狙われたのは……?
「ううっ……」
なんて、恥ずかしいのだろうか。
確かに、いつもより長くお風呂に入っていた気はするし、うっかり、お湯に潜るなんて小学生のようなこともしてしまったけれど、その結果、お風呂上がりにのぼせて倒れてしまうなんて、情けないなんてレベルじゃない。
お風呂の中で倒れなかったことだけが救いとしか言えない状況って、妙齢の女性としてどうかと思う。
しかもわたしの症状は重いのか、九十九から、渡された濡れタオルで頭を冷やしても、甘い飲み物で水分を何度も補給をしても、この身体の熱さは収まる様子がなかった。
それどころか、どんどん、熱くなっているような?
熱中症になった時のように頭痛や吐き気などの症状はない。
だけど、思考がぼんやりとして、顔や身体が熱い。
節々の痛みはないが、身体に少しゾワリとした感覚があった。
まるで何かに撫でられているような感覚に、ぞっとするものがある。
九十九が、そんなわたしを見て、かなり難しい顔をして考え込んでいる。
もしかして、みっともない主人と思われているだろうか?
だけど、違ったのだ。
「食い物には気を付けている。水も、飲用水については、警戒はしていたが、風呂までは……」
九十九が何か言っているけど、よく聞こえない。
「いや、僅かでも可能性があるなら……」
首を振りながらも、彼はある植物を召喚する。
わたしは、その植物に見覚えがあった。
「パーシ……チョプス……?」
記憶の片隅にあったその植物の名を呟く。
確か、「棘のある植物」と呼ばれるものであり、カルセオラリアでは「薬物判定植物」として重宝されていた植物だ。
丸く緑色の植物は……、ぼんやりした頭と視界では、人間界の植物であるサボテンにしか見えなかった。
しかし、彼はいつあの植物を手に入れたのだろうか?
そして、何故、今、ここでそれを召喚したのだろうか?
「あまり、考えたくないが……」
そう言って、九十九は移動魔法を使って、どこかに移動し、すぐに姿を現した。
その手にはいつの間にか、ガラスでできたコップ……、いや、ビーカーみたいなものが握られている。
「それ……は……?」
なんとなくぐらぐらした頭のまま、九十九に問いかける。
ビーカーみたいなカップには乳白色の液体が揺れていた。
それは、牛乳ほど色が濃くないけど、半透明というほど薄くもない微妙な色合いの液体だった。なんとなく、あまり美味しくはなさそうな気がする。
「風呂の水だ」
どこか言いにくそうに九十九が、わたしの質問に答えてくれた。
でも、風呂の……?
風呂って……?
「は!?」
一気に情報が流れ込み、熱に浮かされつつあった脳に直接冷えた水が掛けられたような気がした。
僅かだけど戻ってくる思考。
それってつまり……。
「さっきまで、わたしが入っていたお湯!?」
ちょっと待って!?
それってかなり恥ずかしいんですけど!!
思考は、少し回復したが、先ほどからの上昇している体温が、さらに上がった気がした。
え!?
彼は、その液体をどうするつもり!?
「おお」
だが、九十九は混乱しているわたしを気にかけず、先に召喚していた「棘のある植物」に向かって、手に持っていた液体をかける。
その行動は、カルセオラリアで見たことがあった。
「あ……」
その「棘のある植物」はその名の通り、数本の細く尖った棘を出す。
害のあるものが近付くと丸い形状の植物が針を出して身を護り、逆に養分となりうるものが近付くと紅くなる不思議な植物。
毒にも薬にもならない場合は無変化らしいが、ほんの僅かな成分が含まれていれば反応するため、わたしや九十九以上にその変化を見てきたトルクスタン王子ですら、無変化な状態を見たことはないと言っていた。
必ず大小や量の差はあっても、細く短い針が出たり、微量ながらも紅く変化したりするらしい。
そして、今出たのは紅い変化ではなく、棘を出す警戒態勢。
つまり、あのお湯は、あの植物にとって害のあるものだったということだ。
わたしの残り湯は害だった!?
「決まりだな」
そう言って、九十九は通信珠を取り出して起動させる。
「兄貴、今からいろいろ送り付ける。それらをトルクスタン王子に薬品として鑑定してもらいたい。急ぎだ。あと、結果が出るまで水尾さんと真央さんを風呂に近づけるな」
そう言いながら、手早く、召喚、物体移動を繰り返していく。
『分かった』
いきなりそんなことを言われた上、送りつけられるなんて、受け取る側も大変だろうに、黄色く光る珠からは雄也さんの落ち着いた声がした。
「最初に送ったやつは『棘のある植物』が反応した。それも伝えてくれ」
『分かった』
黄色く光る珠は、それだけを告げると、光を失くす。
そして、九十九はわたしを見た。
「悪い。オレの油断だ」
「ゆ?」
なんのこと?
「落ち着いて聞いてくれるか?」
九十九がどこか悔しそうに言った。
だから、頷くしかない。
わたしが倒れている寝台に腰かけ、髪を撫でてくれるその手が酷く心地良い。
だけど、その頭は酷くぼーっとして、身体は妙に熱い。
まるで、インフルエンザの高熱のようにあちこちが焼けそうな気分だった。
だけど、関節の痛みはなく……、喉だけが異常に渇く。
「み、水、飲みたい……」
「ああ、分かってる」
そう言って、彼はわたしに冷たい飲み物を出してくれた。
それだけで、少し落ち着く気がする。
何も考えずに彼からその飲み物を受け取り、一気飲みをした。
あまり行儀は良くないと分かっていても、とにかく熱くて我慢ができなかったのだ。
そして、熱く火照った身体が少しだけ冷やされた気がした。
九十九が再び、髪を撫でる。
彼のその行動は、わたしを落ち着かせようとしてくれているのだろうけど、逆効果だと思うのは気のせいか?
少しだけ冷やされたはずの身体が、触れられたところから熱くなっていくような錯覚すら感じられる。
なんだろう、この不思議な感覚は……?
「栞のその状態は、恐らく、風呂の湯が原因だ。薬効成分といえば聞こえは良いが、恐らく……」
九十九が何かを言いかけた時、その背後にドササッと何かが落ちる音がした。
「早えっ!?」
そう言いながらも彼は、わたしから手を離し、その音がした方へ足を向ける。
その手がなくなることが、酷く淋しく心細い。
九十九は、床に落ちた物を拾い上げ、真剣な顔で、その中身を素早く確認していた。
「見立てと少し違ったが、大筋は同じか」
そんな呟きが聞こえる。
低くて、落ち着く声。
その声がお腹に妙に響く気がした。
「あのお湯には、女限定で効果のある成分が含まれていた」
「女性……限定で……?」
その時点で、嫌な予感しかしない。
「狙われたのは、わたしってこと……だね……」
弱点を突くのは王道だ。
そして、分かりやすく彼の弱点となるのは、主人であるわたしってことになる。
彼の足を引っ張るつもりはないのに……。
「いや、お前だけじゃない」
「わたし……だけじゃ……?」
「以前、泊まっていたあの宿も同じ成分の湯だったらしい。だから、狙われたのはお前だけじゃなく、水尾さんと真央さんもってことになる。そして、魔界人は、総じて薬に弱い。魔法耐性が高い貴族ほど、体内魔気の護りが強く、油断も大きいからな」
ちょっと待って。
それでは……。
「ど、どんな効果があるの?」
狙われたのはわたしだけじゃない。そのことにゾッとする。
この身体の熱が、そのお湯の効果なら、今、水尾先輩と真央先輩もわたしと同じように苦しんでいる可能性があるのだ。
わたしが尋ねると九十九が目を逸らしながらも答えてくれる。
「媚薬……のようなもの……。分かりやすく言えば……、『催淫効果』……、だ」
彼のそんな言葉に、わたしはそのまま、意識を飛ばしたくなったのだった。
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