勝てる気がしない
「お前にしては思い切ったことをしたものだ」
倒れている男の肩を力技で嵌め、「治癒魔法」を施していたオレに向かって、「昏倒魔法」の後始末をしていた黒髪の男は、口元の笑みを隠しもせずにそう言った。
「何も変わったことなどしていないが?」
栞を一人、部屋に残したことについて言っているのだろうが、オレは割と護るべき主人を囮として使っている。
今回は、当人の意思を確認していないが、囮になる気はあったようだから、問題もないだろう。
オレの気配に気付いて、ヤツらがそれに対処しようとしても、オレ自身を囮として、別の方向から動くだけの話だった。
結果として、ヤツらはオレに気付かなかった上、さらに、分かりやすい囮の「体内魔気」だけで、ほぼ、全滅の憂き目にあったわけだが。
ただ、栞自身が「体内魔気」する前に動きたかったのだが、予想以上に動きが早かった。
いや、早すぎた。
あれが計算違いだった。
まさか、あの距離から、意識を奪うような空気砲をぶっ放すとは思わなかったのだ。
オレがチラリと考えた時は、もう少し、待ってくれた気がするのだが……?
「いや、ここのところ、ずっと色ボケていたようだからな」
「それを含めていつも通りだ」
もともと、オレは栞に懸想していたのだ。
単に、その事実を認めていなかっただけ。
気付いていなかっただけ。
それらが表面化していなかっただけのことだ。
オレの原動力は、ずっと昔から、「シオリ」と、「栞」にあった。
もし、彼女を失えば、その場から動けなくなってしまうかもしれないだろう。
「話には聞いていたが、随分、開き直ったようだな」
誰から聞いたとか、尋ねるだけ無駄だろう。
今回は、少しばかり情報源となる人間が多すぎる。
「認めた方が楽だからな」
否定しても事実は事実だ。
逃げ出しても、その答えが変わるわけではない。
それなら、全て受け入れた方が、迷う時間も少なくて済む。
「楽かどうかはともかく、お前から、迷いがなくなったなら良い」
そう言いながら、オレが「治癒魔法」を施した男にも、更なる処置をして、どこかに転移させていく。
その手際の良さに、既に何人か送った後だと推測した。
「あっちにはどれくらい現れた?」
「俺の元には3人だったが、水尾さんの元には、10人だったそうだ。だが、トルクが一番だったな。たまたま真央さんが傍にいたせいか、13人を相手にしたらしい」
「真央さんは、魔法が使えないと聞いているが?」
「ああ、それを聞いたのか」
ふっと笑った。
「兄貴は知っていたのか?」
「聞いてはいないが、知っていた。魔法国家の人間としては、致命的な話だから隠されてはいたようだがな」
その割にはポロっと話してくれた気がする。
「なんで隠されていた話を知ってるんだよ?」
「愚問だな。俺を相手に、そんなことを隠せると思うか?」
「思う」
流石の兄貴でも、分からないことはあるだろう。
「魔法国家の王族たちが隠し続けたようなことを、兄貴が知っているってことは、彼女たち自身も知らないような何かに気付いたとしか思えない」
だから、オレは自分の考えを告げる。
「彼女が持つあの体内魔気と魔力量では、『治癒魔法』や『修復魔法』を一部でも使えるだけマシだ」
返答があった。
どうやら、合格だったらしい。
いずれ、オレも気付いた可能性があるってことだろう。
そうなると……。
「ミヤドリードが昔、言っていた『現代魔法』に向かない人間ってやつか?」
具体的には栞の母親である千歳さんだ。
その魂が、特定の神の加護を強く受けすぎて、大気魔気を上手く取り込むことが難しいと言う話を聞いたことがある。
「そのようだな。彼女は千歳様と同じように『古代魔法』向きの人間だろう」
そう言いながら、兄は、寝台の方へ目を向ける。
そこには先ほどと変わらない栞の寝顔があった。
「栞ちゃんも、そうだろうな」
シオリは現代魔法の出力調整が苦手だった。
だが、古代魔法を使う時は、高威力であったが、現代魔法ほど不安定ではなかった。
そして、古代魔法の使い手が少ない時点で、その立場的に、目立つことを避ける必要があるシオリが、他者の前で古代魔法を使うことができるはずもない。
周囲に王族の血が流れていることを隠すためにも、シオリはひたすら、現代魔法だけを練習していたのだ。
尤も、その枷から外れた栞は、魔法国家の王女たちが驚くような魔法を使い始めているのだが……。
「ところで、兄貴の方は、認める気はないのか?」
全てが終わった後、栞の様子を確認した上でそう尋ねてみる。
「何の話だ?」
「色ボケた話だ」
「お前と違って、俺はずっと前から認めている」
兄は苦笑してそう答えた。
「そうか?」
「栞ちゃんにも知られたからな」
「ちょっと待て?」
彼女に気持ちを知られた上で、栞は兄貴に対してあの態度だった、だと?
