感応症と魔法は違う
「体内魔気の感応? がよく分からないのだけど……」
昨夜の喧騒も知らないまま、栞は朝食を食べ終わった後、何故かオレにそんなことを聞いてきた。
「互いの魔気が干渉し合う現象ってことは理解しているんだよな?」
それが「感応症」の基本だ。
近くにいる人間の体内魔気と相性が良ければ、相乗効果で増幅、強化され、その逆に相性が悪ければ、自分の魔気が汚されたかのように感じ、気分も悪くなってしまうとも聞いている。
「それは分かる。でも、どれぐらいの接触で影響があるのかが分からない」
「状況や環境、そして相性によるらしいぞ」
その辺りの細かい話は、専門家にでも聞いて欲しい。
「それも分かっている。でも、同じ人が相手で、環境もそこまで変化していないのに、その影響量? が、変化する理由が分からない」
「どういうことだ?」
同じ人が相手でも?
「『発情期』中の九十九と、昨日の九十九の違いが分からない」
「どういうことだ?」
その具体例は少々、困る。
「はっきりと言いきれないのだけど、多分、昨日の方が、わたしに九十九の気配が纏わりついている気がする」
確かに、「発情期」中のオレは、彼女に対して「印付け」行為に近いことをした覚えがある。
だが、それよりも強い気配となると、彼女に施した防護結界だけの話でもない気がした。
確かに、栞相手に魔法を使ったとは言っても、意識的な「印付け」を越えるほどとは思えない。
「そうなると、魔法耐性、か?」
考えられるのは、それぐらいだろうか?
「魔法耐性?」
「魔法耐性が、相手を警戒すると強くなるのは理解できるか?」
「ああ、『誘眠魔法』を弾くってやつだね」
「『発情期』中のお前は、オレに対してかなりの警戒心、いや、この場合は反発心があったけれど、昨日のお前は、自然体で抵抗なくオレの魔気を受け入れたってことじゃないのか?」
自分で口にしておきながら、心には鋭い何かが突き刺さる。
それだけ、栞は「発情期」中のオレに対して、強い反発心があったということだから。
「えっと、つまり、相手を受け入れるかどうかでも変わるってこと?」
基本的に、通常の魔法の効果もそんな感じではある。
相手に対する警戒が強いと、「治癒魔法」すら、少しその効果が変わってくるのだ。
「確かめたことはないが、恐らくはそういうことなんじゃねえか? まあ、その考え方が正しいかどうかは、確認のしようもないと思うが」
但し、体内魔気の感応症は、魔法とは違う。
これは推測でしかない話だ。
そして、恐らく、検証、確認することはできないだろう。
「確認のしようもない?」
「お前、魔力や魔気に詳しい魔法国家の王女殿下たちに、なんてその状況を説明する気だ?」
「あ……」
どうやら、理解をしてくれたらしい。
オレとしても、誰にも確認しにくい話題だ。
「発情期」の時に、栞から激しく抵抗された、なんて……。
そんなことを口にすれば、ますます、あの魔法国家の王女たちに責められてしまうことだろう。
「うぬぅ……」
栞はどこか納得できない顔をしている。
「自分たちで検証するという方法もあるけど、それも……な」
恐らく、もっと嫌がるだろう。
「自分たちで?」
「いろいろな状況を作って、何度も試す。しっかりしたデータをとりたいなら、多人数での状態確認と、魔力測定器などの魔法具があった方が良いとは思うが……」
「気が遠くなりそうだね」
「検証ってのはそんなもんだ。お前独自の現象でないことを確認したいなら、どうしても、他人の協力が必要になる」
「そっか。わたしだけの状態……って可能性もあるんだね」
そうなると、やはり魔法国家に確認したくなるが、そこは我慢だ。
オレも命は惜しい。
「でも、そんなに違うものか?」
自分の身体のあちこちを見回す栞を見て、そう尋ねる。
「え? 分からない?」
「自分の気配は分かりにくいんだよ。オレの方にも、栞の気配があるはずだが、それは分かるか?」
「ふ!?」
何故か、変な声を出された。
