約束は守ろう
わたしがお風呂から上がると、九十九はいつものように報告書を書いていた。
この時の彼の顔は真剣そのもので、わたしにいつも向けているものとは違って、結構、好きだったりする。
「上がったか」
九十九が顔を上げる。
あの横顔がいつもの彼の表情に戻ってしまったことを少し残念に思うが、同時にホッとしている自分もいた。
「うん。良いお湯でした」
わたしは平静を装いながら、九十九に近付く。
そして……。
「この紙と筆記具を少し借りて良い?」
「あ? ああ、良いぞ」
九十九は一瞬、不思議そうな顔をしたが、了承してくれた。
「ただその前に、髪。また雫が落ちている」
「ふえ?」
そう言って、九十九はわたしの背後に回る。
切実に今、乾燥石が欲しい。
このある程度長くなった髪の毛は、タオルだけじゃもう無理なようだ。
雫が落ちない程度にはしたつもりなのに……。
彼はタオルで丁寧に水気を取りつつ、風魔法を調整してわたしの髪の毛を乾燥してくれた。
昔、タオルでわしゃわしゃとされていたことが嘘のようだ。
今は、凄く丁寧に扱ってくれている。
そして、乾燥魔法ではなく、風魔法で代用している辺りも、応用上手な彼らしい。
「栞……」
不意に名を呼ばれた。
「何?」
「少し、話がある」
「丁度、良かった。わたしも話がある」
「え?」
「そのために少し、書かせて?」
わたしはそう言って、九十九に髪の毛を乾かされながら、紙に書く。
『この部屋、盗聴とかされている可能性はある?』
「ない。その類の魔法具は、この宿に泊まると決めてから、全て、壊してある」
「そうか。じゃあ、筆記で話す必要はないね」
面倒くさくなくて良い。
それにしても、やっぱり、その可能性があったのか。
「ついでに、その上で、防音の結界も張ってある。少なくとも、この周辺、半径1キロの範囲内は完全に音が漏れない」
「いつの間に?」
わたしが考えるよりも先に、彼はその可能性を考えて、さらに対処していたらしい。
「ここに来た時から。その手のヤツは変な気配がするからな。人間界みたいな完全に機械なら分からない可能性もあるが、魔界の道具は基本的に魔力を帯びる」
「カルセオラリア製も?」
カルセオラリア製なら魔力を通さないって話だったはずだ。
魔法も効かないんじゃないっけ?
「カルセオラリア製のものがあれば、余計に分かりやすい。どうしても、動力は魔石に込められた魔力になる。壊す方は、物理でいけるからな」
確かに魔界の道具は電気の代わりに魔力が動力となっている。
その気配を追えば、確かに探すことは可能ってことか。
「そっか。それなら、安心かな」
「なんで、そんなことを気にしたんだ?」
「いや、お風呂に入っている時に考えたんだけど……」
そう言いながら、九十九に先ほど考えたことを伝える。
もしかしなくても、寝ている時に襲撃があるんじゃないかって話を含めて……。
お茶だけ準備して、わたしの話を聞いている間、九十九は黙ったまま、ずっと鋭い瞳をわたしに向けていた。
彼なりに説明下手なわたしの言葉を整理してくれているのだと思う。
「つまり、同じ布団って、襲撃者を油断させようって話かなと思ったの」
「なるほどな」
九十九は溜息を吐く。
「九十九の方にも先輩方から話があったでしょう? どんな話だった?」
「それは……」
九十九が少し言い淀んだ。
「言いにくい話? それなら聞かないけど」
全てを聞くことが正しいとは思わない。
わたしが知らされていない方が、上手く事態が進むことだって多いのだ。
「いや、一つ、お前の協力が絶対に必要な話がある」
「ほ?」
わたしの、協力?
しかも、絶対とな?
「オレとイチャイチャしろとさ」
「はいっ!?」
思わぬ言葉に目が丸くなった。
いや、だって、ワカならともかく、九十九の口から「イチャイチャ」と言う単語ですよ?
だが、彼は冗談を言っているようには見えない。
「お前は襲撃の可能性を言ったが、さっきの話を聞いて、実は、オレたちには『囮』の意味があるんじゃないかと思った」
「お、囮?」
「別にお前の言葉を無視しているわけじゃねえぞ。確かに、襲撃は就寝を狙う可能性は高い。どこの宿も寝台は一つだからな。同じ部屋にいれば一網打尽にできる」
一網打尽。
それって、襲撃を受ける方、襲われる方が使う言葉だっけ?
しかも害するではなく捕まえる方?