なんて小悪魔だ、この女は……。
「流石に、彼女の母親に懸想していたことを知られたのはどうかと思ったが、栞ちゃんにとって、それは別に大した問題ではないらしい」
「あ?」
「……?」
兄貴の言葉がよく分からなかった。
オレの言葉に、何故か兄貴も不思議そうな顔をする。
「千歳さん?」
「……? その話ではないのか?」
「いや、兄貴が千歳さんのことを好きだったのは、ずっと前の話だろ?」
それなのに、なんで、今更?
「その話ではないんだな」
兄貴はオレに確認する。
「その話ではないな。そのために、オレの状況もかなり面倒になったが、今は、そこが問題じゃない」
もともと、二つ目の「強制命令服従魔法」は、そのせいで追加されたようなものだ。
だから、事態をややこしくしているが、同時に、自身が冷静にもなれる機会を与えられている。
「では、どう言ったことだ?」
兄貴にしては珍しく察しが悪い。
だから、一歩、踏み込んだ。
「兄貴も、栞が好きだろ?」
確信を持って確認する。
「好きだな。愛らしく魅力のある主人だ」
即答だった。
「だが、お前のように情欲は湧かない」
何気に凄い言葉を返された。
確かに、湧いていることは否定しない。
「兄貴は千歳さんの時にも湧いてないじゃねえか」
だけど、それを基準に判断するのは少し違う気がした。
何より、オレ自身、「発情期」と言う存在がなければ、発露されたか分からないような感情だ。
「早熟な魔界人とは言え、たった5歳の幼児にそんな感情が湧いたら、いろいろ問題だと思うが……?」
一般的には正論と取れるが、そんなことはない。
幼児期はともかく、兄は割と、近年まであの方を想っていたはずだから。
そう思ったのは、人間界で再会し、千歳さんの封印を解いた時だ。
あの頃、兄から、確かにあの方への熱を感じていた。
同時に、まだ残っていたのか……、とも思ったのだが、その点においては、オレも大差がない。
この辺りは、兄弟の血を感じざるを得ない。
一度想えば、何年経っても、消えることのない熱。
だが、兄からその気配が薄れたのは、いつの頃だったか。
そして、気付けば、兄の熱が別方向へと向けられていることに気付いた。
それは、少しずつだったけれど確かな変化。
はっきりと確信したのは、兄の20回目の誕生日以後だったが、恐らく、それ以前からだと思う。
「まあ、オレと違って、兄貴が栞に対してそんな感情がないのならば、別に大した問題じゃねえけどさ」
だが、オレの立場上、今は、そう言うしかない。
オレよりもかなり以前。
そう言った感情に振り回され思い悩むような多感な時期に入る前に、自分の意思ではなく失うことになった兄が、一般的な男と同じ感性でいられたはずがなかった。
一時期は、分かりやすく自分自身を軽く扱う兄のその姿に対して、子供心に見ていられなかった覚えがある。
だが、オレに兄の心を救うことができなかった。
当時の年齢を考えれば仕方がないと言いきることはできない。
たった一人の身内だと言うのに、ずっとオレだけが兄のその陰に護られていたのだ。
そんな兄は気が付けば、いつもと同じように、自力で立て直し、立ち上がっていた。
だから、いつものようにこれ以上は踏み込まない。
兄が気付かないなら、その方がオレにとっては都合が良いのだ。
昔から、この兄にだけは勝てる気はしないのだから。
この話で60章は終わりです。
次話から第61章「搦め手、絡めて」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました




