我慢はして欲しくない
「さっ、『催淫効果』って、えっちな気分になるってこと!?」
オレの言葉に対して、栞は当然ながら混乱した。
「落ち着け」
「無理!!」
「お前の身体には、まだそこまでの効果が出ていない」
寧ろ、それ以上の効果が出ていたらオレが困る。
エストロゲンの分泌は異性を惹きつける効果も有しているのだ。
俗に言う「恋をすれば綺麗になる」というやつらしい。
栞が綺麗になるのは嬉しいが、それがオレ以外の男にも向けられることを考えると、かなりムカついてくる。
「ほ?」
「恐らく、熱いだけだ。それ以外の感覚は、多分、ないだろ?」
念のため確認する。
栞は、苦しくても我慢をしてしまう女だから。
「こ、これ以外の感覚を伴う……、と?」
「その辺は、個人差があるからなんとも言えんが……」
効果については、いろいろと送られてきた紙に書かれていたが、目の前の女については、今のところそれらが顕著に表れてはいない。
恐らく、発熱ぐらいだ。
症状としては、初期症状……と言うより、かなり軽症の部類に入るだろう。
「あ~、その、ずっと、男のことしか考えられない状態にはなってないだろう?」
「それじゃあ、ただの変態じゃないか」
きっぱりと言いやがった。
男の中には、正常でもそんなヤツがいるんだぞ?
「後は、そうだな。誰でも良いから男に触れたいとか、それ以上のことをしたいとかも思ってねえよな?」
「それも変態じゃないか」
悪かったな。
男は「発情期」で、それに近い思考になるんだよ。
「『催淫効果』が強く出ると、そうなるんだよ」
「ひえええええっ!?」
だが、これまでの反応を見ても、少しでも「催淫効果」が出ている状態の女とはあまり、思えない。
この状態で、こんな彼女に対して、僅かでも色気を感じてしまうのは、オレのように、ある意味重症化している男ぐらいだ。
「落ち着け。恐らく、お前はそこまでの効果は出ない」
「な、なんで?」
「幸い、栞は薬に多少の耐性がある。人間界にいたこともあるが、オレが割と、薬効成分の高いものを食わせているからな。オレたち兄弟ほどじゃなくても、一般的な魔界人よりは、薬の効き目が悪い部分はある」
「そうなのか……」
人間界の薬は身体に抵抗力を付けさせるものもある。
体内魔気に作用して、というのはほとんどなかった。
ん?
つまりこの薬は、魔界の考え方より、人間界の方に近いのか?
いや、この薬の考察については、専門家たちに任せよう。
目の前のことを解決する方が先だ。
「身体が熱い以外の症状は?」
「頭がぐらぐらする……」
「眩暈、吐き気は?」
「ない」
「会話も思った以上に成り立っているな……」
そのことに安心する。
やはり、症状としては軽いと考えるべきだろう。
「それ以外の自覚症状は?」
「九十九の声が耳に響く……」
そう言いながら顔を赤らめて耳を塞ぐ。
「そ、そうか。悪い。ちょっと声がでかくなっているかもしれん」
状況が状況だけに、ちょっと焦って、興奮してしまっているのかもしれない。
効果はともかく、栞が、薬の影響下にあることは間違いないのだ。
そのことが単純に腹立たしい。
「下腹部に不快感は?」
「違和感はある」
違和感?
彼女の表情は不快感のソレだ。
何かを求めるような恍惚とした顔ではない。
そのことにホッとしつつも、今、どんな状態かを把握したかった。
「具体的には?」
「お手洗いに行きたい。水、飲み過ぎたかも……」
そう言って、彼女はゆっくりと下腹部をさすった。
考えてみれば、先ほどからかなり水分を摂らせている。
その上、汗もほとんどかいていない。
これ以上、追求するのは良くない気がした。
「そ、そうか、行ってこい」
毒素を排出するにはそれが一番だ。
そして同時に、「催淫効果」を押さえる性質もある。
もっと水分を与えて、毒素を出しやすくする方向を考えるか。
解熱効果と利尿作用がある薬草茶が良いな。
しかし、「催淫効果」か。
この場所らしい手段だ。
そして、違和感が全くない。
普通なら、周囲の雰囲気に当てられたと考えられるだろう。
女性の方が、男性よりも空気には敏感なのだ。
そして、「発情期」よりも発症が分かりにくい。
その「発情期」はテストステロンという男性ホルモンの活発化が原因と思われるが、それと効果が全然、違うところが面白い。
誰が調薬したんだ?