「だが、ミラージュのヤツらが関わっている以上、兄貴も水尾さん、真央さんも無視するとは思えない。少しでも情報は欲しいからな。そうなると接触するためには、一番、効果的に引きつける人間を使って足止めするだろう」
「効果的に引きつける人間って、わたし?」
そうなると、確かに「囮」の線も出てきた。
「ライトや、来島に関してはな。お前が極上の餌だろうよ。だが、もう一人、ここにミラも来ている」
「ミラって、ライトの妹だよね?」
九十九に好意を持っている金髪の少女を思い出す。
なんで、ここに来ていることを知っているのだろう?
でも、それなら納得もできる。
「ああ、見せつけるように、いちゃついて、釣り上げろってことか」
それで、あのライトが釣れるかは分からない。
あの人は慎重な人だ。
それに、以前、九十九がわたしに手を出しても気にしないようなことを言っていた覚えがある。
寧ろ、好都合とか……。
あの国の内情を、ほんの少しだけソウから聞いた今となっては、それも納得できることなのだけど。
でも、その妹は……もしかしたら?
「でも、それをなんで黙っていたの?」
「お前なら言うか?」
「合意の必要がある行為だから、言う……かなあ?」
それでも、言いにくいことなのは分かる。
恋人同士ならともかく、わたしたちはそんな関係にない。
「それでも、言わなかったってことは、九十九は、わたしとイチャイチャする予定はなかったってことでおっけ~?」
彼の性格上、無理矢理……、とか流れるように自然にというのは難しいだろう。
いや、無理矢理の時点でイチャつきとは違う状況になるとは思うけど。
「……おお」
「でも、条件……、上役からの御言葉なら九十九は従うべきでは?」
どなたからの命令かは分からないけれど、少なくとも雄也さん、水尾先輩、真央先輩からの指令なら、寧ろ、逆らった後の方が怖そうなんだけど……。
「お前な~」
九十九は乱暴に自分の頭をかきながら、言葉を続ける。
「どんな風に考えてるかは知らんが、同じ布団でいちゃつく……。その意味が分かるか?」
「ああ、そうか」
それぞれの条件を組み合わせればそう言うことになる。
「オレにできるのは一万歩譲って『同じ布団』までだ。流石にそれ以上の行為は、はっきり言って、我慢できる自信がねえ」
はっきり言われてしまった。
「わ、わたし相手でも?」
「お前相手でも」
なんだろう。
敵意を込めた瞳で見られた気がする。
「少なくとも、『発情期』で反応する相手は、オレにとって、そう言う行為の対象内ってことだ。自覚は……、なかったけど、そこだけは認めざるを得ない」
「そっか……」
それだけ、わたしを自分の意識の外に置こうとしてくれていたのか。
それを、わたしが、「自覚」させてしまった。
あの時、「止めろ」と言われたのに、関わろうとしてしまった。
「駄目だ」とも言われたのに、部屋に入ってしまった。
でも、あの時、見捨てるなんて選択肢はわたしに存在しなかったのだから、仕方がない。
あの時の自分の行動に、全く後悔がないとは言わないけれど、それでも、彼が、「高田栞」自身を守ろうとしてくれたことまではなかったことにしたくはないのだ。
わたしは拳を握って覚悟を決める。
彼が今もわたしを護ろうとしてくれることは素直に嬉しかった。
本当に心も身体も守ってくれようとしてくれている。
そこにあるのは「主従」であり、「恋愛」ではないこともちゃんと今のわたしには分かっていることだ。
「じゃあ、九十九……」
「あ?」
「あなたが苦しい思いをすると分かった上で言う」
「は?」
その言葉に彼は目を丸くする。
だが、もっと驚くことになるだろう。
「言われた条件、約束事はちゃんと守ろう」
わたしはそう言いきった。
あの人たちが別行動しようとするわたしたちに対して、ただの揶揄い目的だけで、そんな不自然な条件を付けるはずもない。
それらの条件には恐らく気付いていないだけで、重要な意味がある。
三人の中で、誰が言ったかは分からないけれど、九十九はわたしに無理強いはしないと信頼された上で、その条件を出されているはずだ。
九十九がそれを承諾した上で、あの人たちの期待を裏切り、約束事を守らなければ罰があるかもしれない。
本を正せば、わたしが「あの宿に泊まりたくない」と言い出した我が儘から始まった今回の話だ。
そんなわたしだけが、安全な場所で彼に護られているのは何か違う気がする。
だから、わたしも彼を護ろう。
護られるだけの女は嫌なのだ。
少しでも、彼の横で胸を張って立っていたいから。
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