「分からんだろ?」
「うん、分からない」
栞は隠しもせずにそう言う。
確かに、オレの身体にも栞の気配に包まれている気がするが、目の前の気配にかき消されている。
それだけ、彼女自身が圧倒的な存在感を放っているのだ。
当人がいなければもっと自分の身体についたものを実感できるとは思うのだが、移り香程度の体内魔気よりは、目の前の心地よい体内魔気を感じる方がずっと良い。
「恥ずかしくて死にたい」
栞は、テーブルに勢いよく突っ伏した。
鈍い音がテーブルから響く。
「羞恥で人は死なんから大丈夫だ」
そんなもので死ぬなら、オレはこれまでに何度死んでいることか。
「あと、食い終わったとは言え、行儀が悪い」
そこは見逃せない。
いや、この状態は可愛いんだけど、それはそれなのだ。
「分かってるよ。でも、ここには九十九しかいないから、今日ぐらいは見逃して……」
「甘えるな。悪い行動は癖になる」
ここは、あえて心を鬼にする。
決して、「ここには九十九しかいない」という言葉に流されてはいけないのだ。
「うぬぅ」
可愛らしい声と見た目に反して、毎度、妙に男らしい言葉を吐く栞。
だが……。
「あ……」
その額の赤味が気になった。
先ほどテーブルに伏した時にぶつけた跡だろう。
「何?」
「じっとしてろ」
そう言いながら、栞の額に触れ、治癒魔法を施す。
黒く柔らかい前髪がさらりと揺れた。
「これぐらい大丈夫なのに……」
明らかに不服そうな顔を見せる。
「単純にオレが嫌なんだよ。それに、女が顔に傷を作るな。せっかく、綺麗な肌なのに……」
これだけ、白い肌に赤は目立つ。
当人はどれだけ痛々しい色をしているか知らないから、「大丈夫」だなんて、そんなことを平気で言うんだ。
鏡を持って来て自分の顔をよく見ろ。
額に触れて、赤みが消えたことを確認すると……。
「ほぁ!?」
相変わらず、オレが触れると変な声を出すやつだ。
「なんて、声、出してるんだよ?」
夜に布団の中で、抱き締めて頭を撫でろと言った女と同一人物とは、思えない。
そちらの方がかなり恥ずかしい行為だと思うのだが、彼女は違うらしい。
その差が分からん。
「ところで、これから栞はどうする?」
「ん~、今日は本を読むか、絵を描くか……かな」
外へ出かけられない以上、それぐらいしかすることはないか。
だが……。
「ブレないな、お前は……」
こっそり外に出たいとか言い出すような女ではなくて良かったのだが。
「他には、寝る?」
「本っ当に、ブレないな、お前は……」
あまりにも、いつも通り過ぎて、笑えてくる。
「じゃあ、九十九はどうする予定?」
問い返されて、少し考える。
「日課をこなす……かな」
「日課?」
「筋トレを含めた鍛錬の続き。他には、魔法は、あの広場以外では無理だが、イメージトレーニングぐらいならできるか」
あまり部屋が広くはないため、簡単な動きしかできないが、何もやらないよりはマシだろう。
ここは天井が高いため、素振りは出来たし、久しぶりに空手の型もやってみた。
兄がいる間に、少し組手の相手をしてもらえたのは、かなり珍しい。
「じゃあ、それを見ぶ……、見学させてもらおう」
どこまでも素直な女は、隠し方も下手だった。
「いま、『見物』って言おうとしただろ? 見世物じゃねえぞ?」
「言葉を間違えかけただけだよ」
「それに、見てもあまり面白いものとは思えんが……」
「じゃあ、それをスケッチしよう」
「止めろ」
予想通り過ぎて、頭が痛くなってくる。
「え~?」
可愛い顔で残念そうに言われると……。
「見られていると緊張する」
つい、そんなことを言ってしまった。
「九十九にも『緊張』って言葉があったのか」
「あったんだよ、悪いか?」
「悪くはないけど……」
「見ても面白いとは思わんが、それでも良いなら……」
「良い!」
食い気味に反応された。
だけど、本当に見ても面白くないと思うぞ?
ここまでお読みいただきありがとうございました。




