故として、記憶から消してくれる。
だが、それは、嫌だった。
「嘘だよ」
「へ?」
「当たったんじゃなく、当てたんだ」
「ふわっ!?」
栞の驚く声は、本当に珍妙なものが多い。
だが、そんな所も可愛いから仕方ない。
「栞はいちゃつきが足りないと思ったんだよな?」
「え? う、うん」
「そして、オレが望めば、良いんだろ?」
「う? あ、うん」
自分で言っておいてあれだが、本当に良いのかよ。
いろいろ流されてないか?
だが、オレはできるだけ我慢したんだ。
そして、当人の口から今、許可は下りた。
だから、開き直ることにする。
我慢は身体に悪いことだからと、自分に言い訳をしながら。
「じゃあ、少しだけ、じっとしてろ」
「ふえっ!?」
桜色の唇から漏れ出す可愛らしい驚きの声。
これだけでオレを誘うには十分だ。
オレは再び、栞の熱くなった額に口づける。
「ひゃんっ!!」
それだけで、くすぐったいのか声が上がった。
「熱いか?」
「あ、熱いけど、それよりも……」
オレの質問に律儀に答えようとする。
そして、この行為を止めろとも言われなかった。
だから、遠慮なく、彼女の後頭部を引き寄せ、その額に自分の唇を押し当てていく。
「つ、九十九!?」
「このまま口を塞がれたくなければ、少しの間、黙ってろ」
「くっ!?」
昨日のように冗談で流す気はない。
「ああ、でも、可愛らしい声なら存分に口にしても良いぞ。上のヤツに聞かせるなら、その方が良いからな」
彼女の耳元に口を近づけ、低い声でそう囁く。
「なっ!?」
耳が弱点の栞にはかなり有効だったようで、一気に体内魔気が揺れ動いた。
だが、幸いにして、攻撃的な体内魔気の動きではない。
「つ、九十九のキャラが違う……」
消え入りそうな声。
「そうか?」
単に普段は表に出していないだけで、オレ自身はもともとこんなものだと思うが、栞の中では何かが違うらしい。
「オレたちが囮なら、より高い効果を狙うのは当然だろう?」
本音を言えば、あまり可愛い声を出されても困るのだが。
他の人間に聞かせたくはないし、オレもそんな声を聞いて我慢ができる気はしない。
「ううっ。これは、囮。わたしたちは囮」
自分に言い聞かせるように小さく呟く声。
ああ、なんて可愛いのだろう。
そして、栞は大きく熱い息を長めに吐く。
「が、頑張る!」
本当に心配になってしまうぐらい素直で愛らしいオレの主人。
オレが告げる虚実が混じった言葉を全て信じてくれる。
「良い子だ」
そう言って、オレは瞼や頬にも口付けを落としていく。
「~~~~っ!!」
もはや、声にならないらしい。
顔を赤くしたまま、目を閉じ、息を止めて羞恥に耐えようとしている。
だが、体内魔気の落ち着きはかなりなくなっている。
多少、魔気の感知能力が敏感な人間なら分かるぐらいに。
さて、どれだけ乱してやろうか?
「呼吸はちゃんとしろ。体内から熱は逃がせ」
「わ、分かった」
口をパクパクさせながら、大きく息を吸って吐く。
自分もこう言った経験は、はっきり言ってない。
それも、皆無と言っても過言ではないぐらいに。
まあ、知識としてはある。
どこで得たものだ? とかは尋ねられても、答えにくいので聞かないで欲しい。
人間界にも魔界にもそう言った方向性の蔵書には事欠かないとは言っておく。
そして、相手もオレと同じように経験が少ないなら、ある意味、気が楽だった。
比較するものがないから、それが普通かどうかも分からない。
「力を抜け」
「む、無理!」
「じゃあ、抵抗はするな」
「ふえ?」
「熱を逃がしてやるだけだから」
そう言って、熱い首筋に右手で触れた。
「ひえっ!?」
小さく上がる悲鳴……、と言うか奇声。
そこに色気はないが、寧ろ、それは彼女らしくて思わず笑みが零れた。
だが、同時におかしいとも思う。
先ほども感じたことだが、鎖骨がかなり汗ばんでいるのだ。
ここまで発汗しているなら、もう少し熱が逃げるはずなんだが、これもあの薬の効果なのか?