そこに疑問が残る。
魔界で安定した薬品の調合が難しいことを知っているから、尚更、気になった。
そして、その相手は、人間界の医療の知識を持っているヤツかもしれない。
体内魔気ではなく、身体の変質を目的にしている辺りがそんな感じだ。
オレも、多少なりとも医学書に目は通していたが、本格的に勉強してきたわけではない。
そして、男性ホルモンや女性ホルモンに関してはそこまで勉強していなかった。
今にして思えば、もっと学んでおくべきだったんだ。
魔界で学べないことこそ大事なのに。
発熱だけなら、発汗と利尿によって毒素を排出させるだけで良さそうだ。
確認はしなかったが、向こうは大丈夫だろうか?
大丈夫だな。
トルクスタン王子もいるし、兄貴もいる。
こちらよりはマシなはずだから、気にしたらいけないな。
「九十九!!」
そう言って、黒髪の女は先ほどとは別の意味で紅潮させた顔を見せた。
スッキリした……とは違うような?
だが、さっきよりは随分、いつもの顔に近い。
「どうした?」
「わたし、考えたのだけど……」
ああ、個室って考え事したくなるからな。
その点については、これ以上、深く考えたらいけない気がした。
「この薬って、ある種の攻撃じゃないの?」
「攻撃……?」
こいつは、何を言っているんだ?
ああ、この薬は自分たちに対しての攻撃手段として使われていると思ったのか。
違うな、通常営業だ。
だが、詳しく話を聞いてみると、なかなか面白い。
オレにはない発想だった。
「……と、考えたのだけどどう思う?」
「お前の発想は、本当に不思議で面白いな」
だが、人間界で育ったためか。
もしくは漫画の影響か。
彼女の知識には若干、偏りがちな部分がある。
逃亡のための目晦まし……。
それはすぐに拠点を移せる算段をある程度、整えておかなければ無理だろう。
そして、即効薬を使われたなら話は分かるが、今回の薬は持続性、遅効性のものだった。
そのための手段としては気が長すぎる。
「一応、兄貴にも話しておく」
それでも着眼点が変わる発想は、兄貴にも伝えた方が良い。
オレや兄貴が見逃したり、見落としている物が、そこで見つかる可能性もあるのだ。
「それより、身体は大丈夫か?」
「ほえ!?」
まだ顔の紅い栞の頬に触れると、熱を持っていることが分かる。
「だ、大丈夫!」
「それならば、良かった」
それでも、少し辛そうだ。
頬に触れた感覚では、微熱。
これ以上、上がることはないと思うが、それでも、不安になる。
栞は人間界で育っているから分からないだろうが、魔界人は熱に弱いのだ。
そして、オレの父は熱病で死んでいる。
そのために、余計に過敏な反応だとは思うのだが、こればかりは仕方ない。
「と、とりあえず、寝ようか」
そう言って、栞はいそいそと……布団に潜り込む。
熱があるから早く休みたい気持ちは分かるが、その行動はどうなのか?
まさか、誘われている……わけではないよな?
それなら、オレに対して背を向ける必要はないだろう。
「大丈夫か?」
布団に入って、背を向けたままの栞に確認をする。
「な、何が!?」
「昨日より、きついだろ?」
先ほどから少し、彼女の様子が変だ。
熱があるせいか、耳まで赤い。
「大丈夫、大丈夫!」
オレの方に身体と、真っ赤な顔を向けて、栞は何かを隠すようにそう言った。
そして……。
「栞……?」
何故か、オレの服の裾が引っ張って……。
「大丈夫」
強くそう言った。
どこまでも強くあろうとする主人。
本当は辛くても、笑える強さを持った女。
「大丈夫」
栞はさらに重ねて言う。
まるで、オレを安心させるかのように。
「そうか……」
彼女が隠そうとするなら、オレはその「強さ」を守ろう。
だが……。
「苦しいなら言えよ」
できれば、我慢はして欲しくない。
「え……?」
「必ずオレがなんとかしてやるから」
他人に弱さを見せたくないのなら、護衛だけには、見せて欲しい。
それは、自分の我が儘だと分かっていても、それでも、彼女が辛い時に手を貸すことぐらいはしたいのだ。
「解熱効果のある薬草や食材は……」
熱くて苦しいのなら、その熱を押さえることが大事だろう。
候補はいくつかあるし、手持ちにもある。
それに毒素の排出効果を考えれば、ここに来て栞に飲ませていたあの薬草茶は今回の状態に良いものだと気付く。
もしかしたら、「ゆめ」はここの風呂の効能を知っていて、バランスをとるために飲んでいるのかもしれない。
それなら、この場所であの薬草の取り扱いが、他の場所よりも多い理由が分かる気がしたのだった。
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