いや、待て?
鑑定結果には発熱の効果はあったが、発汗作用はなかったはずだ。
だから、高熱が体内を巡り、あちこちを刺激して、まあ、いろいろと大変な症状に繋がっていくらしい。
「九十九……?」
栞の両頬を掴んで、彼女をしっかりと見た。
頬は間違いなく赤く、熱い。
その瞳も潤んでいる。
だが、オレは何かを見落としている気がした。
考えろ!
オレは何に気付いていない?
あの湯は、まだ本来の「催淫効果」を発揮はしていない。
栞に出ている症状は発熱と発汗だけ。
そして、彼女がいつもと違うのは、どこかぼんやりとした声と少しだけ蕩けるような表情をしている部分だ。
この身体に力は入らず、抵抗らしい抵抗の意思も見せない。
それをオレはあのお湯の効果だと判断していた。
それ以外に栞がオレに対して甘えるとは思えなかったのだ。
だが、これは、もしかして薬の効果ではなくて……。
「栞、お前……」
オレがそう口にしかかった時だった。
「むぐっ」
いきなり、口を塞がれる。
残念ながら、口ではなく右手で。
「九十九……」
艶のある吐息混じりの声で小さく名を呼ばれる。
そして、オレが言葉を発しないと分かると、先ほどオレの口を塞いだ右手を自分の口元に近づけ、人差し指を立てた。
つまり「口を開くな」と。
なるほどな。
ようやく、違和感の正体が分かった。
「続けて……」
その甘い囁き声に心臓が鷲掴まれるかと思った。
この女もこんな声が出せるのか。
いや、これは発熱の効果だ。
そして、それを当人も理解している。
「分かった」
こんな状況だというのに、彼女は「続けろ」と言う。
異性に慣れてない癖に、その思考を高熱に蕩けさせてまで、どこまでも「囮」の役を務めようとしていた。
それなら、オレも応えよう。
どこまでも真面目で責任感が強い主人のために。
声を聞かせる必要はない。
大事なのは雰囲気、いや、体内魔気だ。
だから、彼女の体内魔気を乱せば良い。
それも、上にいるヤツが無視できないほど激しく。
「少し、入れるぞ」
耳元でそう囁くと栞は擽ったかったのか、肩を動かす。
「何……を?」
そして、零れそうなほど潤んだ瞳を向けられる。
「決まってるだろう?」
オレは優しく頭を撫でた。
そして、その柔らかい両頬を掴む。
「良い子だから、目を閉じてろ」
栞は、一瞬だけ、怯えたような瞳をオレに向けたが、素直に目を閉じてくれた。
滲んでいた雫が、その目尻から零れ落ちる。
オレは自分の意識を集中して、栞の瞼に唇を付け、いつかのように、「治癒魔法」を施した。
自身の体内魔気を相手に直接注入することは、どこかの誰かと違って、今のオレには意識的にすることが難しい。
確かに「発情期」中はできたようだが、意識してできる気がしない以上、ぶっつけ本番でやってみても失敗する可能性がある。
この時間は恐らく二度とない。
栞が身体を張ってまで、頑張ってるんだ。
それを、オレが壊すわけにはいかなかった。
「つ、九十九……?」
「気持ち悪くないか?」
オレの問いかけに首を振る。
栞との体内魔気の相性は、悪くないことを知っている。
幼い頃から互いに風魔法の耐性が付くほど感応症が働いていたんだ。
だから、体内魔気に当てられることはないだろう。
「大丈夫」
「じゃあ、お前が鎮まるまで、続けるぞ」
オレがそう言うと……。
「分かっていて……。九十九の、意地悪」
そんな可愛い言葉が返ってきた。
ああ、ちゃんと分かっている。
気付くのが遅くなってごめんな。
だから、ちゃんと釣れてくれよ!
この分かりやすいほどあからさまな挑発に。
ここまでお読みいただきありがとうございました




